いつまでも、のんだくれていたって、しょうがねえ。
そうは、おもうものの、
つい、酒に手が出る。
酒に手がでらりゃ、がんらい、気の小さい男だから、
なおさら、からいばりでつっぱしってしまう。
「つけがたまってんだよ」
女将のいやな小言も今日は平気でききながせる。
「なに、いってやがんでえ、ほらよ」
懐からさっきかせいだばかりのばくち銭をとりだすと、
女将になげわたす。
「ふ~~ん」
女将はしたり顔でうなづく。
「なんだよ・・」
「いやあ、別にさ。はらってもらえるんだから、文句はいえないんだけどさ・・」
「なんだよ・・」
言い含めたい事があるのは、女将の顔つきでわかる。
「あんたさ・・もう、そろそろ、まっとうに銭をかせがないと
たいへんなことになっちまうよ。
元々、いい腕してたんだもの、そのまま、ねむらしちゃあ
あんたがおしい。
それにさ、あんた、今、賭場で儲かってるみたいだけどさ・・」
男は指物師だった。
そう、指物師だったのは、ほんのちょっと、まえまでのことだ。
「いい腕なんてものは、ねえほうがいいんだよ」
「なに、いってんだよ。それで、所帯をもってこれたんじゃないか。
え?お里ちゃんだって、もう、そろそろ、嫁にだしてやんなきゃいけないんじゃないかい?」
「なんだよ・・さっきから、うるせえぞ。酒がまずくならあ」
「いいから、お聞きよ。あんたのとこにね、いい年頃の娘っこがいるから
修造があんたのさいの目を細工してるんだよ。
そこの・・ところ、わかってるのかい?」
馬鹿いうんじゃねえ。
ありゃあ、俺のつきだ・・。
考えてもみろ。
親方に俺の指物を横取りされて
え?いまじゃ、殿中ご用達じゃねえか。
それをのこのこ、そのまま、やってられるかって、
親方と縁をきったんだぜ。
え?親ともおもう親方にうらぎられちまっても
親方を一言もせめもせず、黙ってしりぞいてきたんだ。
だのに、親方はそこいら中に声をかけやがって
俺には指物の仕事もまわってこない。
なあ、なんにも、いい事がねえってのによ、
黙って、賭場銭をかしてくれて、
ゆっくり、あそんでいけってさ、
修造親分には、俺はなんもかもはなしてんだよ。
その親分がうちのお里がめあてだと?
いっそう、酒がまずくなると男は席をたった。
暖簾を潜り抜けた男の背中を
元通り垂れおちた暖簾越しにみおくって、
女将はちいさくため息をついた。
「女将、一本つけてくれないか」
ため息が幕切れの合図とばかりか、
待ちくたびれた初老の男が遠慮がちに声をかけた。
「ああ、すみませんね」
去っていった男ばかりが客じゃない。
あわてて、まかない場にはいり
徳利をあたためると先の男に酌をする。
「なんだい?今のは?」
男への焦燥が女将の顔に出ているということだ。
「いえ、ね。腕のいい指物をするんですよ。
なのに、・・・」
いつごろからだろうか、男は指物をやめ
賭場にかよいだし、酒におぼれだした。
「なにがあったか、
なにがきにいらなかったか、
文次郎親方の所をとびだしてしまって・・」
初老の男は軽く首をかしげた。
「文次郎親方?」
女将は素っ頓狂に首をひねった。
「おや、ごぞんじありませんかい?
殿様のおめにかなって、いまじゃ、殿中お召抱えの指物師。
殿様の調度をおらが家にもって、いまや、引っ張りだこ・・」
「ふぅん。そんな親方のところから、
飛び出しちまったってことなわけかい?」
「なにがあったか、しらないけど、
一本気なところがあるから、
よっぽど、腹にすえかねたか・・。
だけどねえ、子飼いのときから
親方にしこんでもらっての今の自分じゃありませんか?
何を言われても忍の一文字でしょうに・・」
男の意気地なさをなじってみせて口をへの字にまげる。
「そうだねえ。
女将の言う通りだと思うけど
そんな一本気な人間がとびだしちまうには、
よほどの仔細があったんだろうねえ」
男は手酌で杯をあおると、女将に杯をつきだした。
「まあ、ひとくち・・」
客手ずからの酌を杯にうけ、女将はくいと
一息でのみほした。
「ご返杯・・」
つぶやく声になりかける女将を男が宥めた。
「なに、女将がそんなに、気にかけるようないいところがあるなら
天の神様だってほっておきゃしないでしょう」
そうかもしれない。
だが、修造は本当にお里ちゃんに目をつけていないだろうか?
文次郎親方の所をとびだして、自暴自棄になるのは
男のかってだが、
それでお里ちゃんになにかあったあとじゃ、
天の神様もあったもんじゃない。
「まだ、なにか?」
男の言葉にまだ浮いてこない顔がきになり
男はかさねてたずねた。
「いえ、ああ・・・お里ちゃんという
年頃の娘がいるんですよ。気立てが良くて可愛い娘さんなんだけど。
これを修造親方がねらってるんじゃないかって、心配で・・
うちの店のつけなんか払わなくてもいいから、
早いうちに賭場通いをやめてくれりゃいいのに・・
そう思って意見すりゃ、さっさとにげだしちまって・・」
それで、いっそうため息が深くなる。
「転がりだしたらはやいっていうじゃありませんか・・
もう、遅いんだろうか。
目の前でお里ちゃんがうっぱらわれちまって
どうしょうもなくなってからしか、気がつけないんだろう・・か・・」
女将があわてて袂をまなじりにあてがった。
「女将が自分をせめちゃいけないよ」
男はしばし思案の顔をみせると腹をくくったようにみえた。
「女将、そのときは私のところにきなさい。
なんとでもして、金はようだてておげましょう。
だけど、今・・なんとかしてもどうせ焼け石に水。
そのときまで心を鬼にして黙ってみててやりなせえ」
男の提案がもしもの時にはお里ちゃんをたすけだしてやるといってると
わかると、ほっとした顔をみせた女将だったが
たちまち、その顔に猜疑が宿る。
「なんで、また、そんな気になんなするのかはたまた、どこのどなたさまか・・」
酒の席でも約束事などあてにならないとわかっていながら
女将はそれが本当であればよいとすがる思いももっていた。
「女将がなんで涙まで流す気になるのか?
それと同じといっちゃあおこがましいかもしれないが、そんなもんでしょう」
女将の猜疑もあたりまえのことでしかない。
「私はね、白銀町の大橋屋の隠居ですよ」
でてきた名前が大物過ぎて女将はふきだした。
語るに事欠いて、大橋屋はご愛嬌。
酒の席の冗語でございをあからさまにするだけ
男は悪い人間じゃなさそうだと思った。
「おや?しんじてもらえてないようですね」
女将の顔に浮かんだ笑いをみぬくにさといは
やはり大店を切り盛りした男の眼力ゆえだろうか。
「まあ、だまされたと思って、いよいよの時はうちにきてごらんなさい」
男がいうことも、女将にとっては、きやすめにはなる。
「そうですね。そんときは・・おねがいします」
生き馬の目をぬくこのご時世に
とおりすがりの不幸に金をだす馬鹿などいるわけがない。
この男もちょいと、人助け気分をあじわって、
隠居の寂しい身の上をなぐさめているのだろう。
女将はどうにもならない運命を
黙ってみすえるしかないんだといいきかせていた。
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