大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

法華寺へ

2011年02月21日 | 奈良市
平城京大極殿前の道を走って海龍王寺へ。
その寺の横にあった春日社を散策していたら,法華寺への抜け道(近道)を見つけた話まで書いた。
その後,雪が降ったり,人間ドックへ行ったりして法華寺のことを書いていなかった。

法華寺は,大和三門跡に数えられる、品格ある尼寺。
もと藤原不比等の住居であったものを、光明皇后が総国分尼寺として建立した。
法華滅罪の寺と称し、七堂伽藍を備えて隆盛を極めた。
平安遷都とともに衰え、豊臣秀頼の母淀君によって現在の構えに整えられた。
本堂は桃山時代に再建された和様の仏殿で、木造十一面 観音立像〔国宝〕、乾漆維摩居士坐像〔重文〕などが安置されている。
庭園は江戸時代初期につくられたとされ、横笛堂は滝口入道との悲恋の物語で有名な横笛が出家後に住んだといわれるもの。
光明皇后をモデルに刻んだといわれている木造十一面 観音立像や、護摩の灰を粘土に混ぜて形を作り、文様彩色を施した愛らしい犬形のお守りでも知られている。

※から風呂
法華寺の東門を入って北東へ進むと「から風呂」が建っている。法華経を信仰した光明皇后が難病者の為に入浴の恵を与えた浴室で、屋外で湯を沸かして、蒸気を室内に取り入れる様になっており、ある時、皇后が、患者1000人の垢を流すべく誓いを立て、一生懸命汗を流していたら、1000人目は膿を垂らした老人で、それを吸って呉れと云い、そこで皇后が嫌がりもせず、正に膿を吸おうとしたら、老人は阿閦仏(あしゅくぶつ)になって光明を放ったという。なお、建物は室町時代末に改築されているが、唐破風を付けた内部の様式や敷瓦の遺構は昔のままで、部材も古い時代の物が使われている。
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4 コメント

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Unknown (瓜亀仙人)
2011-02-25 17:54:43
ももりさんへ
昨夜,司馬遼太郎「城をとる話」を読み終えたので,「軍師二人」を読み始めました!
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「城をとる話」ですか (山口ももり)
2011-02-25 10:25:40
「城をとる話」ですか・・・今「徳川家康」25巻。終わったら「城西」司馬遼太郎上中下。そのあと「城をとる話」これは忙しい!!!
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Unknown (瓜亀仙人)
2011-02-23 17:39:53
ももりさんへ
>太閤秀吉が残した大阪城の財宝をナントか消耗させようと・・・
その話を聞いたことがあります。
今,私は司馬遼太郎『城をとる話』を読んでいます。
関ヶ原の戦い直前の上杉氏と伊達氏の話です。
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もう、これは行かなくては (山口ももり)
2011-02-23 10:58:24
ア・ア・ア・・・気の多い私ですが、ここのブログへ来ますと、あちらこちら行きたいとこばっかり。・・・豊臣秀頼の母淀君によって現在の構えに・・・へ・え・え・ 今、徳川家康、全26巻の24巻。太閤秀吉が残した大阪城の財宝をナントか消耗させようと、全国の仏閣寺院を修復するようにしむけます。此処もやったんやねえ。
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