日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

苔の庭

2016-09-20 14:07:35 | 日記
あなたがたは世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハネ16・33b)。



勧修寺には苔の庭がありますが、夏の暑さで枯れた部分が多く出来ていましら。この寺は寛大で、ガレージは無料、拝観料は世に倣わず安いまま。欲のなさはいつもだなと感じます。







でも苔の中に紫陽花が植わり、緑が美しいです。背後の小山が良い雰囲気を醸し出している様です。





可愛い紫陽花の木でしょうか。





落ち葉に紅葉近しを告げています。



台風が近畿に入ったでしょうか。でも案外今のところ、雨も強くはありません。助かっています。

上の言葉
(先程まで我が家で家庭集会でした。この箇所から学びました。生きている内には患難や苦労はつきまといます。もう人生が嫌!と命を絶つ人もあります。患難の時、キリストに任せて祈り、耐えて行けば、それを乗り越えさせて頂けます。この人と結婚すれば、こんなに苦労があると解らなかったと思える人も多い。解っていればやらなかった物事も多い。でも苦労に耐える忍耐を与えられ、そのくり返しで、強くしていただけます。キリストが十字架で、死に勝利された様に、我々も人生に勝利出来ます。天国の希望と永遠の命があるのですもの、こんな喜びはありません。)

初秋の花々

2016-09-18 07:59:02 | 日記
赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。
与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。




この花は花写真を習っていた時のものです。20年も経ったでしょうか。近くの畑にシオンの花が多く咲き、蝶が沢山集まっていました。フイルム時代でしたが夢中で撮ったものです。先生がほめて下さって半切にして喫茶店に飾って下さった懐かしい写真です。今この畑はガレージになっています。そしてその近所も住宅やマンションになっていて、時代の移り変わりを感じます。今はフイルムでなくデジタルなのでこんなのは難しいですし、私の体力や技能も落ちて撮れません。





宇治植で設定の仕方を間違えて連続多重になっていたものです。多重ならその様に目線を集中しますが、無意識ですからどうやって撮ったやら。。。風景まで多重のままだった様です。話にならない失敗です。





台風が近いので湿気の多い今日です。災害がありません様に。

上の言葉
(人を赦すのは至難の業では行きません。今朝も夫と話していたのですが、いろんな性格の人があり、いろんな個性がある。自分も多くの醜さを持っている。それを思い、主が十字架にかかって、この罪を赦すために死んでくださった事さえわかれば、それでこの神への信仰は大丈夫。我々の罪は赦されてるのだから。人を赦さなきゃ。そうすればきっと神様から我々は祝されると。また人になにかを与えなきゃ。そうすれば自然と与えられるものです。)


古の庭

2016-09-16 18:36:57 | 日記
世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。(ヨハネの福音所16章33節)





勧修寺へは何度来たやら数えられません。写真を始めたばかりからでしょうか。以前は私が運転して来て
ましたねぇ。しかし今や、眼が。。。でもこうしてパチリが下手になっても出来る幸いを覚えます。





手前の灯篭は水戸黄門さんの寄贈とか。ユーモラスで人柄が忍ばれそうです。





赤い葉もあってやはり秋です。欄干に、また古が忍ばれます。

上の言葉
(生きておりますと、きまって平安であっても患難が迫って来るものです。何故~~~!もう生きるのが嫌になってしまった、と思う人もあるでしょう。でもまた忍耐をしていますと、平安な日々が必ずやって来ます。そしてまた患難。しかし永遠を感じ、また持っている人は患難でもそう苦しまないのです。だってこの世よりも、希望がありますから。本当にこの事を子供の様に、素直に信頼していれば、世に勝てるのです。)

植物公園の彼岸花

2016-09-15 08:35:43 | 日記
自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(マタイの福音書5章44節)



まだ彼岸花は早いですが、先日、宇治植物公園に咲いていましたので、写しました。咲いていると言ってもほんの少しです。白が早く咲くのかどうなんでしょう。



今朝は最低気温21度になってやはり秋がやって来ました。昼間も30度を少し下です。回りの様相も静まっ、て、やはり余り暑いのも寒いのも人間の体にはよくないですね。



批判花=秋  早く田んぼのこの花を撮りたいものです。



まだ半袖ですが、間もなく長袖に変わります。京都の紅葉は遅いですが、この秋は何とか遠出をしたいものですが、実現するかどうか?先は解りません。希望は持ちたいものです。



この花を撮って後に多重して、そのまま連続になっていて、しまった事をしたものです。ポンカン頭の私はよく失敗をやります。

上の言葉
(敵を愛する。何と難しい事でしょう。迫害する者の為に祈る、、、戦争の現状に遭遇した事はありませんが、でも近くの人で傷付いた事も過去にありました。そんな小さな事でも愛するのはなかなか難しい事です。しかしその方の為にいのる事は出来ます・受けた傷なんて時と共に癒されます。愛する、、、神様から頂いている聖霊によ心を持てるように祈らなければ、と思っています。これは人間の力ではどうする事も出来ません。神様の御力でそうならして頂きたいものです。)

秋の実

2016-09-14 08:59:34 | 日記
この私はあなたを忘れない。(イザヤ書49章15節)



お寺の入口の草木を見るともう秋の実でした。もう秋なんだ!と嬉しいですが、暑くて汗がにじみます。
こんなに暑くても自然は移り行くのだと確信しました。



赤い実は大好きです。秋は収穫の時ですね。



何の花の蕾でしょうか。おみなえし?趣のある花です。



大きな百日紅の古木があり、下の木に遮られ、撮れないですが、少し花が出てました。



赤く染まった葉、秋ですね。

某さんが、肝臓の手術をされ、肝炎の治療に入られるとか、その経費は新薬が発明されたもので何と500万とか。それは国の補助らしい。嬉しいですね。医学は進むのですが、高額になります。でも与えられた命。大切にしたいものです。

上の言葉
(神の愛は母の愛に似ているといいます。母はどんなことがあっても自分の子を守るものです。神はたとえ母が子を見捨てても私は守る、と言われます。人生の内、自分は見捨てられた様な気になる事もありますが、決して神は見捨てられないのです。祈って待ちましょう。)