あの日,西大寺の近くで用事を済ませたあと,再び平城京大極殿北側の道を東へ走った。
この道はやがてT字路となり,突きあたりを右折することになる。
(右折した後,すぐに左折し,一条高校前へと行くのだが)
私は,この角にあるお寺が以前から気になっていた。
時計を見ると,時間にゆとりがある。
少し立ち寄ることにした。
その寺の名前は「海龍王寺」。
奈良には「海」がないのに・・・
@海龍王寺
海龍王寺は平城宮跡の東方、総国分尼寺として知られる法華寺の東北に隣接している。法華寺と海龍王寺のある一画は、かつては藤原不比等の邸宅であった。
養老4年(720年)の不比等の死後、邸宅は娘の光明皇后が相続して皇后宮となり、天平17年(745年)にはこれが宮寺(のちの法華寺)となったという。
海龍王寺は、『続日本紀』、正倉院文書などの奈良時代の記録では「隅寺」「隅院」「角寺」「角院」などと呼ばれている。「隅寺」とは、皇后宮(藤原不比等邸跡)の東北の隅にあったことから付けられた名称と言われている。
「隅寺」の創建について、伝承では天平3年(731年)、光明皇后の発願で建立され、僧・玄が初代住持となったというが、このことは正史に記載がなく、創建時期や事情について正確なところはわかっていない。
海龍王寺という寺号は、海龍王経という経典にちなむものだが、いつごろからこの寺号が使われるようになったのかは定かでない。玄が唐から日本への帰途、暴風雨に遭った際に海龍王経を唱えて救われたという伝承もある。
この道はやがてT字路となり,突きあたりを右折することになる。
(右折した後,すぐに左折し,一条高校前へと行くのだが)
私は,この角にあるお寺が以前から気になっていた。
時計を見ると,時間にゆとりがある。
少し立ち寄ることにした。
その寺の名前は「海龍王寺」。
奈良には「海」がないのに・・・
@海龍王寺
海龍王寺は平城宮跡の東方、総国分尼寺として知られる法華寺の東北に隣接している。法華寺と海龍王寺のある一画は、かつては藤原不比等の邸宅であった。
養老4年(720年)の不比等の死後、邸宅は娘の光明皇后が相続して皇后宮となり、天平17年(745年)にはこれが宮寺(のちの法華寺)となったという。
海龍王寺は、『続日本紀』、正倉院文書などの奈良時代の記録では「隅寺」「隅院」「角寺」「角院」などと呼ばれている。「隅寺」とは、皇后宮(藤原不比等邸跡)の東北の隅にあったことから付けられた名称と言われている。
「隅寺」の創建について、伝承では天平3年(731年)、光明皇后の発願で建立され、僧・玄が初代住持となったというが、このことは正史に記載がなく、創建時期や事情について正確なところはわかっていない。
海龍王寺という寺号は、海龍王経という経典にちなむものだが、いつごろからこの寺号が使われるようになったのかは定かでない。玄が唐から日本への帰途、暴風雨に遭った際に海龍王経を唱えて救われたという伝承もある。
愚生も好きなポイントです
ちょっと見難いけど観音さんも可愛いし
庭の手入れがされているんだけど
ところどころ野草の花が残るのもいいし
釣りキチが小学6年か5年の夏休み、西大寺でレンタサイクルを借りて6つほどお寺や古墳、うわなべこなべ・・とかをまわりました。そのうちの一つが海龍王寺。もう一度あのコースをゆっくり回りたいといつも思っていますよ。
周囲の法華寺などの
華やかさと比べると
土塀が崩れかけていたり
瓦屋根が落ち掛けていたり
境内の手入れもほどほどだったり
でも清潔さは保たれていて
ほどよい破れ寺感が好きだったので…
もっとも愚生が出かけたのも
もう20年以上前なので
今ではすっかり綺麗に?(^ ^;
駐車場からお寺へは,塀が崩れた?間から入ることができました。
私は山門から入りたかったので,そこから出入りしなかったのですが。
>ここは美しい破れ寺という感じで
まさにそんな感じですよねぇ~
山門をくぐって次の門までの間の木々の間を歩く雰囲気が良かったです。
私を小鳥の群れが出迎えてくれました!
ももりさんが昔,サイクリングで見た道路標識はこんな感じだったでしょうか?
http://blog.goo.ne.jp/e411y/e/56aa867f116458e1ed1fa5b24693c5fb
私は,子どもとサイクリングできた頃が懐かしいです・・・
ももりさんに懐かしがってもらえて光栄です!
昔の記憶,それも子どもたちとの記憶っていいですよねぇ~
やっぱり,モノより思い出ですよねぇ~