先日は少々用事があって旧上之郷小学校まで出かけた。
今日は、旧上之郷小学校までの道について書いてみた。
初瀬の町は道幅が狭い。
対向車が来ないことを確認し、バスなどの大型車だとぎりぎりの幅をゆっくり進んでいく。
昔ながらの街並みで、旅館や土産物屋などもありいかにも観光地という雰囲気。
初瀬柳原で少し道幅は広がり、普通車と対向できる幅になるが、せまいことに変わりはない。
「バイパス 一方通行」の案内標識のある交差点を左折。
急勾配の坂を上るとすぐ下りになり、
左手に長谷寺の参道が見えると長谷寺前に到着する。
右手に土産物屋が立ち並ぶせまい道が見えるが、帰りはそのせまい道を下っていくことになる。道幅は本当に大型車だとぎりぎりである。昔は、今通ってきた「バイパス」がなかったので、このせまい通りを走っていた。
長谷寺前からも道幅は相変わらずせまい。
右手下のほうに大和川の源流である初瀬川を見ながら進む。
初瀬浄水場をすぎると、目の前に初瀬川をせき止めて作った初瀬ダムの堤防が現れる。
ここから、急に道がよくなり片側1車線となる。初瀬ダムは1988(昭和63)年に完成したダムで比較的新しい。
急に道がよくなるのは、このダムができたときに県道が付け替えられたためで、途中の和田あたりまでの県道はダム建設にともなう付け替え道路だ。
ダムの堤防と同じ高さまであがると、右手にダム湖(まほろば湖という)が見えてくる。
口の倉橋を渡ると、ダム湖(というか初瀬川)は車窓左手に移り、落神権現前萱森口(おちがみごんげんまえかやのもりぐち)を通過。
再び初瀬川を渡り和田へ。
ここから上之郷(かみのごう)と呼ばれる地区で、1956(昭和31)年に桜井市と合併するまで磯城郡上之郷村だった。
やがて県道沿いに民家がなくなり両側とも山になる。
県道は初瀬川に沿って作られており、川の流れにあわせて、くねくね曲がっている。それでも道路は以前より改良されており、ほぼ片側1車線が確保されており、初瀬ダム付近から小夫までの間だと笠山荒神口付近で未改良区間が残るのみである。
しばらく走ると目的地、生徒数が少なくなり廃校となった旧上之郷小学校が道路左手に見えてきた。
木造校舎は取り壊され、体育館とプール、運動場だけが残っていた。
「上之郷」の「上(かみ)」とは「神」のことだと、以前誰かに教えてもらったことを思い出した。
今日は、旧上之郷小学校までの道について書いてみた。
初瀬の町は道幅が狭い。
対向車が来ないことを確認し、バスなどの大型車だとぎりぎりの幅をゆっくり進んでいく。
昔ながらの街並みで、旅館や土産物屋などもありいかにも観光地という雰囲気。
初瀬柳原で少し道幅は広がり、普通車と対向できる幅になるが、せまいことに変わりはない。
「バイパス 一方通行」の案内標識のある交差点を左折。
急勾配の坂を上るとすぐ下りになり、
左手に長谷寺の参道が見えると長谷寺前に到着する。
右手に土産物屋が立ち並ぶせまい道が見えるが、帰りはそのせまい道を下っていくことになる。道幅は本当に大型車だとぎりぎりである。昔は、今通ってきた「バイパス」がなかったので、このせまい通りを走っていた。
長谷寺前からも道幅は相変わらずせまい。
右手下のほうに大和川の源流である初瀬川を見ながら進む。
初瀬浄水場をすぎると、目の前に初瀬川をせき止めて作った初瀬ダムの堤防が現れる。
ここから、急に道がよくなり片側1車線となる。初瀬ダムは1988(昭和63)年に完成したダムで比較的新しい。
急に道がよくなるのは、このダムができたときに県道が付け替えられたためで、途中の和田あたりまでの県道はダム建設にともなう付け替え道路だ。
ダムの堤防と同じ高さまであがると、右手にダム湖(まほろば湖という)が見えてくる。
口の倉橋を渡ると、ダム湖(というか初瀬川)は車窓左手に移り、落神権現前萱森口(おちがみごんげんまえかやのもりぐち)を通過。
再び初瀬川を渡り和田へ。
ここから上之郷(かみのごう)と呼ばれる地区で、1956(昭和31)年に桜井市と合併するまで磯城郡上之郷村だった。
やがて県道沿いに民家がなくなり両側とも山になる。
県道は初瀬川に沿って作られており、川の流れにあわせて、くねくね曲がっている。それでも道路は以前より改良されており、ほぼ片側1車線が確保されており、初瀬ダム付近から小夫までの間だと笠山荒神口付近で未改良区間が残るのみである。
しばらく走ると目的地、生徒数が少なくなり廃校となった旧上之郷小学校が道路左手に見えてきた。
木造校舎は取り壊され、体育館とプール、運動場だけが残っていた。
「上之郷」の「上(かみ)」とは「神」のことだと、以前誰かに教えてもらったことを思い出した。
赤い橋は、長谷寺山門近くにある連歌橋です。
昔、この界隈で連歌の会が催されたということです。
この橋を渡って坂道を上れば与喜天満宮です。