大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

幻の磐余池へ

2011年12月18日 | 橿原市
昨日の昼前、古本屋へこの冬、炬燵で読む本を探しに出かけた。
その帰り、なにか忘れているのに気がついた。
ん・・・ん・・・
なにを忘れてるんやろうか???
車を運転しながら・・・
そのとき、道路脇をハイカーの姿が・・・

この寒いのにご苦労さんやなぁ~
歴史好きな人なんやろなぁ~って思って・・・
“歴史”・・・
今日は「幻の磐余池」現地見学会の日やったと思い出した!
すぐに「幻の磐余池」へとハンドルをきった。

@「幻の磐余池」見学会に考古学ファン500人以上 奈良・橿原

日本書紀や万葉集に登場しながら、所在地が不明だった「磐余(いわれ)池」の一部とみられる人工池の堤跡(6世紀)が見つかった奈良県橿原市東池尻町で17日、現地見学会が開かれた。

早朝から多くの考古学ファンが詰めかけ、同市教委は午前9時の開始を約40分繰り上げた。


午前10時半までに500人以上が訪れ、堤の上から出土し、聖徳太子の父・用明(ようめい)天皇の宮の関連施設とも考えられる大型建物跡(6世紀後半)などを熱心に見学していた。

 万葉集に収められ、大津皇子(おおつのみこ)の辞世の歌に詠まれた磐余池があったとされるのは、堤跡の南側一帯で現在は水田が広がっている。

 堤跡から「幻の磐余池」を見渡した京都府八幡市の平田年子さん(77)は「のどかな里山のようなこの地で、大津皇子が寂しい歌を詠まれたかと思うと、自然と涙があふれてきました」と話していた。

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6 コメント

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Unknown (kazuyoo60)
2011-12-18 14:09:49
磐余が読めなかった小学生の頃を思い出します。
大土木工事だったのでしょう。奈良の都から、当時の全国へ太い道が作られていたとか。重機が無くても意思があればでしょうか。
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大きな規模ですねえ。 (山口ももり)
2011-12-19 09:54:26
歴史ってわかればわかるほど昔の人のやったことの大きさに目を見張る思いがしますね。この地に幼い聖徳太子や用明天皇一家が歩きまわっていたとは・・・・確か、以前談山神社へ行くバスに乗っていた時、磐余姫って言う道路標識を見たとおもうのですが・・・
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Unknown (瓜亀仙人)
2011-12-19 17:01:05
kazuyoo60さんへ
桜井には「磐余」と名のつくモノがたくさんあります。
(橋や学習塾の名前にも・・・)
写真に写っている竹藪の向こうにある集落は「池ノ内(いけのうち);桜井市」です。
この遺跡が発掘された東池尻(橿原市)も「池」がつくのが興味深いですね!
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Unknown (瓜亀仙人)
2011-12-19 17:06:32
ももりさんへ
>以前談山神社へ行くバスに乗っていた時、磐余姫って言う道路標識を見たとおもうのですが・・・
以前にも書いておられたのですが,私は見たことがありません???
この遺跡があるは「東池尻」ですが,同じ橿原市内に「西池尻」という地名もあるのです。
でも,「西池尻」は畝傍山の西側にあるので,この「東池尻」からは香具山と畝傍山を挟んでかなりの距離があるんですよ???
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それがねえ・・・ (山口ももり)
2011-12-21 09:52:12
無いといわれたら余計行きたくなるのが・・・私の性分で・・・は・は・は・・・もう一度、檀山神社へいきましょう。次は桜の頃に・・・ね。絶対証拠写真を・・・なあんて、ね。
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Unknown (瓜亀仙人)
2011-12-21 17:14:28
ももりさんへ
>絶対証拠写真を・・・なあんて、ね。
桜の頃ですか・・・
証拠写真待ってま~す!
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