皆様こんにちわ。
悩めるパッション上級医です。なぜ上級医をという言葉を使っているかというと、今まで勘違いしていました。
国が定める指導医という定義(もちろんいろいろな学会が色々な指導医を自由に作っていますが)では、厚生労働省医政局長から、医師の臨床研修に関わる指導医講習会の開催指針にそって行われた講習を全て修了した人を初めて臨床研修指導医と呼ぶということを初めて学んだのです。
今回はそのワーキンググループをなどを通して学んだ事を、つらつらと自分が思うままに思い出として書いておきます。
当初から3日間も参加することに心の重苦しさを感じていた指導医講習会でしたが、私が参加した会は緊張をほぐす為に自らが参加し能動的に学ぶ為に、多数のグループワーキング、シミュレーション、ブレーンストーミングが用意されて工夫されていました。個人的に午後の【眠くならないレクチャー】と【フィードバックの方法】の講義からの学びは多かったです。
医師は大なり小なり教育に携わっており、認めると認めざるとも言わず指導医的な仕事は多分にしている事がおおいものです。普段忙しい診療の合間で研修医の需要と我々が与えるべき供給のバランスを考える事はまずありません。
研修医はConsumer(消費者)であり、よりよい学びを求めております。自分の若い頃もそうであったと思います。
では何が、そのバランスを崩す原因となるかにつていは、教える側と教わる側のギャップがあると思います。
例えば、教える側はその分野の興味が強く、自分の知っている事は重要であると感じ、その全体像を把握しており、全てを教えたい傾向にあります。
逆に教えられる側は、その分野への興味はまちまちで、重要性が分からず、全体像がまだ見えていない為に、要点だけをわかりやすく学びたい傾向にあります。
このギャップは極めて大きく、これを理解しないとスレ違いの恋愛へ発展する事が確実視されます。
今までの経験から、研修医が求める学び(臨床・研究・教育いずれでも良い)ができる指導医が在籍する場所には自然とと若い人材が集まってきているように(活気とでもいいましょうか)感じてきました。多くの皆様も実感されることではないかと思います。
例えば、消費者が自分たちの作った自信満々のチョコレートを買わないからって、消費者のせいにしていては建設的な将来性のある仕事はできません。やはり需要供給曲線の一致、つまり『神の見えざる手』が働いていると感じます。提供者側が需要を見抜く力が今後の淘汰されるかされないかのキーポイントになるかと思っています。
当たり前過ぎるくらい当たり前の事実であり、我々はその事実をないがしろにしすぎているのではないでしょうか?
例えばですが、短期間しか来ない医学生や研修医はお客さんでしょうか?(実はConsumerは試食して美味しいチョコレートは高いお金を払ってでも購入します)
自分達の科や病院に来てくれない研修医は本当にその科の研修に興味が無いのでしょうか?(もしかしたら当直時のコンサルトのポイントや、専門的手技以外の事はとても学びたいかもしれません)
私は最近では北海道や種子島などで勤務したりしていたので、全国的に全く同じような事を聞かれるのですが。。。
医学生が選んでくれない、人が集まらない、研修医が逃げていく・・・そのような言葉を我々が発しているのであれば、我々は自戒すべき瞬間、つまりは変革のチャンスだと思います。地理や立地、病院の古い良いなどのハード面は変更ほぼ不可能ですので、人・考え方・姿勢を変える事でチャンスを作るべきなのかもしれません。
家庭医でスポーツドクターの小林先生曰く、「スポーツでも勉強でも、人は、先人に教えてもらった事をそのままの教え方で教えようとする」傾向があるそうです。
サイエンスとしての医学がこれだけ発達している昨今で、サイエンスとしての教育学だけが昔のままであり、指導法も昔と全く変わらないということは理論上絶対無いはずです。
より良いものを柔軟に取り入れ応用していく事が今後の指導医として必要なセンスになるのかもしれません。
つまりは、若い世代の責任(やる気がない、年齢の差?)にするのではなく、おそらくは我々自身が変革の時であり、医学生や研修医が本当に求める教育や指導を再考し、自分をレベルアップさせる絶好の機会ということを、この講習会を通じて感じました。
最終的には、自分達の後続に人材が連なり、その人材がさらなる後続を自然に指導していく文化の構築。遠回りの様な気がしますが、一番効率の良い方法なのかもしれません。