日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

帰る日

2015-11-09 17:49:21 | 日記
おめでとうみんな 神様から祝福されるよう祈ります わたしたちの友達 家族 みんな神様から 恵まれて過ごしましょう この日を(新聖歌489)



23日は帰る日。また朝食前に何かを撮ろうと、御嶽山を眺めば昨日とは全く違って霧か蒸気で見えません。近辺の情景をキャッチしようと出かけました。何とまた霧がかなり濃くて、霧のよく出る土地なのだと再確認しました。





木曽馬の里周辺が美しいかも?と思いましたが、北か東方面の農地に入りました。









凄い霧が棚田を這い上がり、なかなか美しい。しか~し、ここが何処なのか?農家が立て込んでいます。
国道に出なくてはいけないのは解りますから、国道を探すのに知らない地は大変でした。
でもようやく国道に辿りホッ。



開田高原の入口に来てしまいました。風景はその日の天候や光で大きく違います。





宿に戻らなきゃ!木曽馬の里の方は公園になってるのでしょうか。





水車小屋もあって、旅情をそそります。



ナナカマドの実もなっていました。その後宿を後にしましたが、、、赤沢休暇村?をナビにセットしましたが、
何と中津川方面まで!これはイカンと木曽福島方面に戻って来ましたが、見つからない!仕方なく、人に聞いて、木曽川の川縁に降りパチリ。



3日共、道に迷う情けないものでしたが、何とか予定を熟せたかな?珍しい所や美しい所に出会いました。またとびきりおいしい食事も。今となれば楽しい思い出が与えられました。

上の言葉
(昨日の礼拝は子供祝福会でした。10名程の可愛い小学生達の子供聖歌を上手に歌ってくれて、胸が一杯になりました。またみんなで暗証聖句も。日曜学校の先生方の奉仕も大変でしょうが、こうして子供達が何人クリスチャンとして成人するかは解らないですが、大人になり、ハッとイエス様の事を思い出してくれたら、と思います。会衆は感動の拍手を送りました。 子供に真理を伝える重要さを覚えます。)






やっと自然湖へ

2015-11-07 08:53:05 | 日記
あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。(コリント人への手紙 第一 10章13節)



やっと自然湖へ辿り着きました。写真誌やネットで時々拝見する神秘的な湖には1度は行きたいと思っていました。それが木曽路にあるとは、ネットで行く前に見たから知ったのです。やはり枯木が林立してました。
これは御嶽山の地震で、地崩れで王滝川が堰き止められ出来たものです。なかなか神秘的です。



やはり昼間というのに、霧があるのでしょうか、光芒が出ています。御嶽山の蒸気でしょうか。不思議な光景が開けます。



少し光が指して来ました。









皆さんどの様に撮ってられるのか、、、まぁ初めての地、赴くままに。



横の道を入ってアングルを変えるとより神秘的かも解りません。





カメラマンが5人は見ました。カメラマンしか来ない場所かborder="0">



朝はどんな様相をしているのでしょう?宿で見た写真ではブルーの世界でした。刻々と変る自然。だから面白いのでしょうね。またその自然をまじかに見れるその幸いを感じました。





苦労してはいった奥地ですが、何とか来れました。地図上では開田高原からよりも、国道19号線から(木曽福島の当たり)はいった方が近い様ですが、さて、、、

上の言葉
(この御言葉も何度励まされた事でしょう。人其々、闘いがあるものだと思います。私は娘で軽いと言うものの、1年半障害児のお母さんと交流があり、大変な苦労!と思ってましたが、どんな子も大人になるまで親の責任として、闘いがあるのだ、とつくづく思います。また近隣の方々、ネット上、我が家もですが、病と闘ってる人が多い。若い時には思わなかった事が、、、また仕事上、本当に数えれば幾多の事でしょう。

でも脱出の道も開かれる事も確かです。それを努力しつつ待たねば!かならず、、、)






王滝村

2015-11-05 10:28:22 | 日記
そこに、38年もの間、病気にかかってる人がいた。。。。彼に言われた。「よくなりたいか。」病人は答えた。「主よ、私には、水がかきまわされた時、池の中に「私を入れてくれる人がいません。。。。」イエスは彼に言われた。「おきて、床を取り上げて歩きなさい。」すると、その人は直ぐに治って、床を取り上げて歩きだした。



木曽町の次は王滝村に入ります。その境目に御岳湖がありました。昼間ですから立体感が無く、美しさは失せています。







色んな川が伸びています。



変った川があって、昼間なのに、向こうの山は霞んでいます。その川は近畿や、北部長野、信越、東北でも見かけなかったものです。こちらの川は河川の両側は葦、雑草、柳があるか、並木です。長野も雑草だったか。しかしこの川は両岸の水辺は雑木林に覆われ、それが広い!また延々と続きます。何故か霧?蒸気?が立ち込めています。これは御嶽の噴火の為か?







