佐吉は大工職人だった。
指物師の弥彦とは、段々畑で顔を
あわせるような知合いでしかなかったが、
ひょんなことから、
同郷であると知った。
同じ年頃、似た境遇の同郷の知人というものが、いかに、
ひとり、他国の空に暮らしているもの同士の
心を暖めるか。
弥彦も佐吉も、兄弟に会ったかのごとく
親しみを覚えた。
土地柄の持つ、古くからの因習が
ものの考え方、感じ方を差配する。
同郷人というものは、
其の部分で語らずともお互いを知るものがある。
この点でも、弥彦も、佐吉もお互いの存在が気安い物になっていった。
そして、弥彦は、早くも、二十四の年に一本立ちになり、
せまいながらもの、長屋の一軒をかり、
独り暮らしを始める事に成った。
もちろん、その裏側には定次郎の願いがあったのは言うまでも無い。
一本立ちになった職人であらば、
弥彦もお千香を嫁にもらいやすい。
お千香に対して
「親方の娘」と、遠慮することもなく、
大手を振って嫁に迎えることが出来る。
自分をおしころし、
相手の思いを先にくもうとする弥彦の性分を
定次郎はすいていた。
すいていたからこそ、
定次郎も弥彦に無理強いになるかもしれぬ言葉は
一言もかけなかった。
その代わり、
お千香にはなんどとなく、
弥彦をすすめたものである。
「腕もいい。気性もいい。あれは、本当に優しい男じゃ。
心をぬくめられるような、良い人柄だ」
「弥彦が息子であったなら、俺の後をついでもらいたいのだが・・」
「お前が弥彦の嫁になれば、良いのだ」
「娘の婿はすなわち、俺の息子だなあ」
遠まわしに言ってみたり、はっきりじかにつげてみたりした。
其のたび、お千香はわらっていた。
「おとっつあんの気持はよくわかるよ。
弥彦さんは、本当にいい人だよ。
でもねえ、弥彦さんは、きっと、ほかにいい人がいるよ。
あたしのことは、妹とおもってたら、まだ、上出来。
ねんねのおちびにしかおもってないよ」
男と女と意識した感情一つさえ無いのか、
お千香はあっけらかんとした物言いで、笑うだけである。
「そうかなあ?」
昨日まで子供だと思ってた男子が
女子が
なんのきっかけで、どうかわるか、判らないのが
男と女である。
定次郎は
ことあるごとに、
ことがなければ、用事をつくってでも、
なにかとお千香に弥彦の住まいに出向かせた。
彼岸だとおはぎをつくれば、
そうだ、弥彦にもくわせてやれ。
指物の仕事を弥彦にまわしたから、
下絵をとどけてくれ。
そうだ。そうだ。
あわせの着物がいるだろう。
お千香が縫ってやれ。
縫えば縫ったで、
お前がとどけてやれ。
「これじゃあ、まるで、弥彦さんが本当のこどもみたいじゃないかあ」
お千香は笑いながらも定次郎の目論見を受け流した。
定次郎の願いはかけらひとつもかなうわけが無い。
なぜなら、
お千香は弥彦のところで佐吉にであった。
であったときから、
佐吉のことが胸から離れない。
佐吉もそれは同じで
お互いを意識したものは、
それとなく、お互いの気持を確かめたくなる。
そして、
お互いが弥彦に問い合わせるのである。
「むこうは、こっちをどうおもっているだろうか?」
弥彦は自分の感情を殺し、
二人のなかだち役に徹するしかなかった。
お互いにひかれあうことこそが、しあわせであるのだから、
自分の片恋なぞ、けどらせたりしたら、
その幸い振りの前に、元をわるくさせるだけである。
「似合っているように思う。
お前を見るときの目はいっとうやさしい」
事実を告げただけにすぎないのであるが、
弥彦の胸ははりさけそうに、苦しかった。
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