奈良公園、興福寺の近くに“柳茶屋”がある。
昔々(学生の頃)、一度そのお店を覘いたことがあるのだが、
私の風体を見たお店の方に、やさしく入店を断られてしまったことがある。
お店の玄関には、“奈良茶飯”という看板が架かっている。
大和では“茶粥”が有名だが、“茶飯”は未だに食べたことがない。
“奈良茶飯”とは、
「米と炒った大豆を茶で炊いたもので、起源は、東大寺と興福寺の寺領から納められる上茶を煎じて、二番茶に塩を加えて米を炊き、一番茶に浸けて食べたと伝えられている。東大寺二月堂の修二会(お水取り)の練行衆の食事に茶粥とともに献立の中に記録が残されており、僧坊では古くから食されていたが、江戸時代には庶民の間に広まり、各地に茶飯屋があったということだ。また、俳句の句会などでも昔から好んで食されてきたそうだ。炒った大豆の他に黒豆、カチグリなどを加えたものもある。」とのこと。
今度覘いてみようかなぁ・・・
昔々(学生の頃)、一度そのお店を覘いたことがあるのだが、
私の風体を見たお店の方に、やさしく入店を断られてしまったことがある。
お店の玄関には、“奈良茶飯”という看板が架かっている。
大和では“茶粥”が有名だが、“茶飯”は未だに食べたことがない。
“奈良茶飯”とは、
「米と炒った大豆を茶で炊いたもので、起源は、東大寺と興福寺の寺領から納められる上茶を煎じて、二番茶に塩を加えて米を炊き、一番茶に浸けて食べたと伝えられている。東大寺二月堂の修二会(お水取り)の練行衆の食事に茶粥とともに献立の中に記録が残されており、僧坊では古くから食されていたが、江戸時代には庶民の間に広まり、各地に茶飯屋があったということだ。また、俳句の句会などでも昔から好んで食されてきたそうだ。炒った大豆の他に黒豆、カチグリなどを加えたものもある。」とのこと。
今度覘いてみようかなぁ・・・
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