銀行の制御、
適切なコントロールをしなければ、
経済の健全な再生はない。
国民主権は当たり前、
それと同じく、銀行など金融の "信用創造権" は適切に、
是が、明確な指標をもって、謂われねばならない。
民主主義諸制度の整備と同じように、国民に選ばれた政権によって、金融の貸付基準がコントロールされねばならない。
ところが、小泉時代の金融庁は、デタラメ極まる……。
(画像にカーソルを当てると、
文字が浮かんでくる場合は、其処でクリックすると、関連記事が開きます。)
企業ばかりか地方銀行までつぶして、貸し出しを極端に制限し、貸し剥がしに拍車をかけた。
これでは、日本経済が沈滞するのは、あたりまえ。
いちばん手っ取り早いが、これを遣ったので日本市場が縮小した。
それが、契約とか派遣労働への切りかえ。
『先進国型』 不況は構造的なものだと思われる。
銀行が企業などへの融資をひかえ、企業は資金の調達が困難になった。株式を売れば、得体のしれない投資家という名のゴロツキが闖入してくる。株式を公開していない堅実経営の企業が、日本の経済を実質担っているワケだが、こうした企業は自分らの商品を海外進出している、大手の企業 (つまり自動車会社とか、家電情報の「組み立て屋」) に売ることで、海外取引のリスクをヘッジしている。
小泉構造改革で鮮明になった、銀行は信用ならないという実感は、手堅い経営の企業がより一層、金融との関係を疎遠なものにしている。地域全体の経済が発展するには、銀行など金融から 「信用の注入 (つまり企業が銀行などから経営資金を借りること) 」 が欠かせない。1980年代頃までは、日本の銀行の抱える、預金残高は世界の大半を占めていた。これを負債の側から透かして見れば、企業が多くの借入金を抱えていたということだ。経営の資金が潤沢にある (このあたりのニュアンスは、企業経営の資金繰り担当者ならば実感できることでしょう。そのほかの方は、そうなんだと思ってみてください)。ならば、設備投資も進む。新しい商品が購買意欲を刺激して、古くて陳腐な商品は売れなくなる。ならば企業は競って、新商品を開発する。
現実日本のリストラクチャリングの経営は、言葉はカタカナで新しいように感じるが、陳腐な商品をいかに新しそうに見せかけて、低コストでやっつける。この構造的な原因は、銀行が企業に経営資金を供給できなくなったから。金融業の堕落は、国債などの公債に、頼ることを覚えてしまったこと。自民党の政治利権派を支えている、ブロガーの論調に、「国債はどんだけ増発しても、ノープロブレム」というのがある。これは、金融の堕落が彼らの視野から外れているから、このような能天気がいえる。金融、とくに大きな資金力を保有している大手金融は、1%程度の金利でも、その受け取り利息は膨大になる。とくに統合により資金力は増えたが、リストラにより人件費などのコストはおさえた。これで、大手金融の堕落が固着化した。金融の大きな社会的な使命は、経済の伸び代に見合っただけの、資金を各企業とか事業に融資、つまり注入することだ。だが、1980年代以後のバンカーは、此の事を失念して、ひたすらリストラ・低コスト化を推し進めてきた。これでは、産業の成長を先導する 「人参 (おカネ) 」 が、現業部門に行き渡らず、かえって枯渇してくる。企業の社会的使命を自覚しない、世襲とか官僚天下りの官僚役員などは、ただ、騙しの意図で書かれた、米欧などの経営管理の書籍などで勉強したつもりになっている。このような、「おメデタイ」 状況が、日本に失われた20年の経済停滞をもたらした。もちろん、米欧であっても、このような事情はおなじだ。
金融詐欺師が簗をかけて、お馬鹿な「川流れ」のお魚を、根こそぎにする。
これは昨日、書いたことだが、
