新聞記者には別のサークラを紹介していたので、
グスクマサークラに急いで行くと
丁度始まるところだった。

琉球大の津波教授も見えていた。

前回
ここの取材はしてあったので
おおよ祭りの流れは分かっていたので
気楽に写真を撮らせてもらった。

高台のターヤパンタでの
神迎えと今は行っていないが
パルシニグを迎えたと言うことを確認して
宴会には参加せずにおいとました。

メーダサークラの後継者が少なくて寂しかったが
旗持ちが親から子に引き継がれていた。

蛇皮線を弾ける高齢の方がリタイヤーするとなると
踊りの風景が見られなくなるのではと
心配が先にたった。

祭りには歌と踊りが欠かせない。
昔は各サークラで盛大に行われただろう。

三味線の練習をしたいが・・・、
なかなかとりかかれない。
