これは、とても、とても悲しい話。村上春樹の生原稿が古書店などに流出、亡くなった編集者・安原顕氏が流していたらしい。世の多くの村上春樹・読者のなかでどのくらいの人が生前の安原さんのことを知っているのか定かではないけれど、通称「ヤスケン」を愛した読者にとって、また、作家になる以前からの知り合いである村上春樹にとっても、大変につらい、淋しい話に違いない。でも、正直なことを言うと、彼の亡くなる前から「彼が生原稿を流出させている」という噂をわたしは聞いていた。そんなわけで、とにかく真相が知りたくて、村上春樹による告発が載った『文藝春秋』(4月号、10日発売)を急いで買いに行ったんだけど…。
<村上春樹>直筆原稿が古書店に大量流出 編集者が無断売却
まず、村上春樹の文章「ある編集者の生と死」に倣って、わたしの安原顕氏に関する記憶を書いておこうと思う。
わたしが自称・スーパーエディター・安原顕氏のことを知ったのはいつ頃のことだったのか、じつは記憶が定かではない。ただ、多分映画絡みの彼のプロデュース本がきっかけだったんだと思う。何しろ、当時のわたしは映画関連の本なら何でも目を通しているような生意気なガキで、学校サボって映画館と古本屋をはしごする毎日。実際、わたしの周囲の映画好き、本読みには安原氏の書評や映画評の愛読者が多かったから、別に例外的な出会いでも何でもなかったと思う。それに、たま~にではあるけれど、本人がテレビに出ることもあった。(独特の鬚面にサングラス、一度見たら忘れられない、あの風貌!)
わたし自身、映画はもちろん、活字の世界に関心を持っている子供だったから、彼の歯切れのいいエッセイや書評にはすぐにイカレてしまって、「ふざけんな」シリーズなんかも読んでいたし、彼の講演会にさえ行ったことがある(因みに、わたしが学生時代に行ったことのある講演会は、安原顕、島田雅彦、宮台真司の三人だけ。ウ~ん、カッコ悪い告白だ…。)。そして、どういうわけか、実物の彼をわたしはしばしば見かけた。
都内某有名CDショップや某大型書店などなど…。おそらく、わたしの行動範囲と彼のそれは、たまたま近かったんだと思うけど、忘れた頃に見かけてしまうので、妙な親近感を勝手に持ってしまったほど。(ところで、もうひとりだけ、同時期によく見かけた有名人がいて、それは、なぜだか、赤い短パンのオーバーオールにボーダーのTシャツを着た楳図かずお!わたしはどこをホッツキ歩いてたんだ?)
さて、ここで、ほとんど人に言ったことのない恥ずかしい告白をしようと思う。今からもう随分前のこと、わたしは安原氏に手紙を出したことがある。「わたしをバイトで雇え」と。
何しろ彼の文章には、彼の周囲にいるらしい無知な若者の話が盛んに出てきたので、それを真に受けた生意気盛りの学生のわたしは、「わたしなら、そんなレベル楽勝さ!」という勢いで、今思うと赤面モノの手紙を書いた。確か、本人じゃない人が書いたらしい、丁重なお断りの手紙が届いておしまいになったのだけど、さぞや貰った方も困ったことだろうと思う。なぜなら、わたしも働くようになって気づいたのだけど、勝手な思い込みで手紙を書いたり、押しかけたりする学生っていうのが結構現実に存在するからで、社会人ってたいてい忙しいから、その手の連中なんかは迷惑にしか思わない…。
結局、自分のエピソードで何が言いたかったかというと、安原氏という存在は「文化系帰宅部の成れの果てオヤジ」として、結構輝いて見えていたってこと。このあたりが、組織に属したことのない村上春樹が安原氏を信用していた理由と繋がっているのかもしれない…。
