「とっつあん・・・」張り付け台に掲げられた佐吉の目に竹縄の向こうの義父の定次郎がみえた。
女房殺し、が、佐吉なら大事な娘を殺された父親が定次郎だろう。
娘が犯した不義をおもわば、佐吉の罪がかなしすぎる。
「おまえが、わるいんじゃねえ」定次郎の横で泣き崩れる弥彦にかける声がなんまいだぶと、かわり手があわせられてゆく。
佐吉は女房殺しの罪で獄門張り付けになる。
お千香が、実の亭主に殺される訳 . . . 本文を読む
佐吉の処刑は正午である。お天燈様が真上から見下ろす白日に其の罪を清算しようというのであろう。
お千香と佐吉は仲の良い夫婦だった。なぜ、お千香が佐吉に殺されなければ成らなかったのか。佐吉がなぜ、お千香を殺されなければならなっかたのか。
佐吉はどんなに仕置きをされようとも、そのわけをかたろうとしなかったという。
其の理由がわからないまま、定次郎はお千香の残した二人の子供を引き取った。
どんなわ . . . 本文を読む
其の日の朝であった。
弥彦が定次郎の元にやってきた。
弥彦にすれば、複雑な心境であろう。
佐吉は弥彦の朋友といってよい。
そもそも、お千香が佐吉としりあったのも、弥彦からなのである。
兄妹といっても過言で無いほど弥彦とお千香も仲が良かった。
朋友である佐吉とお千香が惹かれあい恋に落ちるともしらず、二人を引き合わせることになった、弥彦とて、定次郎の胸のうちでは、お千香の婿にと、夢を描いた . . . 本文を読む
弥彦の思いつめた表情に定次郎は膝に抱いた孫を見つめなおした。
下の子はともかく、上のおなごの子はわけがわからぬとも、大人の言葉を解し始めている。
弥彦の話が佐吉のことであるだろうと思えば、いっそう、幼子の心のひだに何が残るかわからない話が飛び出してきそうである。
定次郎は隣の部屋にいる、家内を呼ぶと、二人の孫を散歩にでもつれだしてくれと頼んだ。
家内である、お福にも弥彦の話がもれきこえない . . . 本文を読む
うなだれた弥彦のまま、その言葉ははきだすかのように、もれるかのように、弥彦の口からおちていった。
「佐吉には・・・子胤がなかったんですよ・・・」
弥彦がもらした言葉の意味はつまり、どういうことになるのだ。だが、実際には、お千香は二人の子供を生んでいる。それは、佐吉の子ではないということなのか?半信半疑のまま、定次郎は弥彦の次の言葉をまった。
「親方は俺がお千香ちゃんを好いていたことをしってな . . . 本文を読む
佐吉は大工職人だった。
指物師の弥彦とは、段々畑で顔をあわせるような知合いでしかなかったが、ひょんなことから、同郷であると知った。
同じ年頃、似た境遇の同郷の知人というものが、いかに、ひとり、他国の空に暮らしているもの同士の心を暖めるか。
弥彦も佐吉も、兄弟に会ったかのごとく親しみを覚えた。
土地柄の持つ、古くからの因習がものの考え方、感じ方を差配する。同郷人というものは、其の部分で語らず . . . 本文を読む
定次郎の願いをしりながら、お千香は佐吉と一緒になると決めた。
定次郎も一人娘のお千香の言い分を聞かぬわけにも行かず、弥彦の気持を確かめる事も、もはやおそいと、判るとお千香がそれで幸せになるならと、頭を下げる佐吉を許すしかなかった。
ところが、この佐吉とお千香には、中々、子供が出来なかった。
「え?まだかい?なあ、男の子なら俺のところにつれてこいよ。しこんでやるよ」
定次郎の指物の腕は一級品 . . . 本文を読む
お千香が弥彦のところにやってきた其の日のことを弥彦は今でもはっきりと覚えている。
玄関の戸口をあければ、そこに思いつめた表情のお千香が居た。弥彦はすぐには、なにかあったな。と、思い、お千香の胸のうちを聞いてみようと思ったし、お千香も弥彦に話す気で居るのだとも思った。
