昨日の昼前、古本屋へこの冬、炬燵で読む本を探しに出かけた。
その帰り、なにか忘れているのに気がついた。
ん・・・ん・・・
なにを忘れてるんやろうか???
車を運転しながら・・・
そのとき、道路脇をハイカーの姿が・・・
この寒いのにご苦労さんやなぁ~
歴史好きな人なんやろなぁ~って思って・・・
“歴史”・・・
今日は「幻の磐余池」現地見学会の日やったと思い出した!
すぐに「幻の磐余池」へとハンドルをきった。
@「幻の磐余池」見学会に考古学ファン500人以上 奈良・橿原
日本書紀や万葉集に登場しながら、所在地が不明だった「磐余(いわれ)池」の一部とみられる人工池の堤跡(6世紀)が見つかった奈良県橿原市東池尻町で17日、現地見学会が開かれた。
早朝から多くの考古学ファンが詰めかけ、同市教委は午前9時の開始を約40分繰り上げた。
午前10時半までに500人以上が訪れ、堤の上から出土し、聖徳太子の父・用明(ようめい)天皇の宮の関連施設とも考えられる大型建物跡(6世紀後半)などを熱心に見学していた。
万葉集に収められ、大津皇子(おおつのみこ)の辞世の歌に詠まれた磐余池があったとされるのは、堤跡の南側一帯で現在は水田が広がっている。
堤跡から「幻の磐余池」を見渡した京都府八幡市の平田年子さん(77)は「のどかな里山のようなこの地で、大津皇子が寂しい歌を詠まれたかと思うと、自然と涙があふれてきました」と話していた。
その帰り、なにか忘れているのに気がついた。
ん・・・ん・・・
なにを忘れてるんやろうか???
車を運転しながら・・・
そのとき、道路脇をハイカーの姿が・・・
この寒いのにご苦労さんやなぁ~
歴史好きな人なんやろなぁ~って思って・・・
“歴史”・・・
今日は「幻の磐余池」現地見学会の日やったと思い出した!
すぐに「幻の磐余池」へとハンドルをきった。
@「幻の磐余池」見学会に考古学ファン500人以上 奈良・橿原
日本書紀や万葉集に登場しながら、所在地が不明だった「磐余(いわれ)池」の一部とみられる人工池の堤跡(6世紀)が見つかった奈良県橿原市東池尻町で17日、現地見学会が開かれた。
早朝から多くの考古学ファンが詰めかけ、同市教委は午前9時の開始を約40分繰り上げた。
午前10時半までに500人以上が訪れ、堤の上から出土し、聖徳太子の父・用明(ようめい)天皇の宮の関連施設とも考えられる大型建物跡(6世紀後半)などを熱心に見学していた。
万葉集に収められ、大津皇子(おおつのみこ)の辞世の歌に詠まれた磐余池があったとされるのは、堤跡の南側一帯で現在は水田が広がっている。
堤跡から「幻の磐余池」を見渡した京都府八幡市の平田年子さん(77)は「のどかな里山のようなこの地で、大津皇子が寂しい歌を詠まれたかと思うと、自然と涙があふれてきました」と話していた。
大土木工事だったのでしょう。奈良の都から、当時の全国へ太い道が作られていたとか。重機が無くても意思があればでしょうか。
桜井には「磐余」と名のつくモノがたくさんあります。
(橋や学習塾の名前にも・・・)
写真に写っている竹藪の向こうにある集落は「池ノ内(いけのうち);桜井市」です。
この遺跡が発掘された東池尻(橿原市)も「池」がつくのが興味深いですね!
>以前談山神社へ行くバスに乗っていた時、磐余姫って言う道路標識を見たとおもうのですが・・・
以前にも書いておられたのですが,私は見たことがありません???
この遺跡があるは「東池尻」ですが,同じ橿原市内に「西池尻」という地名もあるのです。
でも,「西池尻」は畝傍山の西側にあるので,この「東池尻」からは香具山と畝傍山を挟んでかなりの距離があるんですよ???
>絶対証拠写真を・・・なあんて、ね。
桜の頃ですか・・・
証拠写真待ってま~す!