さて、村上春樹の話に戻す。安原氏の亡くなる直前くらいから、「安原氏が作家の生原稿を流出させているらしい」という噂はたっていた。わたしなんかですら、噂を聞きつけるくらいだから、その筋では問題になっていたのだろう。そして、死後、福田和也なんかがやっている、雑誌『en-taxi』創刊号に載った坪内祐三氏のコラムがこの件を明確に活字にした最初の記事だったと思う。正直言って、坪内氏の文章を読んだときは、「本当だったんだ」と思うと同時に、「でも信じたくない」という気持ちにもなった。
ところで、古本屋に出入りしたしたことのない人にはもうひとつよくわからないだろうけど、直筆原稿の売り買いというのは確かに存在する。実際、古本屋の出している古書目録の類には、初版本、サイン本、色紙、手紙などと並んで、作家の直筆原稿の写真なんかがよく載っている。ただ、村上春樹の生原稿100万円というのは、この手のモノでは相場としても破格の金額の部類で、こういう数字は三島由紀夫の生原稿くらいしか、わたしは見たことがない。それに、本当に貴重な生原稿は博物館や記念館なんかに遺族が寄贈したりするものなので、そんなに大量に貴重なものが流出するなんてことは普通はないんだと思うし、よほどの人気作家でない限り、いい商売にならない程度の売値がほとんどだと思う。
今回、『文藝春秋』に載った村上春樹の文章は、彼の文章には珍しく感情の揺れの感じられるもので、ある意味貴重な一文だけど、村上春樹本人の複雑な胸中と、安原氏という人物の複雑さが反映してるんだとわたしは思った。
安原氏が村上春樹作品に辛らつな発言をするようになったのは、『ねじまき鳥クロニクル』の前後くらいだと思うけど、少なくとも作品に限っていえば、確かに村上春樹のこの時期は低調だったし、安原氏の批判も一理はあった。でも、ほとんど執拗な形で行われた「ねじまき鳥」批判は、今となってはもうひとつ解せない。個人的には、『ねじまき鳥クロニクル』は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』以来の力作だと思うし、よく比較された村上龍の『五分後の世界』よりずっと後世に残る作品だと今は断言できる。
村上春樹は、安原氏のことを「本当は作家になりたかった人」といっていて、わたしもまったく同感なのだけど、それと同時に学歴コンプレックスもあった人なんじゃないかと、感じるときがある。東大の教師、池内紀や蓮実重彦への罵倒みたいな文章がある一方、教養主義めいた発言をしている割には、フランスの俳優ドニ・ラバンのことを、「デニス~」なんて書く仏文中退とは思えない初歩的なミスの映画評があったりして、「周囲に直してあげる人はいないんだろうか?」と訝しく思ったことさえある。(注:Denisの仏語読みが「ドニ」になるというのは、仏語教科書の2ページ目くらいに書いてあることなので、結構ヤバいミスです。)
しかし、それにしても、愚直なまでのストレートな文章、批評は大好きだったし、「これは違うよ」とは思っても、許せてしまう何かがこの人にはあった。だからこそ、「原稿流出」の真相を知りたかったのだけど、残念ながら、村上春樹の今回の文章ではまったくわからない。
状況証拠的に、安原氏が原稿を流出させていたのは間違いないこと、安原氏本人や安原氏が原稿を渡したらしい古書店主が亡くなっていることから、真相はわからなくなっていると、村上春樹はいっている。
でも、村上春樹やかつてのヤスケン読者が本当に知りたいことは、「なんで安原氏がそんなことをしたのか?」という一点に尽きると思う。例えば、「余命一ヶ月」を宣告された彼が、それでも長生きしたいために、治療費が欲しくて、原稿を流したんだとか、それなりの理由があれば、多くのひとは少しは納得がいくと思うし、村上氏だって許すかもしれない。
とにかく、わたしがこの場を借りて言いたいのは、安原氏に近かった人で、もし真相を知っている人がいるなら、真実を語って欲しいということ(たとえば、村松友視さん!)。とにかく、納得させて欲しいというのが、わたしの切なる願いです。そして、こんなかたちで、二度目の届かない手紙を書かなければならなくなったことが、本当に悲しい…。
