大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

御厨子観音妙法寺へ

2011年12月19日 | 橿原市
あの土曜日,「幻の磐余池」現地見学会に行くのに車を停めたのが,“御厨子観音妙法寺”の駐車場。

御厨子(みずし)観音妙法寺は、 吉備真備(きびのまきび)が、入唐留学によって学芸を修めるとともに、唐から無事に日本に帰ることができたことに感謝し、735年(天平7年)に善覚律師(吉備真備の子)に命じて観音堂を創建させたことに始まるそうだ。

真備は、西暦716年(霊亀2年)、朝廷から遣唐使の一員に選ばれ、阿倍仲麻呂らと共に入唐留学したが、その年に彼は、日頃信仰していた観音様にご加護を祈り、「唐で学芸を修め、無事日本に戻ってくることができたなら、自分の領地に先祖の霊を祭る建物を造り、仏恩に報います。」と誓ったという。
彼は、唐に18年間留まったが、その間、苦しいことにあうたびに観音の化身が現れ助けられたとか、鬼(阿倍仲麻呂)に助けられて囲碁の御前試合に勝ったとか、クモに助けられてむずかしい詩(野馬台詩)をよんだとかなどの話が伝えられている。
吉備族退潮のあとも、この寺は、観音堂の霊験加護にあやかろうとする人々によって支えられ、盛時には、およそ5万平方メートルの境内に、北室院、南室院等の塔頭寺院が並び立ったと言われている。その後、数々の戦乱、火災等にあい、今では、当時をしのぶ建造物はなく、仏像も長い年月を経て作り替えられた。
現在のお堂は、元禄時代に、当観音を信仰する人々によって、焼け残った資材を集めて再建されたもの。吉備真備が書いた「大般若経」は、現在も奈良国立博物館に保管されている。

@“御厨子観音妙法寺”の「みずし」のいわれ
・由来その1
この寺の東側の低地には「磐余池(いわれのいけ)」があったといわれている。
このお寺が磐余池の端の方にあった(水尻にあった)ことから、「みずしり観音」→「みずし観音」となったという説がある。

・由来その2
このお寺が、美しい厨子の中に、観音様を中心にして東西南北(四面)に数々の仏を配置していることから「厨子観音」となり、これに「御」を付けて、「御厨子(みずし)観音」となったという説がある。
コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 幻の磐余池へ | トップ | 御厨子神社の月の輪石 »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
吉備族・・・ (山口ももり)
2011-12-21 09:49:19
やっぱりならは京都よりよっぽど面白そうです。吉備族、加茂族、葛城族・・・現在の奈良市内より明日香の地の方がよほど早くひらけたのでしょうねえ。いわれ池・・・見たいなあ
返信する
Unknown (瓜亀仙人)
2011-12-21 17:12:20
ももりさんへ
>やっぱりならは京都よりよっぽど面白そうです。吉備族・・・
写真のお寺から北西の方角(三輪山の方)へ歩くと,すぐにある集落が桜井市吉備なんですよ!
返信する
マタマタアア・・・ (山口ももり)
2011-12-22 09:42:48
またまた行きたくなるじゃありませんか。来年こそ・・・一度、瓜亀様の「これぞ!!!」って言う所に案内して欲しいものです。
返信する
のった~♪ (miwako)
2011-12-22 10:23:40
お師匠様の人差し指に止~まったぁー♪イヒx^。
返信する
Unknown (瓜亀仙人)
2011-12-22 23:08:05
ももりさんへ
>またまた行きたくなるじゃありませんか。
さすが年末、来年に繋がるお言葉をいただきました。
来年も宜しくお願いします!
返信する
Unknown (瓜亀仙人)
2011-12-22 23:09:37
miwakoさんへ
>お師匠様の人差し指に止~まったぁー♪イヒx^。
私も留まった!
返信する

コメントを投稿

橿原市」カテゴリの最新記事