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宇佐神宮の境内、宮本武蔵の碑の隣に種田山頭火の碑があった。
なぜ山頭火も宇佐なのか?
彼は、この宇佐神宮に昭和4年(1929)と13年(1938)に二度参拝しており、
それを日記や書簡に残しているという。
山頭火日記を読み直そうっと。
@自由律俳人・種田山頭火
本名・正一、明治15年(1882)山口県防府市に生まれる。
早稲田大学を病気中退し帰郷、結婚して父と酒造場を開業する。
一方、萩原井泉水が創刊した新傾向俳句誌「層雲」に投句し入門、
やがて同人・選者として活躍した。
大正5年(1916)に酒造場は失敗、破産する。
酒に浸って市電を止める事故を起こしたのを機に出家。
九州をはじめ東北地方まで漂泊の旅を続けた。
宇佐神宮には、昭和4年(1929)と13年(1938)に訪れており、
禅僧でありながらも殊のほか敬虔なおもいで参拝している。
昭和14年(1939)四国霊場巡礼を終えて
愛媛県松山市に「一草庵」を結んだが
昭和15年(1940)10月11日同庵に没した。
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