この「やるせなさ」を天国(?)のヤスケンはどう思ってるんだろうか…。
<参考>
・ブックサイト「ヤスケン」(安原氏が晩年にやっていたサイト)
<村上春樹>直筆原稿が古書店に大量流出 編集者が無断売却
まず、村上春樹の文章「ある編集者の生と死」に倣って、わたしの安原顕氏に関する記憶を書いておこうと思う。
わたしが自称・スーパーエディター・安原顕氏のことを知ったのはいつ頃のことだったのか、じつは記憶が定かではない。ただ、多分映画絡みの彼のプロデュース本がきっかけだったんだと思う。何しろ、当時のわたしは映画関連の本なら何でも目を通しているような生意気なガキで、学校サボって映画館と古本屋をはしごする毎日。実際、わたしの周囲の映画好き、本読みには安原氏の書評や映画評の愛読者が多かったから、別に例外的な出会いでも何でもなかったと思う。それに、たま~にではあるけれど、本人がテレビに出ることもあった。(独特の鬚面にサングラス、一度見たら忘れられない、あの風貌!)
わたし自身、映画はもちろん、活字の世界に関心を持っている子供だったから、彼の歯切れのいいエッセイや書評にはすぐにイカレてしまって、「ふざけんな」シリーズなんかも読んでいたし、彼の講演会にさえ行ったことがある(因みに、わたしが学生時代に行ったことのある講演会は、安原顕、島田雅彦、宮台真司の三人だけ。ウ~ん、カッコ悪い告白だ…。)。そして、どういうわけか、実物の彼をわたしはしばしば見かけた。
都内某有名CDショップや某大型書店などなど…。おそらく、わたしの行動範囲と彼のそれは、たまたま近かったんだと思うけど、忘れた頃に見かけてしまうので、妙な親近感を勝手に持ってしまったほど。(ところで、もうひとりだけ、同時期によく見かけた有名人がいて、それは、なぜだか、赤い短パンのオーバーオールにボーダーのTシャツを着た楳図かずお!わたしはどこをホッツキ歩いてたんだ?)
さて、ここで、ほとんど人に言ったことのない恥ずかしい告白をしようと思う。今からもう随分前のこと、わたしは安原氏に手紙を出したことがある。「わたしをバイトで雇え」と。
何しろ彼の文章には、彼の周囲にいるらしい無知な若者の話が盛んに出てきたので、それを真に受けた生意気盛りの学生のわたしは、「わたしなら、そんなレベル楽勝さ!」という勢いで、今思うと赤面モノの手紙を書いた。確か、本人じゃない人が書いたらしい、丁重なお断りの手紙が届いておしまいになったのだけど、さぞや貰った方も困ったことだろうと思う。なぜなら、わたしも働くようになって気づいたのだけど、勝手な思い込みで手紙を書いたり、押しかけたりする学生っていうのが結構現実に存在するからで、社会人ってたいてい忙しいから、その手の連中なんかは迷惑にしか思わない…。
結局、自分のエピソードで何が言いたかったかというと、安原氏という存在は「文化系帰宅部の成れの果てオヤジ」として、結構輝いて見えていたってこと。このあたりが、組織に属したことのない村上春樹が安原氏を信用していた理由と繋がっているのかもしれない…。
さて、村上春樹の話に戻す。安原氏の亡くなる直前くらいから、「安原氏が作家の生原稿を流出させているらしい」という噂はたっていた。わたしなんかですら、噂を聞きつけるくらいだから、その筋では問題になっていたのだろう。そして、死後、福田和也なんかがやっている、雑誌『en-taxi』創刊号に載った坪内祐三氏のコラムがこの件を明確に活字にした最初の記事だったと思う。正直言って、坪内氏の文章を読んだときは、「本当だったんだ」と思うと同時に、「でも信じたくない」という気持ちにもなった。
