女の平手打ちなど、たいしたものでもないのだろう。男はほほをさすりあげると、ひどく、悲しげな目つきで女将をみつめかえしていた。
「俺は・・」
なにかいいかけたが、男は黙った。
「事情はきいたよ。文次郎親方がよかれと思ってしたことが、かえって仇になっちまったってね。でも、あたしは、あんたが、文次郎親方をどういうふうに誤解してるかを懇切丁寧にはなそうなんて、おもっちゃいないよ。ただね、あんたの生き方、あんたの弱さにむしょうに腹がたつんだ。いいかい、自分の娘が身売りされるかどうかって瀬戸際なんだよ。あんたの意固地をとおしている場合じゃないだろう?親ならね、文次郎親方に頭をさげてわびをいれて、金を算段してもらえないかって、いうのが本当じゃないか?
そういう親らしくない心立てが、あんたの弱さだ。
文次郎親方に子飼いの時からしこんでもらって、今のあんたがいるんじゃないか。あんたのたっきがたつのは、親方あってのものだねだろう?だったら、文次郎親方は、あんたにとって、親さまみたいなもんじゃないか。その親の気持ちを信じられないってのはね、逆をいえば、あんたが、ありがたい親になってないからさ。子供のためにしたくない辛抱、するが辛抱だろう?それをやれないから、文次郎親方の気持ちを量れないんだよ」
男はうなだれて女将の言葉をきいていたが、やっと、顔をあげた。
「だけどなあ・・。とびだしちまった俺も悪いが仕事をまわさない・なんて、姑息なことを・・」
「そうだろうかねえ?あんたの仕事をご領主にお目みせしたいって、良いものはよいものとして、きちんとわかってるのが、文次郎親方だよ。いろんな筋目がきちんとしている人だからこそ、まわりの人間は文次郎親方の方に分があるってみたんじゃないかい?恩ある親方のところをかってにとびだしてしまうような人間にね、仕事を頼みたいっておもうものだろうかねえ?」
「・・・・」
「じっさい、仕事が来ないってのをね、文次郎親方がなにか指図していたって証拠でもあるのかい?こういっちゃあ、なんだけど、あんたの当て推量、人のせい根性でしかないんじゃないのかい?あんたの品が殿中ご用達になったそうだけど、ご領主は誰がつくったか、問わなかったそうだよ。だけどね、あんた、今、とわれてごらんよ。ふてくされて、親方の所をとびだして、博打三昧のあげく、娘がうられちまうかもしれないっていうのに、頭をさげるより、己の意固地が大事な、ひとでなしの親が造ったものでございますっていわれてごらんよ。元が悪いってね、そんないわくのある人間がつくったのかい?って即刻にお払い箱になるんじゃないのかい?」
女将の言い分に男はぐうの根ひとつかえすことができなかった。
「かんがえてごらんよ。文次郎親方だって、どれだけの職人をかかえてるんだい?あんたが造った造らないのなんて問題よりね、殿中ご用達になりゃあ、ほかの職人の口がうるおうだろう?それをかんがえりゃあ、あんた、文次郎親方にりっぱな恩返しができてるんじゃないか。なんでそこにきがつかないんだよ?なんで、そういう思いになれないんだよ?なんで、わが娘を窮地にたたせてしまうんだよ?
あんた、平気じゃないか。
親とも思う人間に恩返しもできなけりゃ、わが子を奈落につきおとすも平気。
その根性だから修造につけいれられたんじゃないんだ。憐れな類が友を呼ぶってやつでしかない。同じ穴のむじななんだよ。姑息にひとのせいにして、自分の根性の曲がってるのをへともおもいもしない。
だから、仕事が来ないんだよ。自分の腕にうぬぼれるのもいいかげんにおしよ。
文次郎親方の弟子だから日の目をみてたんだよ。それを自分の腕だとおもいこんでるから、とんでもない了見をおこして、親方をさかうらみするんだよ」
男の体がかちりと固まり身じろぎひとつなかった。
「お・・俺は・・・」
「そうだよ。とんでもないろくでなしだよ。それでも、文次郎親方はあんたのことを気にして大橋屋の隠居に金の工面をたのんでるんだよ。あんたの曲がった根性をたたきなおすに親方だってじっと見てるのはつらかったに決まってるんだ。だけどね・・あんた、この期におよんでも、まだ、親方への勝手なうらみつらみをかさにきて、自分の人生をなげうってしまおうってする。あんただけが、おちんですむならそれも好きにやりゃあいいかもしれないよ。
でも、あんた、お里ちゃんが女郎屋にうっぱわれちまって、人でなしより底のものになりさがっていきていられないだろう?
あんたの窮地を一番きにかけてたのは、ほかでもない文次郎親方なんだ」
「お・・」
「そうだよ・・。だから、まず、文次郎親方にしっかり侘びをいれて、親方もいいわけがましいことをいわない人だから、あんたが誤解してしまうのも無理がないってよくわかってるんだ。文次郎親方はあんたがもどってきてくれるのをまってるんだよ」
男はぐううと目を閉じた。閉じたまなじりの端から滂沱のしずくがおちてきていた。
「お・・おれは・・ばか・・だ・・」
女将は胸の中でこくりとうなずいた。
『どんな馬鹿でも親はみはなしゃしないんだ・・』
「あんたがあんたをみはなしたって、文次郎親方はあんたをみはなしゃしないよ」
「う・・」
あふれくる涙を二の腕あたりでぬぐうと、かすれた声ながら女将につげた。
「ありがとうよ。俺はやっとめがさめたよ。親方にまず、侘びをいれてくるよ」
男の声に生気がもどりはじめている。
その声でこれで、男が立ち直ると確信でき、女将の胸の奥にほわりとした安堵がよみがえってきた。
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