もう興行的には「勝負あった!」って感じなので、この際、いいたい事をいわせて貰います。今更、営業妨害ってことにもならないでしょ?
黒澤作品のリメイクについては、散々ネガティブなことをいってきたし、持論を変える気はさらさらないけれど、一応、自分の目で確認する必要もあるかなってところで、渋谷の某映画館まで行ってきました。早速、感想です。
・公式HP
<以前書いた記事>
・黒沢映画「天国と地獄」ドラマでリメーク
・なぜ、支持されない黒澤作品リメイクが作られるのか?
年末だし、手短にいってしまいますが、「なんか地味な映画だったなあ~」というのがわたしの正直な感想。
もちろん、黒澤版オリジナルの『椿三十郎』は何度も見ているし、黒澤作品のなかでも好きな作品ではあったんですが、今回のリメイク版は、良くも悪くも、「よくできた安いレプリカ」という印象です。
この映画について、「オリジナルと比べるのは間違ってる」なんてことをいってるひとがいるようですが、そういうひとは根本的に間違っている。なぜなら、この映画って、セットの作りやカメラアングルなど、オリジナルにかなり忠実に作られているんですよね。
そういう意味では、森田組スタッフはかなりがんばって、映画全盛期の黒澤組の仕事を再現しようとしたといえるんですが、そのこと自体に意味があるのかっていうことに問題があるような気がするなあ~。
ところで、わたしが観た日は29日の土曜日でしたが、客席はガラガラ。7割方が一人で来たオジサンの観客で、あとは若干の若いカップルという感じでした。(因みに、わたしは一人で観てましたけど。)
つまり、客層としては、黒澤明&三船敏郎の幻影を知っている人たちが観ているわけで、オリジナルのイメージを心地よく裏切るくらいの技がなければ、結局「レプリカ」にしかならないんですよ。
で、役者の方に話を移すと、オリジナルにあった「まがまがしさ」みたいなものが、まったく感じられない。もちろん、織田裕二とトヨエツはかなりがんばっていたけど、三船・仲代コンビのギラギラ感とは根本的にタイプが違って、妙に油気の抜けた感じ。
だったら、オリジナルとは違うイメージの演出をすべきだと思うのですが、バカ正直にオリジナルに忠実な演出をやっているわけですよ。
期待していた中村玉緒は、テレビのイメージが付き過ぎて、浮世離れした奥方のイメージからは程遠いし、伊藤雄之助がやった役を藤田まことがやっていたけど、これまた、油が抜けた感じで、面白みに欠ける。
たぶん、監督自身も撮影中に、「このままでは面白くないない」と思ったのでしょう、オリジナルと明確に違うのは後半の演出がコメディ調になるところで、伊藤克信が出てきたあたりは、森田監督の初期の名作『の・ようなもの』(若手落語家の青春を描いた映画)を思い出させてくれました。
そういう意味では、森田版『椿三十郎』は、落語的で青春物っぽい感じではありますね。
さて、どうにも消化不良だったので、家に帰ってからオリジナルのビデオを見直してしまったんだけど(わたしもいい観客だなあ~)、オリジナルとリメイクの最大の違いは、じつは音楽だったんだってことに、今更ながら気づきましたね。
ストーリーが一緒なのに、なんだかリメイクはメリハリがないと思ったら、オリジナルは佐藤勝の景気のいい音楽に大分救われているんですよね。このことに気づいただけでも、リメイクを観に行った甲斐があったというべきか・・・。
それと、久々にオリジナルを見直して思ったのは、黒澤明はこの作品で伊丹万作(伊丹十三の父親で映画監督)風の喜劇的な時代劇を狙っていたんじゃないかってこと。特にカット割りなんかは『赤西蠣太』という作品の、品のいい滑稽味を思い出した。
このあたり、森田版の落語調は庶民的なものだけど、伊丹~黒澤のラインは折り目正しいお武家の滑稽味なんですよね。
とりあえず、わたしの結論としては、オリジナルとの忠実度で縛られるようなリメイク企画なら、やめた方が無難。あのテクニシャン森田芳光をしてこれですからね。
それと、ぼちぼち黒澤ブランドに対する盲目的な信仰も考え直すべきかもしれません。だって、晩年の黒澤作品も興行的にはダメだったわけですから。
というわけで、どこかの会社の株を持ってる方々も納得していただけたかしら?
今年はご愛顧頂きありがとうございました!
PS:怪我の療養中にリメイク論争をやったおかげで、なんとか頭がボケずにすみました。その点も、感謝、感謝!!
黒澤作品のリメイクについては、散々ネガティブなことをいってきたし、持論を変える気はさらさらないけれど、一応、自分の目で確認する必要もあるかなってところで、渋谷の某映画館まで行ってきました。早速、感想です。
・公式HP
<以前書いた記事>
・黒沢映画「天国と地獄」ドラマでリメーク
・なぜ、支持されない黒澤作品リメイクが作られるのか?
