女将が大橋屋からかえってきてから、その心境は複雑なものになっていた。
確かに修造においつめられて、煮え湯をのまされれば、男の目がさめるだろう。
だけど、その己の馬鹿さかげんにどんなにうちのめされるか。
今の女将はその機会がめぐってくるほうがよいと考えている・・だろうか?
できれば、そんなみじめな思いをくぐりぬけずに、賭場通いをやめてくれればよい。
そんな風に考えていた女将だったが、その考え自体すでに甘い了見でしかなかったとしらされることになる。
賭場通いをやめたら、それで、すむなんてものじゃない。
人の暮らしをつぶしてでも、甘い汁をすするのは、女将だって同じだと自分せめさいなんだように、修造だって、覚悟の上で人を落としこんでたっきの道にしている。
女将はいくばくか、自分を責めてみたが、修造はそんなあまっちょろい罪悪感なんてものをにぎりつぶさなきゃ、組内がなりたたないって、とっくの昔に悪党になりさがっている。
あまっちょろい情なんかにながされるようじゃ、組をはっていけるわけもないのだから、任侠としてはりっぱな心構えでしかない。
人の生血を吸うだによりたちの悪い修造が悪いんじゃない。
だにの巣に手をつっこむ奴がばかなんだ。
それでも、まだ、女将の目算は甘かったといえよう。
修造が男に声をかけたときから、すでに男の皮膚の中にまでがっちりとくいこむ
口角がたてられていた。
だにがいかにだにでしかない証を女将自らがしらされることになったのは、
大橋屋からかえってきて、胸に石ころがつまったような妙な居心地の悪い思いをいだいたまま、男の顛末を待つがいいのだろうが、それでも、もう一度意見をしてみようか、やきもきした気分で男をみつめつづけ、十日ほどたった時だった。
まっさおな顔のまま、男が独りでのみにきた。
男に関らない方が良いとばかりに、与太者がついてこなかったのは、なぜか、すぐにわかることになる。
のれんをあけて、修造の若い衆がやってくると、店をぐるりとみわたし、男の傍らによってきた。
「親分がな、よくわかってねえようだから、もういちど、念をおしておけっていいなさるから、わざわざ、でむいてきてやったんだ」
男が若い衆の顔をちらりとみた。
「なあ、なんどいったって、もう親分もあいそがつきてんだよ。いいかい、おまえがけえしたっていってる金は利子ってやつでしかねえんだ。それもな、まともに利子さえもはらいきってねえんだよ。それを親分はなんにもいわず、黙ってたりねえなと思えば賭場銭をようだててやってたじゃねえかよ。なのに、おまえときたら、まともに利子さえかえそうとしねえ。親分だって、徒弟をかかえて銭がいるんだよ。だからな、みかねた俺がおまえに意見したわけじゃねえか。ところがなんだ?おまえの言い草がふるってるよなあ。かりた金はけえしたじゃねえか?だとお?
ええ?どこの世界に人様から物をかりて、「けえしただろう」? そんな科白があるもんか?
え?みっつの子供だってな、ありがとうっていうもんさ。そしてなあ、ちょいと、礼ってもんをするだろうが?
おまえはその礼さえまともに返さず、借りたものをかえしてないってことにきがつかねえっていうそのあつかましい根性になあ、親分もさすがに堪忍袋の緒がきれちまったんだよ。
まあ、おまえの口からでたさびでしかねえんだけどなあ、そのさびをふきつかれるものの気持ちになってみろってんだよ」
親子ほど年の違う若い衆におまえよばわりされながらも、男の顔は平静を繕ってみせていた。
「で、その借りた、貸したっていう証文ひとつない・・」
「やかましいっや!!」
男を一喝すると、若い衆は女将をねめつけた。
「なあ、女将。あんたも商をやってりゃあ、付けってものがあるよなあ?
その付けにな、借りました貸しましたって証文をかくのかよ?」
男のためにうかつな返事はできないと返答に窮しながら、女将の胸の中では
若い衆はわざわざ、男が店にはいったのを追いかけてきたのだと思った。
証文がどうのこうのといわれたら、切り返しやすい一番の理由がある場所に男がはいりこむのをみとどけてから、暖簾をくぐったに違いない。
だから、どういうふうに答えても若い衆のおもうつぼにはいりこんでしまってるんだ。
だけど、とにかく、この場をなんとかして、大橋屋の隠居につたえにいかなきゃいけない。
男がへたにさからって、腕をへしおられるようないざこざになっちまってもいけない。
女将はこの場をとにかく、丸くおさめ、若い衆を帰らすにうってつけの言葉を考えていた。
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