10月1日、市川團十郎の復帰会見が行われた。
まずは元気になられてホント良かった。
常に毀誉褒貶というか賛否両論のこの人の芝居だが、おんなじタイプの役者が決していないタイプなだけに、倒れて初めて貴重な人だと感じてしまった。
わたしは、この人を褒めている人に対しても、貶している人に対してもかねがね不満を持っていて、間違っていると思っている。この人は「團十郎」という役者の手本にならなければいけない名跡(そんなイメージができてしまったのは九代目以降だと思うが。)でなければ、きっと一種の怪優として伸び伸びと芝居をしていたのではないかと思っている。たとえていうなら、映画俳優のシュトロハイムのような怪優に。
不思議なことだが、日本の役者がリアリズムにこだわろうとすると、妙に心理主義風の五月蝿い芝居になってしまう傾向があって、その最悪の例が近年の幸四郎だと思うのだが、幸いにも当代團十郎にはそれがない。(故に腹芸がない、なんて批判はまったく的外れ。)心理など解読不能なペルソナというような趣があって、この個性が底なしの暗黒のような色悪に結実してくれないかなといつも期待してしまう。「愚かなる妻」のシュトロハイムや「黒い罠」のオーソン・ウェルズみたいに。(だから先代萩の八汐はほんとがっかりしたんだな。「盲長屋」なんかに期待したい。)
死の淵から生還した、成田屋。この際だから、もう「良い人」というイメージをあっさり捨てて、伸び伸びとした舞台人生後半を全うしてください。良い人風じゃないところだけ、海老蔵を見習って。
PS:でも「鳥辺山心中」ってつまんない芝居だと思うんですけどね、松竹永山会長!
まずは元気になられてホント良かった。
常に毀誉褒貶というか賛否両論のこの人の芝居だが、おんなじタイプの役者が決していないタイプなだけに、倒れて初めて貴重な人だと感じてしまった。
わたしは、この人を褒めている人に対しても、貶している人に対してもかねがね不満を持っていて、間違っていると思っている。この人は「團十郎」という役者の手本にならなければいけない名跡(そんなイメージができてしまったのは九代目以降だと思うが。)でなければ、きっと一種の怪優として伸び伸びと芝居をしていたのではないかと思っている。たとえていうなら、映画俳優のシュトロハイムのような怪優に。
不思議なことだが、日本の役者がリアリズムにこだわろうとすると、妙に心理主義風の五月蝿い芝居になってしまう傾向があって、その最悪の例が近年の幸四郎だと思うのだが、幸いにも当代團十郎にはそれがない。(故に腹芸がない、なんて批判はまったく的外れ。)心理など解読不能なペルソナというような趣があって、この個性が底なしの暗黒のような色悪に結実してくれないかなといつも期待してしまう。「愚かなる妻」のシュトロハイムや「黒い罠」のオーソン・ウェルズみたいに。(だから先代萩の八汐はほんとがっかりしたんだな。「盲長屋」なんかに期待したい。)
死の淵から生還した、成田屋。この際だから、もう「良い人」というイメージをあっさり捨てて、伸び伸びとした舞台人生後半を全うしてください。良い人風じゃないところだけ、海老蔵を見習って。
PS:でも「鳥辺山心中」ってつまんない芝居だと思うんですけどね、松竹永山会長!
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