年末だし、手短にいってしまいますが、「なんか地味な映画だったなあ~」というのがわたしの正直な感想。
もちろん、黒澤版オリジナルの『椿三十郎』は何度も見ているし、黒澤作品のなかでも好きな作品ではあったんですが、今回のリメイク版は、良くも悪くも、「よくできた安いレプリカ」という印象です。
この映画について、「オリジナルと比べるのは間違ってる」なんてことをいってるひとがいるようですが、そういうひとは根本的に間違っている。なぜなら、この映画って、セットの作りやカメラアングルなど、オリジナルにかなり忠実に作られているんですよね。
そういう意味では、森田組スタッフはかなりがんばって、映画全盛期の黒澤組の仕事を再現しようとしたといえるんですが、そのこと自体に意味があるのかっていうことに問題があるような気がするなあ~。
ところで、わたしが観た日は29日の土曜日でしたが、客席はガラガラ。7割方が一人で来たオジサンの観客で、あとは若干の若いカップルという感じでした。(因みに、わたしは一人で観てましたけど。)
つまり、客層としては、黒澤明&三船敏郎の幻影を知っている人たちが観ているわけで、オリジナルのイメージを心地よく裏切るくらいの技がなければ、結局「レプリカ」にしかならないんですよ。
で、役者の方に話を移すと、オリジナルにあった「まがまがしさ」みたいなものが、まったく感じられない。もちろん、織田裕二とトヨエツはかなりがんばっていたけど、三船・仲代コンビのギラギラ感とは根本的にタイプが違って、妙に油気の抜けた感じ。
だったら、オリジナルとは違うイメージの演出をすべきだと思うのですが、バカ正直にオリジナルに忠実な演出をやっているわけですよ。
期待していた中村玉緒は、テレビのイメージが付き過ぎて、浮世離れした奥方のイメージからは程遠いし、伊藤雄之助がやった役を藤田まことがやっていたけど、これまた、油が抜けた感じで、面白みに欠ける。
たぶん、監督自身も撮影中に、「このままでは面白くないない」と思ったのでしょう、オリジナルと明確に違うのは後半の演出がコメディ調になるところで、伊藤克信が出てきたあたりは、森田監督の初期の名作『の・ようなもの』(若手落語家の青春を描いた映画)を思い出させてくれました。
そういう意味では、森田版『椿三十郎』は、落語的で青春物っぽい感じではありますね。
さて、どうにも消化不良だったので、家に帰ってからオリジナルのビデオを見直してしまったんだけど(わたしもいい観客だなあ~)、オリジナルとリメイクの最大の違いは、じつは音楽だったんだってことに、今更ながら気づきましたね。
ストーリーが一緒なのに、なんだかリメイクはメリハリがないと思ったら、オリジナルは佐藤勝の景気のいい音楽に大分救われているんですよね。このことに気づいただけでも、リメイクを観に行った甲斐があったというべきか・・・。
それと、久々にオリジナルを見直して思ったのは、黒澤明はこの作品で伊丹万作(伊丹十三の父親で映画監督)風の喜劇的な時代劇を狙っていたんじゃないかってこと。特にカット割りなんかは『赤西蠣太』という作品の、品のいい滑稽味を思い出した。
このあたり、森田版の落語調は庶民的なものだけど、伊丹~黒澤のラインは折り目正しいお武家の滑稽味なんですよね。
とりあえず、わたしの結論としては、オリジナルとの忠実度で縛られるようなリメイク企画なら、やめた方が無難。あのテクニシャン森田芳光をしてこれですからね。
それと、ぼちぼち黒澤ブランドに対する盲目的な信仰も考え直すべきかもしれません。だって、晩年の黒澤作品も興行的にはダメだったわけですから。
というわけで、どこかの会社の株を持ってる方々も納得していただけたかしら?
今年はご愛顧頂きありがとうございました!
PS:怪我の療養中にリメイク論争をやったおかげで、なんとか頭がボケずにすみました。その点も、感謝、感謝!!
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待つ人、惜しむ人、喜こぶ人、憂ふる人、様々なるべき新玉の年返りぬ。
天の戸の開くる光りに今年明治廿五といふ年の姿明らかに見え初て、心さへに改まりたる様なるもをかし。
人より早くと急ぎ起て、若水汲み上るも嬉し。
明治二十五(一八九二)年一月一日
樋口一葉満20歳になる年の日記から
お久しぶりです。
2007年はほんとに激動の年でしたね。
来年はどうなることやら・・・。
さて、大晦日に素敵なコメントを頂きありがとうございました。
パパゲーノさんも、よいお年を。