「まあ、茶でもいれるから、あがってくんな」三畳の小さな部屋は居間であり、寝間でもある。奥の四畳半が弥彦の仕事場にもなっていて、仕 . . . 本文を読む
弥彦が言い出した事が事実であるなら、「ちょっと、待て・・・。するってえと・・」定次郎の理解は事実だけにまず、むけられる。
「あの子らは、佐吉の子じやなくて・・・お前の子だということなのか?」
弥彦はそれをわざわざ、定次郎に告げている。いったん、口に出したことをもう、否定する気も無い。
「そういうことです」
弥彦は静かに、出来るだけ静かに事実を認めた。
「ま・・まて?な・・・なんで、そんな . . . 本文を読む
「佐吉には、子胤がないんだよ」お千香が口を開いた言葉がそれだった。
弥彦は其の言葉でお千香の望を理解した。弥彦に子胤を落としてくれといってるに違いなかった。
が、「だから・・。と、いって、そんなことができるわけはないじゃないか。え?子供ができねえからって、なんだよ。貰い子でも、なんでも・・・」
弥彦はお千香を真正面から見据え、もっともな、意見をしたつもりだった。
だが、お千香は悲しい目で弥 . . . 本文を読む
「つ・・・まり、それで、お咲が、できたってわけかい」孫娘の名前は佐吉の「さき」をもらって、咲と、なづけられている。
定次郎はどうしても信じられない。お千香が口をぬぐい、あげく、「咲」と、なづける事を承諾する?承諾するしかなかったか、いかにも、佐吉の子とおもわせたかったか。
「親方。勘弁してくだせえ。お咲にやあ、何の罪もねえこった。お咲は佐吉を父親だと思ってるんです。俺もそれは、充分に承知してい . . . 本文を読む
「俺は卑怯だとおもった。だけど、一度、そういうつながりをもっちまったら、自分の気持ちにうそがつけなくなっちまった」子胤を与えたら、それで、自分は用なし。弥彦の気持ちひとつ、考えてもくれないお千香であればあるほど、いっそう、好いた気持ちがどこにも、抜け出ず、はらまなかったと再び訪れたお千香をかきくどくことになる。「なあ、俺はいったい、なんなんだ?お咲の父親だということも出来ず、佐吉をうらぎって、あげ . . . 本文を読む
お千香が身ごもった後になんどか、弥彦は無茶をいった。だが、お千香は「子供に障るから・・」と、弥彦の手をふりはらった。
確かにお千香に触れたいがお千香の腹の子は弥彦の子でもある。「そうだな。俺の子だ・・・」誰にも言うことが出来ない。誰にも知られてはいけない事実をいえる相手はお千香しかいない。
いくら暗黙の中に隠してもお千香と弥彦をつないでいるものがある事を念押しするためにも弥彦はくりかえした。「 . . . 本文を読む
佐吉を囲む人の群れが定次郎をみつけると、佐吉の前までの通り道をあけてゆく。
『佐吉の親父だ』『お千香さんの親父だ』通してやれ、場所をあけてやれと、言葉が飛び交い定次郎の目の前に憐れな佐吉がうかびあがってきた。
娘を殺された男と女房を殺した男が向かい合う。
しんと静まり返ったその場所は定次郎の舞台を演じるのを待つかのように人の群れが2歩3歩と定次郎から退き丸く定次郎と弥彦を囲んでいた。
目を . . . 本文を読む
男の声に佐吉がうっすらと目をあけ定次郎を目に留めた。
まさに目に留めたというしかない。
佐吉の瞳は定次郎を映してはいたが定次郎への何の感情もよこしてこなかった。
「佐吉・・・す・・すま・・」すまねえ。云おうとした言葉に定次郎はよどんだ。
俺があやまったら、もしかして、佐吉はお千香の不貞のわけをしらずにいたなら、子供が佐吉の子じゃないことを云うに等しいのじゃないかと。
ぼんやりと定次郎を見 . . . 本文を読む