ところで、古本屋に出入りしたしたことのない人にはもうひとつよくわからないだろうけど、直筆原稿の売り買いというのは確かに存在する。実際、古本屋の出している古書目録の類には、初版本、サイン本、色紙、手紙などと並んで、作家の直筆原稿の写真なんかがよく載っている。ただ、村上春樹の生原稿100万円というのは、この手のモノでは相場としても破格の金額の部類で、こういう数字は三島由紀夫の生原稿くらいしか、わたしは見たことがない。それに、本当に貴重な生原稿は博物館や記念館なんかに遺族が寄贈したりするものなので、そんなに大量に貴重なものが流出するなんてことは普通はないんだと思うし、よほどの人気作家でない限り、いい商売にならない程度の売値がほとんどだと思う。
今回、『文藝春秋』に載った村上春樹の文章は、彼の文章には珍しく感情の揺れの感じられるもので、ある意味貴重な一文だけど、村上春樹本人の複雑な胸中と、安原氏という人物の複雑さが反映してるんだとわたしは思った。
安原氏が村上春樹作品に辛らつな発言をするようになったのは、『ねじまき鳥クロニクル』の前後くらいだと思うけど、少なくとも作品に限っていえば、確かに村上春樹のこの時期は低調だったし、安原氏の批判も一理はあった。でも、ほとんど執拗な形で行われた「ねじまき鳥」批判は、今となってはもうひとつ解せない。個人的には、『ねじまき鳥クロニクル』は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』以来の力作だと思うし、よく比較された村上龍の『五分後の世界』よりずっと後世に残る作品だと今は断言できる。
村上春樹は、安原氏のことを「本当は作家になりたかった人」といっていて、わたしもまったく同感なのだけど、それと同時に学歴コンプレックスもあった人なんじゃないかと、感じるときがある。東大の教師、池内紀や蓮実重彦への罵倒みたいな文章がある一方、教養主義めいた発言をしている割には、フランスの俳優ドニ・ラバンのことを、「デニス~」なんて書く仏文中退とは思えない初歩的なミスの映画評があったりして、「周囲に直してあげる人はいないんだろうか?」と訝しく思ったことさえある。(注:Denisの仏語読みが「ドニ」になるというのは、仏語教科書の2ページ目くらいに書いてあることなので、結構ヤバいミスです。)
しかし、それにしても、愚直なまでのストレートな文章、批評は大好きだったし、「これは違うよ」とは思っても、許せてしまう何かがこの人にはあった。だからこそ、「原稿流出」の真相を知りたかったのだけど、残念ながら、村上春樹の今回の文章ではまったくわからない。
状況証拠的に、安原氏が原稿を流出させていたのは間違いないこと、安原氏本人や安原氏が原稿を渡したらしい古書店主が亡くなっていることから、真相はわからなくなっていると、村上春樹はいっている。
でも、村上春樹やかつてのヤスケン読者が本当に知りたいことは、「なんで安原氏がそんなことをしたのか?」という一点に尽きると思う。例えば、「余命一ヶ月」を宣告された彼が、それでも長生きしたいために、治療費が欲しくて、原稿を流したんだとか、それなりの理由があれば、多くのひとは少しは納得がいくと思うし、村上氏だって許すかもしれない。
とにかく、わたしがこの場を借りて言いたいのは、安原氏に近かった人で、もし真相を知っている人がいるなら、真実を語って欲しいということ(たとえば、村松友視さん!)。とにかく、納得させて欲しいというのが、わたしの切なる願いです。そして、こんなかたちで、二度目の届かない手紙を書かなければならなくなったことが、本当に悲しい…。
この「やるせなさ」を天国(?)のヤスケンはどう思ってるんだろうか…。
<参考>
・ブックサイト「ヤスケン」(安原氏が晩年にやっていたサイト)
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