奈良市の新薬師寺の近くに“飛鳥中学校”という学校がある。
私はなぜ“奈良市で飛鳥中学校?”なのか疑問を感じていた。
二上山を越えた大阪・河内の“近つ飛鳥”は有名なんやけど・・・
あの日、奈良ホテル前の国道を歩いていると、東側の紅葉した小山(丘陵)が気になった。
どうやらそこには、まだ見たことのない神社があるらしい。
またまた鳥居発見!
私はそこから先に入れない・・・
神社の名前は、“瑜伽(ゆが)神社”。
御祭神は、宇迦之御魂大神、別名を豊受大神と云い、伊勢外宮に鎮座する大神と同神で、一粒の種から万培の豊壌をもたらす広大無辺の神徳を持ち、縁結び、子孫繁栄商売繁盛など福徳を招来して下さる神さんだそうだ。
上古飛鳥神奈備に飛鳥京の鎮守として建てられたのを、平城遷都と共にここへ移って来られた。それでこの辺りを“奈良の飛鳥”と云い、社は飛鳥の元宮に対し「今宮」と呼ばれていたという。
一の鳥居より長い石段を登ると、右手に飛鳥神並社と「飛鳥の御井」が在り、この井戸は高い所に在るのに枯れた事が無く、昔は宮人たちが野点に使用していたらしい。
また、大伴坂上郎女が、733年(天平5年)に南方遙かに飛鳥古京を望み詠んだ
ふる里の飛鳥はあれど青丹よし 平城(なら)の明日香を見らくしよしも
という万葉歌碑も建っているという。
“瑜伽神社”前の小径をさらに東へ歩いて行くと、“天神社”が在った。
始めにここへ祀られたのは少彦名命で「手間天神」と呼ばれたが、その後に平安時代白河天皇の頃、御霊信仰の主神で学問勉学の神である菅原道真の霊(天満天神)が併せ祀られたそうだ。
奈良の飛鳥なぁ・・・
奈良の都人にとって「飛鳥」とはいったい何やったんやろかなぁ?
「写真;瑜伽神社」
私はなぜ“奈良市で飛鳥中学校?”なのか疑問を感じていた。
二上山を越えた大阪・河内の“近つ飛鳥”は有名なんやけど・・・
あの日、奈良ホテル前の国道を歩いていると、東側の紅葉した小山(丘陵)が気になった。
どうやらそこには、まだ見たことのない神社があるらしい。
またまた鳥居発見!
私はそこから先に入れない・・・
神社の名前は、“瑜伽(ゆが)神社”。
御祭神は、宇迦之御魂大神、別名を豊受大神と云い、伊勢外宮に鎮座する大神と同神で、一粒の種から万培の豊壌をもたらす広大無辺の神徳を持ち、縁結び、子孫繁栄商売繁盛など福徳を招来して下さる神さんだそうだ。
上古飛鳥神奈備に飛鳥京の鎮守として建てられたのを、平城遷都と共にここへ移って来られた。それでこの辺りを“奈良の飛鳥”と云い、社は飛鳥の元宮に対し「今宮」と呼ばれていたという。
一の鳥居より長い石段を登ると、右手に飛鳥神並社と「飛鳥の御井」が在り、この井戸は高い所に在るのに枯れた事が無く、昔は宮人たちが野点に使用していたらしい。
また、大伴坂上郎女が、733年(天平5年)に南方遙かに飛鳥古京を望み詠んだ
ふる里の飛鳥はあれど青丹よし 平城(なら)の明日香を見らくしよしも
という万葉歌碑も建っているという。
“瑜伽神社”前の小径をさらに東へ歩いて行くと、“天神社”が在った。
始めにここへ祀られたのは少彦名命で「手間天神」と呼ばれたが、その後に平安時代白河天皇の頃、御霊信仰の主神で学問勉学の神である菅原道真の霊(天満天神)が併せ祀られたそうだ。
奈良の飛鳥なぁ・・・
奈良の都人にとって「飛鳥」とはいったい何やったんやろかなぁ?
「写真;瑜伽神社」
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