これを少しばかり、理屈っぽく描けば、以上のようなこととなる。
つまり、シンプルに言えば、安易な国債発行で、経済対策をつづければ、ますます日本経済が、米欧型の空洞化が進んでしまう。もういちどおさらいして説明すれば、安易に銀行とか生保などが、国債の利息に依存した経営を行えば、実体経済へと経営資金が流れなくなる。ただ、部分的には、政治利権がらみの特殊な事業には、カネが流れる。しかし、この部分は真面目な技術的な取り組みを忘れて、政治集会とか選挙運動に社員などを駆り出すばかり。これで出来た事柄が、笹子トンネルの「ガッポリ手抜き」した安全点検などの所為での、天井崩落事故であった。北海道JRの脱線事故も、似たようなものだ。過激派がどうのとの論調も見かけたが、40年も前の過激派が、それほど多く、北海道の線路屋にいるのだとは知らなかった。左近尉が思うに、長年公明党から国土交通大臣が出た。このことが、それぞれの現場に大きな影を落としているのだと思われる。
構造改革は、お馬鹿なでぶっちょお魚が、上流に泳げずに、だらしなく下流に川流れ。それで、金融詐欺師のしかけた簗に引っかかって、鴨葱音頭で、ヨ~イ、ヨイ。で、ヨイヨイになっている。
ヨイヨイの線路工事人ばかりでは、妄想のカネ勘定はできても、線路の修復作業はホッタラカシになる。
民主党政治は其れさえも出来なかったが、自民党の守旧政治は、このような川流れを簗で取りつくすような、利権政治であった。10年たってもこの川の濁りは澄まないだろう。そして、安易な国債に頼った政治では、ほんとうに事業資金を必要としている、経済の現場には資金が届かない。国債とは、経済の現場を栄養している、主要な動脈系に憑りついた、脂質でドロドロのアテローム、つまり血栓でしかない。 (経済が発展するには、まずもって成長に見合ったよりも、も少し大きな額の資金をその経済現場に投入する。実物の金などが正貨であった時代には、これが武田の金山をもたない一般諸侯では出来なかった。ところが紙幣発行が、金の正貨にとって代わって、大きな資金を「印刷(融資)」することが可能になった。ところが、世界構造改革主義者の進めている金融経済の"発展"は、事業現場という "市場" から、金融資金を作為的に抜き取ってしまうこと。こうすれば、経済を伸ばそうとしている 新芽の部分 では、資金への枯渇感が いやでも増すこととなる。つまり、金融博徒の番頭が株屋などで、こいつらが、余剰資金の涵養林を焼き払っている。こうすれば金主元の大手銀行は、企業への支配力がそれだけ増すこととなる。金融のパチンコ屋、つまり証券屋などは、阿呆で強欲な経営者が、経営の現場から資金を搾り取るのを、応援し誘惑している。このような株式市場主体の経済構造では、たえず経営の現場では貧血状況になる。つまり、現業の低血圧、低血糖は構造的なものだ。)
このアテロームがたまれば溜まるほど、動脈は脆くなる。そして何時かは、ドッカーンと血管壁が破裂する。
日本国民が、国債の利払いなんか止めてしまえ。
デフォルトだって、ひとつの有効な手段だ。 ( ※ 1 )
このような、キムチ利権勢を駆除する、最適な方法に思い至る。
こうなる日は、必ず来る。
本当の自由経済学は、1970年代で研究が止ってしまっている。そのように左近尉は思っている。
経済の成長期のことを、思い出さねば ポチっ とお願いします。
この辺りで ポチっ とお願いします。
本日の話題の記事
国債は 民度の指標 【わが郷】 ( ※ 1 )
本日は 37位です。 m(_ _)m => ランキングを見る
アクセスの記録 2013.10.02 (水) 4489 PV 1760 IP 147 位 / 1935819ブログ
【わが郷の顔】
東京都尖閣諸島寄附金 受付状況 は、
こちら にサイトが設けてあります。