
私が訪れた志摩半島は、平仮名の「つ」のような形をしている。
その最後、「つ」の筆をはらう陸と海の境目に御座という漁港がある。
私は賢島という近鉄電車の終着駅から、定期船で御座に渡る予定をしていた。
しかし、この土曜日は春の嵐、波浪警報の影響が心配で・・・
今回の旅で是非観たかったのは、この御座港のはずれにあるという「御座の潮仏」。
海中に鎮座する石仏で干潮時に姿を現すという。
昔、村人の夢枕に仏様が立たれ、
「腰から下の病気を皆に代わり洗い流すために海の中にいるので決して高いところに移すことのないように」 と言われたという伝承があり、婦人病・子宝にご利益があると海女達の信仰厚い石仏であるとのこと。
無事到着した御座漁港の片隅に歌碑が建っていた。
「志摩の津に海女が
悲願に生(あ)れまして
潮のもなかに いますみほとけ」
碑の裏には「昭和二十八年夏この地に遊びたる木俣修、この潮のもなかのみほとけを潮佛と呼びてなしたる歌一首をここに刻む」 と書かれていた。
港から小さな鳥居をくぐって磯沿いの道を行き、海中から現れるという不思議な仏を探した。
海に向かって拝む場所があり、海中には石柱?が何本か立っていた。
覗く角度を変えると石仏を発見!
なぜこんなに正面から見えにくい角度に仏がおられるのか?と疑問に感じながら拝んだ。
鳥居の横の解説板によると、この石仏のお寺の総本山は、大和の国の長谷寺とある。
潮仏と大和の国との不思議な縁を感じながら宿へと向かった。
翌日の日曜日、私は早起きをして港の防波堤で釣りをした。
潮仏の前に多くの人(海女?)が集まり、拝んでおられた。
そして今日、16日よりこの地域の海女漁が解禁されるとのこと。
帰宅後、潮仏について再度調べた。
私が拝んだのは、どうやら潮仏ではなかったようだ。
本物の潮仏は、その石仏の2つ左隣の石やったらしい・・・
あ~あ~一生懸命拝んだのになぁ~ 御利益が・・・
「写真;御座の潮仏」
その最後、「つ」の筆をはらう陸と海の境目に御座という漁港がある。
私は賢島という近鉄電車の終着駅から、定期船で御座に渡る予定をしていた。
しかし、この土曜日は春の嵐、波浪警報の影響が心配で・・・
今回の旅で是非観たかったのは、この御座港のはずれにあるという「御座の潮仏」。
海中に鎮座する石仏で干潮時に姿を現すという。
昔、村人の夢枕に仏様が立たれ、
「腰から下の病気を皆に代わり洗い流すために海の中にいるので決して高いところに移すことのないように」 と言われたという伝承があり、婦人病・子宝にご利益があると海女達の信仰厚い石仏であるとのこと。
無事到着した御座漁港の片隅に歌碑が建っていた。
「志摩の津に海女が
悲願に生(あ)れまして
潮のもなかに いますみほとけ」
碑の裏には「昭和二十八年夏この地に遊びたる木俣修、この潮のもなかのみほとけを潮佛と呼びてなしたる歌一首をここに刻む」 と書かれていた。
港から小さな鳥居をくぐって磯沿いの道を行き、海中から現れるという不思議な仏を探した。
海に向かって拝む場所があり、海中には石柱?が何本か立っていた。
覗く角度を変えると石仏を発見!
なぜこんなに正面から見えにくい角度に仏がおられるのか?と疑問に感じながら拝んだ。
鳥居の横の解説板によると、この石仏のお寺の総本山は、大和の国の長谷寺とある。
潮仏と大和の国との不思議な縁を感じながら宿へと向かった。
翌日の日曜日、私は早起きをして港の防波堤で釣りをした。
潮仏の前に多くの人(海女?)が集まり、拝んでおられた。
そして今日、16日よりこの地域の海女漁が解禁されるとのこと。
帰宅後、潮仏について再度調べた。
私が拝んだのは、どうやら潮仏ではなかったようだ。
本物の潮仏は、その石仏の2つ左隣の石やったらしい・・・
あ~あ~一生懸命拝んだのになぁ~ 御利益が・・・
「写真;御座の潮仏」
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