あの日、旧上之郷小学校へ行く途中、初瀬ダム湖を走っていたら、
「笠そば」と「瀧蔵神社」、「山野草の里 三谷」の看板の近くに真新しい神社?を見かけた。
早速、車を停めてお詣りに。
真新しい鳥居には、「天落神六社」とあるが読み方が???
狭い参道を進むと正面に「由緒記」の石碑を発見。
それを読もうとしたけど、「由緒記」碑の周囲にはハイカーが多数休憩中。
「由緒記」をゆっくり読んで理解すること出来ず。
それで「由緒記」の写真を撮って早々に立ち去った。
あのハイカーたちは、こんな山の中どこを歩いて来はったんやろか???
バス路線は廃止されたしなぁ~
帰って調べたら、巨大磐座(高さ4.8m・幅7.6mの巨岩)の「落神の宮」はダム湖に沈んでしまったという。
見てみたかったよなぁ~
「落神の宮」は深い深い水の底なんや~
深~い深~い水の底・・・
深~い深~い水の底
@天落神六社権現(あまのおちがみろくしゃごんげん)由緒記【境内の石碑より】
落神の宮は、当地に祀られている山に三社、川に三社ある総称で、六社権現とも呼ばれている。長谷寺縁起に文によると、昔、雷神が瀧蔵権現神社(瀧蔵権現)に祀られていた毘沙門天御所持の宝塔を取り、天に昇ろうとして落ちた所で、落神の地名の起源になっている。六社の一つ、川の中の巨大磐座に味すき高彦根命を祭神とする祠が安置され、古来より雷除け、災害防止等、霊験あらたかな神として厚く信仰されている。
毎年、旧暦一月十一日に六社権現講が輪番で網掛行事が行われ、また当地吉岡氏は吉岡留吉氏より代々守護神として毎年五月九日に月次祭を行い祀られている。湖底に沈んだ磐座は此処より南西約180m下流の大和川沿いにあった。その一つ川中の屏風岩は、高さ四・八米、巾七・七米、奧行四・七米下部周囲二十四米の三角状巨巌で西面に向かって左側に一・四米の宝篋印塔と梵字、中央上部に梵字の線彫があり、上部に祭神の祠が安置されていた。また一つは県道をはさんだ山側の露出した岩盤に、高さ九十七糎の宝篋印塔が線刻されていた。この度、これ等の磐座が、初瀬ダム建設事業により湖底に水没することとなり、清浄な石材を選び、由緒ある磐座の面影を記録にとどめ、御神徳を顕彰し、当所に遷座し奉る。
昭和六十三年七月吉日
「笠そば」と「瀧蔵神社」、「山野草の里 三谷」の看板の近くに真新しい神社?を見かけた。
早速、車を停めてお詣りに。
真新しい鳥居には、「天落神六社」とあるが読み方が???
狭い参道を進むと正面に「由緒記」の石碑を発見。
それを読もうとしたけど、「由緒記」碑の周囲にはハイカーが多数休憩中。
「由緒記」をゆっくり読んで理解すること出来ず。
それで「由緒記」の写真を撮って早々に立ち去った。
あのハイカーたちは、こんな山の中どこを歩いて来はったんやろか???
バス路線は廃止されたしなぁ~
帰って調べたら、巨大磐座(高さ4.8m・幅7.6mの巨岩)の「落神の宮」はダム湖に沈んでしまったという。
見てみたかったよなぁ~
「落神の宮」は深い深い水の底なんや~
深~い深~い水の底・・・
深~い深~い水の底
@天落神六社権現(あまのおちがみろくしゃごんげん)由緒記【境内の石碑より】
落神の宮は、当地に祀られている山に三社、川に三社ある総称で、六社権現とも呼ばれている。長谷寺縁起に文によると、昔、雷神が瀧蔵権現神社(瀧蔵権現)に祀られていた毘沙門天御所持の宝塔を取り、天に昇ろうとして落ちた所で、落神の地名の起源になっている。六社の一つ、川の中の巨大磐座に味すき高彦根命を祭神とする祠が安置され、古来より雷除け、災害防止等、霊験あらたかな神として厚く信仰されている。
毎年、旧暦一月十一日に六社権現講が輪番で網掛行事が行われ、また当地吉岡氏は吉岡留吉氏より代々守護神として毎年五月九日に月次祭を行い祀られている。湖底に沈んだ磐座は此処より南西約180m下流の大和川沿いにあった。その一つ川中の屏風岩は、高さ四・八米、巾七・七米、奧行四・七米下部周囲二十四米の三角状巨巌で西面に向かって左側に一・四米の宝篋印塔と梵字、中央上部に梵字の線彫があり、上部に祭神の祠が安置されていた。また一つは県道をはさんだ山側の露出した岩盤に、高さ九十七糎の宝篋印塔が線刻されていた。この度、これ等の磐座が、初瀬ダム建設事業により湖底に水没することとなり、清浄な石材を選び、由緒ある磐座の面影を記録にとどめ、御神徳を顕彰し、当所に遷座し奉る。
昭和六十三年七月吉日
人が憩える神社っていいですよね^^
御由緒書きとかは読みにくいですが(笑)
>一枚目の写真に写りこんでませんか?
たまには私にも登場の機会があっても・・・