憂生’s/白蛇

あれやこれやと・・・

―沼の神 ― 20 白蛇抄第11話

2022-09-02 11:11:45 | ―沼の神 ―  白蛇抄第11話

方丈に入り茶を整える和尚の手元を見詰めながら
澄明は外の気配に耳を凝らしている。
人足が来たら、まず和尚の所にやってくるだろう。
次三朗の事は人足も楠との由縁ごと、じゅうじゅう承知の事であろう。
人足も幼子と次三朗のうずくまる姿にしのびがたく感嘆の声をあげよう。
だが、次三朗親子を跳ね除けて
吾らが楠を引かねば成らぬと思い込んでいる人足である。
次三朗がどいてくれといわれるまえに、
次三朗からじかにことの次第を語らせる前に
澄明が人足達をさがらせてやりたい。
「おはようござります」
ぬうと方丈の濡れ縁に顔を出した人足頭である。
和尚の前に座る丹精な顔立ちの若い男が
例の陰陽師であるなと頷きながら澄明にも礼を返す。
「どうすりゃあいいんですかい?」
頭も楠の前に座る次三朗に何と言えばいいのか、見当がつかない。
見当がつかないのをそのまま次三朗に近寄ってみても尚更困る。
きずかぬふりで楠から目をそむけ慌てて方丈に駆け込んできて、
言葉足らずのぶしつけをみせるていたらくである。
「あの」
和尚が頭にいうべきことは、結句澄明の胸先三寸でしかない。
何も云わずにいるわけもいかぬ和尚は澄明の差配をうながす。
頭も和尚の様子で和尚に尋ねても埒が明かぬと
ふんふんと頷きながら澄明に向き直った。
「あの。どうすりゃあようございましょうかねえ?」
「何も成されず野辺送りをしてさしあげてください」
「え?みてるだけでいいんですかい?」
陰陽師の一喝で楠が動くとみた。
なんとも、はや、鴛撹寺の和尚がたよるはずである。
けれど。
「本当になんにも、しなくてよ、よいんですね」
「ええ。よいんです」
可笑しげな口調をなぞりきかせると、
何を得心するか、ほうううと溜息をついた。
「さすがですな」
長浜陰陽師四天王の一人白河正眼の嫡男、白河澄明。
十五の齢で主膳様にお目見えがかなったときく。
見ればなよけた女のような細っこさがたよりなげである。
噂はとめられぬものと人の口の責任のなさを責める気もおきない。
が、頭の目にうつった外見と澄明の法力は対をなさぬものであるらしい。
もうすぐ、楠の怪を抑えるうら若き陰陽師を、
法力を目の当たりに知る事になる。
「はああ。さすがですなあ」
これから起きる事を起きると既に信じて込ませる澄明がふしぎである。
妙に信を与えるも陰陽師の法力の深さか徳の広さか。
いずれにせよ頭を唸らせる物がある。
「はじまりましたな」
赤子の通る嬌声が響く。
「ちょい、ちょい」
甲高い声は笑いをふくんでいる。
「よいとなあ・・よいとなあ」
次三朗の低い声に赤子は片言でよいとなをあわせてゆく。
「ちょい・・ちょい」
頭はそとへとびだすと、仲間をよんだ。
おうように皆、次三朗の所作をみつめていたが、頭の声にふりむいた。
「俺らがてつなわなくとも、動くとよ」
一同からほううと大きな声が上がった。
なかから、若い衆がひとり、己の推察に惚れ惚れとした声でこたえた。
「だろうとおもいましたよ」
「そうかい?」
若い衆を軽くいなす。
「だって、そうでしょう?
木挽きが散々苦労しても切れなかった楠なのに、
次三朗さんがきたら、きれたんだ。こんどだって、そうでしょう?」
「そうだな」
「初めから次三朗さんがひいてやりゃあよかったんだ::」
「そうかな?」
頭の目が「若造よ」と笑っている。
「そうじゃあねえんですか?」
頭になんで、若造と見られるかが腑におちない。
「まあ。そんなこたあどうでもいい。俺らも折角来たんだから
野辺送りにたってやらねえか?」
「はあ・・」
茶を濁された後味の悪さが
これ以上頭に食い下がるを無理とおしえている。
つづまった若い衆の返事ではあるが、それは了承である。
「いくか」
楠を引こうとする親子の側に集まり弔い送りをする。
方丈を振り返った頭には濡れ縁を下りる澄明の足先が
やけに細く哀しげにみえた。
本当はこんな事なぞみとうないだろうに。
陰陽師の宿命なのだろうが。
あたら、法力が高いばかりに、
知らぬでもよい悲しみが足先まで染めてゆく。
と、いって、この自分とてなにもしてやれはしない。
「次三朗さん。わしらもかみさんをおくらせてくだせえよ」
せめて、いくばくか、悲しみを共有する時をすごすだけしかない。
「はい」
誰にも知られる事なくきゆるはずだった異種婚の夫婦の絆を
赦された最初で最後だった。
楠を妻と認め普通の良人の悲しみに寄添おうとしてくれる情のぬくみが
次三朗に涙をわかせた。
「ありがとうございます」
頭を下げた次三朗の目下の土にぽとりとしずくがおち、
乾いた土の色を濃くした。
「さあさ。もう、きめたんだろ?
名残り惜しかろうが、いつまでも、こうしちゃいられまい?」
「はい」
赤子を育て行く糧も稼がねば成らない。
次三朗が生きてゆくと決めた裏には
いくつも振り捨てて行かねばならない悲しみがあった。
この子を育ておおすと決めた次三朗が
いつまでも、悲しみにかかわずらっていてはいけない。
「なあ・・・。生きて行くって事はつめてえもんだよ」
平気で己の情さえ断ち切らなきゃならないときもある。
切羽詰ったぎりぎりをわたらなきゃなんないときもある。
でも、そりゃあ、決して無情なんかじゃねえんだよ。
「なぁ。精一杯。生きてゆく事がかみさんにしてやれる尽くしだろ」
わかってんだよ。わかってんだよ。
次三朗さんがつれえのも、そんでも、頑張って生きなきゃって、
力いれようってのも、わかってんだよ。
頭は言いたい事なぞ上手く言えるような性質じゃない。
口下手で、お世辞にもかわいげのある面相だなんていえない。
みてもだめ。喋るも下手な男の次三朗に向かい合う心の声を
次三朗の方がよくわかった。
「ありがとうございます」
しゃきりと顔を上げた男は片袖でぐいと涙を拭うと坊をだきなおした。



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