日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

11月24日   御言葉をあなたへ

2023-11-24 14:38:23 | 日記
「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる」。イザヤ55:8

 神様は創造者、私たちは被造物、造られたものです。両者は全く違う者であることを十分知っているつもりです。しかし、気が付かないうちに人
は神様を自分と同列、否、召使のごとく思ってしまいます。今も私たちの人生を創造される神様があなたに何をしようとされるのか、到底はかり知
ることができません。主のなさることに一切委ねるのが幸いです。(KE)


                ベツレヘムを眺める

イエスの降誕地ベツレヘムはヨルダン川西岸のパレスチナ地区にあります。こうして見ると直ぐ近くにあるのですが、残念です。ヨルダン川西岸のパレスチナ地区も周りを塀で囲っているのでしょうか?ガダ区と違いイスラエルと共存しようとの姿勢があるようです。
イエスの降誕教会があり、旅行社によってはこのパレスチナ地区へのコースがあるらしい。安全な道が1か所あり、そこだけぐるっと走ってくれました。ややイスラエルより汚い気はしました。お互いに共存して分かち合えば平和に暮らせるのですがね。これが出来ないのが人間の醜さでしょう。


11月23日   御言葉をあなたへ

2023-11-23 15:50:06 | 日記
「人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ」。箴言19:21

 人の心は底なしの沼のようです。絶え間なく、次から次へと様々な思いが現れてはまた消えていきます。思いつく計画がすべて実行されるとなる
と、とんでもない事態になるでしょう。ところが、不思議なことにそうはならないのです。あなたの心を握っておられるのは神様です。思いつく
様々な計画案から選んで実現させてくださるのは神様だからです。(KE)
 

                   聖墳墓教会内
やっとの思いで外へ出れば明るくてホッツ。見ればリュックの沢山の山。ガイドさんは世界中を回り歩く教派があるとの事。何と変わった教派があるものです。でもいいなあ、なんて。
この後死海沿岸から数年前に旧約聖書の1部分が出て来て、博物館に保管し、展示してあるのを見に行きました。綺麗な字で全く破損された部分がないのに驚きました。なぜこんなに完全な状態で砂漠の中で保管出来てたのでしょう。
砂漠は乾燥してますから何百年も保管出来たのです。年に1度しか雨が降らないのですから。それをイスラエルの人達は水も大事にして砂漠に農作物まで作るから驚きです。

11月22日   御言葉をあなたへ

2023-11-22 17:32:33 | 日記
「人は自分の愚かさによって道につまずき、かえって心のうちに主をうらむ」。箴言19:3

 人は転んだり、失敗したりすると、自分の仕業を棚に上げ、他者に責任を負わせようとします。ましてや、神様を恨むなどとは言語道断、天に向
かって唾を飛ばすようなものです。どんな場合でも、自らを省みる事こそ、まずなすべきことです。自らの非を認め、悔い改めて主に助けを乞うな
らば幸いな結果が得られます。(KE)

                                                                   聖墳墓教会内
隣は質素な教会です。多分カトリックでしょうか。なにしろ7つの教派の管轄ですから、性格がくっきりです。何はともあれ聖書の中心となる所へ来ることが出来ました。
しかしイスラエルも大変です。1948年に建国され、世界に散らばっていたユダヤ人が故国に帰って来たのですが、役2000年近くたっています。白人の国に住んでいた人は白くなり白人らしく、黄人の国からの人はそれらしく。黒人の国からの人は黒くなっていたとか。しかし混血は少なく純粋のユダヤ人が多かったの4000年程前の約束の地に神に選ばれた民を帰されたのです。さてこれからどうなるのでしょう。

                                                       





11月21日   御言葉をあなたへ

2023-11-21 17:37:05 | 日記
「わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます」。詩篇130:5

 人は常に望みを持たないと生きることができません。そのため、人はどんなに小さなことであっても、それに期待し、その成り行きに望みをかけ
ますが、失望に終わります。神様に期待し、その約束の言葉に信頼するなら、決して失望することがありません。相手は出来ない事のない全能の神
です。(KE)

                  遺体置き場

6時間たってイエス様は息を引き取られました。その間には「父よ彼らを赦したまえ。彼らは今なにをしてるのか解らないのです。」と天の父に祈られました。苦しさを超え自分を殺す人々の赦し祈られたのです。何という愛でしょう。我々の侵す罪の赦しの為に、罪のないイエスは我々が十字架に貼られなければならないのに、変わりに十字架で死んで下さったのです。そこに愛があるのです。そしてイエスを信じた信仰者は天の永遠の命を与えると約束の契約をして下さったのです。
愛は自分を犠牲にして人を生かす事です。それ以上の愛はないし、我々はそんな愛を持ち合わせてないのです。
この画像で多くの人は泣きに行かれます。私も泣きたかったけど、寄り付かれないです。まあ同じ旅行グループの人が泣いてられる。色んな民族の人と一緒に。


     


11月20日   御言葉をあなたへ

2023-11-20 18:03:58 | 日記
「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です」。詩篇119:105

 不慣れな場所で、夜歩くとき、行く道筋を照らしてくれるものがなければ、不安です。同様に、人生行路を行くにも、最終目的地に着くまでの道
筋を照らして教えてくれるものがあれば、どんなにか心安らかであろうと思います。聖書のみ言葉は「ともしび」「光」となって道を照らして、目
的の地へ導いてくれます。(KE)


         十字架処刑場
もっと清らかな美しい所と夢に描いていましたが、ガッカリ!!まるで寺の本堂みたいではないですか。考えてみれば7つの教派で維持しているのだから仕方ないかも。この場所は多分ギリシャ正教かロシア正教の維持と思えます。凄くきらびやかなんです。
もの凄く多い観光客で側に行けない。同じ旅行グループのある人は十字架の柱の穴に触って来たとか。しあった!2千年前の事。その間多様な事で荒らされてる事でしょう。この場所も地下が5m下がってるとか。地面は下がるものなんですね。
何はともあれ、イエスの十字架の場所へ来れて良かった。しかし、、、処刑方法で十字架の刑程重いものは無いのです。両手を太い釘で板釘付けにされ足を重ねて1本の柱に釘付けです。それを死ぬまで。十字架だから体は下がって益々痛みはまします。イエスの場合6時間かかったとか。本当はみにくい罪人の我々が神の前で十字架にかからねばならないのです。それをイエス様は我々の変わりに十字架にかかって死んで下さり、我々の罪は許されたのです。そして天の約束があります。そこにキリストの愛があるのです。