水害のニュースを見ていてつくづく思う。
住居をどこに定めるかということは
利便性だけではなく
安全安心、防災の面からも検討しなければならないことだ。
私の先祖が朝戸(朝足)から古里に移住したのが江戸末期から
明治の初期にかけてのようだ。
パルシニグ道でその移住経路がおおよそわかるが、
二代目盛窪の父、玉恵窪がどの番地に住んでいたかが特定できていない。
祖父の残した系図によると
玉恵窪の兄と姉があるのでそこから調べてみよう。
昨日の神拝みで語られた
龍美の剣の由緒をつきとめるときが来ている。
初代盛窪まで遡るには
川畑家と徳田家の系図を調べなければならない。
竹姓については
玉恵窪の妻ハナの系図から来ていると思われる。
このあたりは戸籍で確かめることができるので
それと思われる筋にあたってみたい。
シニグや神拝みのことを知るには
一族の系図が重要なことはわかっていたが
色々な事情があって現在にいあっていることもあり
聞き取りをしてこなかったが
この年になってもう後がないと思い切ることにした。
私の自宅での神拝みは
屋敷を構えた先祖二代目盛窪、初代玉恵窪を拝んでいると
祖父の書き残した文書から読み取れた。
三代目の私
盛窪が神拝みされても恥ずかしくないように
これからも屋敷の整備をしていくつもりでいる。
スーマシをつくりながら
神拝みについて熟考することができ
日々これ好日 いい日でした。