切られお富!

歌舞伎から時事ネタまで、世知辛い世の中に毒を撒き散らす!

踏切事故、雑感。

2005-03-18 08:45:58 | 日日雑記
亡くなった方々はお気の毒ではあるけれど、踏切が開いたとはいえ、電車が来てたらわからないものなんだろうか、という気も正直ある。

確かに急いでいると、日常動作も機械的になるというか、条件反射的になってきて、生きてくための動物的な感も失われていってしまうというのはわからなくもない。しかも、死傷者4人が全員女性というのも何か象徴的な話で、時間の窮乏感に追われて女性たちは生きているということなのか?

私も以前「開かずの踏切」の周辺に住んでいて、イライラの連続だったし、電車に乗れば通学は満員電車でさらにストレス。行動から意識って離れていくよな…確かに。

今回のことで不意に思い出したのが、ゴダールの言葉(「『気狂いピエロ』を語ろう」より):

インタビュアー「あなたの映画はほとんどどれも、冒険の精神にもとづいてつくられています。」
ゴダール   「そのとおりだ。大事なのは自分が存在していると感じるということなんだ。われわれは一日のうちの大半はこの真実を忘れてすごしているものだが、それでも、家々とか赤信号をながめているときに突然、この真実がうかびあがってくる。そしてそのとき、この瞬間自分は存在していると感じることになる。サルトルはそんなふうにして小説を書きはじめた。」

椎名林檎の曲『やっつけ仕事』の中で、「機械になってしまいたいのに♪」というくだりがあって、これは機械になってしまえない過剰な部分を抱えている人の言葉だと私は勝手に解釈しているのだけど、「やっつけ仕事」になりきらない、機械じゃない部分がこのブログの更新だっていう感じもあるな。(無理やりだけど。)

というわけで、踏切に突っ込まない為にブログを更新してます、という話でした。(かなりとりとめがないなあ。)

そういえば、ゴダールも言ってたっけ、「自分のまわりをよく見るということは、自由に生きるということだ!」って。

ゴダール全評論・全発言〈1〉1950‐1967

東武踏切事故「遮断機解除は日常」 保安係供述 (産経新聞) - goo ニュース
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