日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

雨あがりの秋

2016-11-15 09:00:33 | 日記
「神よ、わたしが年老いて、しらがとなるとも、あなたの力をきたらんとするすべての代に宣べ伝えるまで、わたしを見捨てないでください。」詩篇71:18



今日は家庭集会を我が家でやりますから、掃除は前日にザーと。お菓子と果物を買っておいたので、適当に切ったり、盛り付けたりします。これも慣れで自分の奉仕と思ってますから、何ともないものです。むしろ感謝ですね。
皆さんをお迎えして、牧師も来て頂き、幸いな時です。メッセージと食べ物とお証や雑談。月1度ですが、楽しみでもあります。



こういった事は大層に考えなくて、ゆったりしてるのが継続のこつ。なによりもイエス様を伝えなきゃ、という思いが長く続ける元になっています。なんにも苦痛でなく、むしろ喜びでもあります。



昨年からAさんもその思いが深く、手伝ってくれるので助かって感謝です。



今は集う人を待つ、静寂です。



今日は私は司会でもあります。祈りつつ待ます。

上の言葉
イエス様の救いは家内安全無事息災のご利益のためではなく、また天国への資格を得るためでもありません。そのような恵みは結果として必ず伴いますが、第一の目的は私達のような弱い者、知恵の無い者、無きに等しい者を通して、神様の力を証明し、宣伝させるためです。その使命が達成されるまで生かされ、そのための境遇に置かれます。(KE)

庭の花

2016-11-14 15:13:43 | 日記
「たといわたしは飢えても、あなたに告げない、世界とその中に満ちるものとはわたしのものだからである。」詩篇50:12



志賀高原から帰り、ほんの少し息子と孫とで出かけたスナップ写真があるだけで随分写真はお休みしました。それで、庭を見ればどこにでもあるペチニアとベゴニアがあるだけ。寂しい庭になってました。気がつかずにボヤーと過ごした様です。



教会の姉妹で、長く独身で来られた方が先日結婚され、我が教会に挨拶に見えてました。相手は他教会で、少し若い男性ですが、子供があり、その方は4年位前に奥様を癌で亡くされたのです。1~2歳の子と夫が残り実に嘆きました。その後男手で子育て、仕事、家事をしてどれだけ大変だった事でしょう。でも家族になった3人を見て安堵しました。子供は5歳。アッ、ママがいない探してこ、という可愛い男の子。いきなり妻となり母となったのです。良い家庭を、そして平安があるように祈ります。



今日は案外暖かく、Aさんの御伴もをして病院へ。長く待ちます。前立腺癌の数値は右肩下がりで感謝です。これからは解りませんが、今のとこ心配はないのが本当に不思議です。10~20年長生きしても瞬く間の年月。今を感謝して生きようと言い合いました。



帰れば色々用事が。アー日々忙しい。

上の言葉
神様は人から助けてもらわなければならないほど貧弱な方ではありません。万物は私のものだと言われます。ところが、人は高慢ですから、自分達が神様を養い持ち運んでいると思い上がっています。「神様のために」してあげることなどなにもありません。それどころか一方的に神様から戴いたもので養われ生かされているのです。感謝しようではありませんか。(KE)

大自然との別れ

2016-11-13 09:08:50 | 日記
「もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。」ローマ6:8



国道への坂を上るのはどうしてシンドイのでしょう。回りが美しいので心紛わせますが。



薄い紅葉もあり、白樺が美しいです。



ホテル7~8時半までが朝食時間。早く戻りたい。心急きます。



霜はまだあります。



近畿ではとても見れない世界。これでお別れです。また来年も来たいですが。。。



光と影の世界ですね。車で少し待てば、Aさんがやはり私と同じ様に息が切れるのでしょう。今にも倒れそうに、おっちらおっちら、登って来ました。木道がおわり、まだ普通の細い道があって、そこに5名程の人がいて、ススキの霜を撮ってたとのこと。曲がっていたので、私には見えなかったのでした。

慌ててホテルで食事し、荷物を詰め込み帰途に。帰りは長野から中央線からです。幸いな旅でした。しかし毎日4時起き、-温度へ出るのも大変でしたが、鍛えられました。こんな事が出来る我々、感謝でした。

上の言葉
神様が全能者であろうと、愛の方であろうと、イエス様の十字架がなければ私達はいつまでも「縁なき衆生」にすぎません。十字架は私達の信仰の始まりであり終りでもあります。しかも、二千余年前のゴルゴタでの出来事としてではなく、今日生きているあなたはキリストと共に十字架に死んだものであって、甦ったイエス様によって生かされているのです。日々、キリストと共に死に、共に生きようではありませんか。(KE)

自然の営み

2016-11-12 09:42:48 | 日記
「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について…」第一ヨハネ1:1



この湿原に出現した風景になんと自然は偉大と思わずにはいられません。まだまだ知らない自然の偉大さが一杯あるでしょう。



Aさんが向こうで撮ってます。この時点では安心していました。しか~し、皆見えなくなりました。ホテルの食事の時間が迫っています。焦りが。



何故見えなくなったのでしょう?まさか靄と共に蒸発したのでもあるまいに。



困った!でもこの風景をもう少し撮らなきゃ。






手前に小さな木が現れました。



探すのも知らない土地。怖いので引き上げます


不思議な光景

2016-11-11 15:22:09 | 日記
「主はそのみこころにかなう事を、天にも地にも、海にもすべての淵にも行われる。」詩篇135:6



坂から湿原に降りれば何と前日とは違った靄とも霧とも言えないような不思議な風景が広がってるではありませんか!予想もしなくて、こんな湿原でも霜が深いとこんなになるのでしょうか。生まれて初めての出会いです。この日は帰る日ですが、2度も出会う事が出来た訳です。



レンズを望遠にすれば帯状になって面白い。





刻々と変わりますが、感動しつつパチリです。





こうして見ると霧の様ですね。





こんな変わった風景を見せてもらって、心も動揺しています。





今では雪でうずまってるでしょう。12月には横手山ドライブインより奥は通行禁止で

春や夏には山野草が咲きみざれる気がします。

上の言葉
私達の住む世界は混沌と無秩序がはびこって滅びへと進んでいるように見えます。しかし、神様は全てのなかに「みこころ」を行っています。ただ、私達は神様のご計画、みこころのすべてを知り尽くすことができません。たとえ見えるところがどんなであっても、神様はすべてのものの主権者でご自分の意図をすべてに貫く方です。今日もあなたの上にみこころを行ってくださいます。(KE)