憂生’s/白蛇

あれやこれやと・・・

―沼の神 ― 21 白蛇抄第11話

2022-09-02 11:11:29 | ―沼の神 ―  白蛇抄第11話

楠を結んだ綱を伸びた背筋に廻すと、
よいとなの声を腹に貯めるように深く息をすった。
「はあああああーーー」
凛と透る声が静かな境内にひびきわたり。
大きく、高らかな節回し一声。
「よいとな」
どう覚えたか腕の赤子は榊を振りながら
「ちょい、ちょい」
と、唱和する。
片腕で軽く引いた綱が張り切ると
楠がするりと水の上の流木とみまがう動きで次三朗の寸分前に泳ぐ。
「あああ」
人足達の驚嘆の声は昨日びくとも動かぬ楠をしっておればこそである。
「よいとな・よいとな」
しゃしゃと榊が振られちょいちょいと声がはずむ。
筋張った腕に絡められた綱で次三朗を締め付けるまいとばかりに
楠は綱の緩みを追う。
軽く引けばその緩みを崩さぬように楠が追う。
「みょうと・・ですよね」
歩み寄ってきた澄明が頭にそっとつぶやいた。
「そうです。是が、最後の夫婦ごと」
頭の声に被さる楠の声が澄明の耳の奥底にとどいた。
―是で、思い、切った―
澄明の胸に楠の昇華の時がきこえ、
穏やかな笑みをうかべた澄明に頭はたずねずにおけなかった。
「なにを・・?」
思いなさる?
澄明の眼差しはまるで、久世観音のように柔らかく、
縋ってゆきたくなる錯覚をわかせる。
「愛しいものです」
思い込めて、命さえすてて、思い一つに生きた楠こそ愛しい。
「うらやましいくらいですな」
頭は思うままに言葉をかえしたにすぎないが、澄明は素直にうなづいた。
「わたしも。そう思う事がなかなかできませんでした」
「はあ?」
わかき陰陽師の苦悩なぞしるよしもない頭である。
「うらやましいは、いけませんか?」
心の持ちようである事はわかるが、
陰陽師とも成るとねたみそねみの前、
うらやむもよくないと素直に己の心を認めてはいけないらしい。
「しにくいものですな」
陰陽師という生業が心をしばりつける。
日々精進で湧いてくる悪心と戦うも陰陽師なのか?
「たいへんですな」
いい姐さんがいても、
いい女だなんておもってもいけないということらしい。
ましてや、いい仲になるなぞ、もってのほかか。
妙な得心ぶりであるが、
それでも、楠が事、涙誘われる夫婦の情まで
うらやましいとおもってもかまうまい。
とて、とうの澄明がそこにきがついたということであるのだから、
なにもいうことはないのだが、
親をしのぐほどの陰陽師とて、
まだまだ人の心のあやおり、いろは、はしらぬとみえた。
「まだ・・おわかそうですが・・妻は?」
妻を取らぬかと聞いてよい歳か気に成った。
「わけあって、澄明は妻帯できませぬ」
「ああ」
陰陽師としての修練でなく、妻帯できぬわけが
うらやむ事さえ、征していたのだ。
うらやめば、妻帯できぬ自分があわれになろう。
人の心を思いはかるに聡い男はだまりこんだ。
だが、あの微笑はほんものである。
自分とは切り離した所で楠の生き様を愛でることができるなら、
この陰陽師はおろがむの境地に立てる、本物の陰陽師になるのだろう。
「みおくりましょう」
澄明をいざなう言葉をかけると頭はさきにたった。
楠はじき鴛撹寺の門をくぐる。
この先は親子二人が同道するだけである。
門出と云うはおかしいことかもしれない。
だが、波にもまれる父子を産み出した基は楠の思いからである。
父子と云う船を作り出した船大工が
雄雄しき航海に向かう父子をみおくる。
やはり是は門出なのだ。
澄明はひくく寿ぎ唄をくちずさんだ。
澄明の心根を察する頭が唱和し始め、
境内の男衆もまた、楠の情を褒めるが如く、
父子につたうるが如く、
頭と澄明に加わり、二人のちいさな唄は大きな唱和にかわった。
弔いは残された者の新しい門出の発心にならねばならぬ。
異例なる弔いでの寿ぎ唄を聴きながら和尚はおもった。
生業であらば、当り前のように死者と向かい合っていたが、
弔いはむしろ、生きている者の執心をきり、
残された者が生きるめどうを掴む儀式なのだ。
死者に生との決別を諭しあの世への引導を渡すばかりが弔いではない。
生きている者を生かす為にも
死者との決別を儀式という形にしてこそ、心にけじめがつく。
ふうむと唸ると和尚も小さく唄ってみた。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