暫く進むとこれが王滝川でしょう。川の水がブルーで大変美しい!多分火山物質の為と思われます。やはり川岸は煙ってる感じです。



人工の滝に美しい紅葉が。

自然湖の標識があるのですが、道が少し細くなり、ナビは消えてしまいました。もうなんてえ~ナビ!
舗装もしてる道なのに。心細くなり、一軒家がありピンポンして訪ねました。「この道まっすぐに行けば池ですよ、と親切に教えて下さいました。15分とか。延々と道は続きます。







途中で美しい紅葉がありました。向こうの山は相変わらず少しもやってます。光がさして良い感じです。







随分奥地へ来ました。もう直ぐ自然湖の様です。

上の言葉
(病はたいへんです。苦しいです。風邪でもシンドイですから。精神的に疲れてしまう病気もありますね。
先日のゴスペルの先生が証をしてられましたが、若い時、治らない病気ですよ、と医者に告げられまして、ほぼ諦めてられたのですが、3年前癒されたとか!私も1度。腎臓に腫瘍が。腎臓の腫瘍は癌と決まってるらしいです。18年前摘出手術をしました。その時は必死で、まだ息子も結婚してないし、母も入院中。どうかもう少し命を長くして下さい、と祈りました。それが奇跡的にも良性だったのです。主は私憐れんで下さいました。今なら責任の少ない身になり、喜んで去れる様にして頂きたいです。)

木曽町の紅葉

2015-11-03 18:14:51 | 日記
強くあれ。雄雄しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。(ヨシュア記1章9節)



さぁ、自然湖に向かって出発です。1時間20分はかかるとか。道で何回止まって撮るか解りませんから、何時間かかるやら。









こんな山奥に農家の方が住んでられるのですね。木曽は御嶽山の回りは広いので、平野も少々あって、集落が点在してる様です。長野県の南部ですから。





山の紅葉が美しくなって来ました。今が見頃らしいです。





初めこの向こうに見える橋の上でこちらに向け撮ってました。そしてこの地点に来たらカメラマンさんがおられ、こんにちは、良い紅葉ですね、と言えば、あんたここで自分が撮ってるのに、早く退いてくれな困る!と言って怒られた。直径長いのに撮ってられるのは見えないけどなぁ、、、でもここは1番綺麗な見所でした。





山の紅葉は余り知らないので戸惑います。妙高はブナ1色。滋賀高原ではナナカマドと白樺でしたから。珍しいでした。

上の言葉
(39歳でキリストを信じましたが、解決出来ない重荷が多くありました。何とか!と迫られる物事もあります。心配事は山積。勇気を要することもあります。そんな時、本当に自分の弱さが思い知らされます。
このおそれるな、おののくな、わたしがあなたと共にいる、の御言葉でどれだけ励まされ勇気を与えられたことか!ひとつひとつ乗り越え、私は強められました。涙溢れることが、どれだけあったでしょう。余り思い出したくないし、また今あるは神の恵みと思っています。)





濃霧の田畑

2015-11-02 08:32:24 | 日記
人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。(マタイの福音書16章26節)



宿へ朝食を取りに帰るまでまだ時間があります。見渡せば棚田状の農地に濃霧が遅くまで立ち込めてます。やはり標高が高いのでしょう。







よくどこれだけと言いたいですが、こちらでは宇治田原へ行かなくては見れない、いやいつでも見れる訳でないので、実際は珍しくて喜んでいたかな、、







少し日が指して来た様です。





泊まったペンションは特別美味しい食事で満足です。しかし噴火後グンと客足が遠のいたとか。
昨日は多くの客でしたが今日は私達だけとか。だからとっても喜んで下さいました。お客さんあって
のペンションですからと。

上の言葉
(若い時、いづれ死ぬのになぜアクセクするのだろう?と思っていました。しかしキリストに出会い、命を与えて下さいました。「何を言ってるねん!この世で成功するのが1番やがな!」という声が聞こえそうです。では「あなたはどうしてこの世が出来、あるのが解りますか?」と言いたいですね。人は案外盲目なんです。私も盲目でした。でもキリストを知り、見えて来ました。ノーベル賞であれ、どんな富豪であれ、永遠の命を持つ事が出来ないのです。永遠の命は悔い改め、キリストを信じる信仰以外にないのです。この方を信じないと空しい人生なんです。)