憂生’s/白蛇

あれやこれやと・・・

―沼の神 ― 16 白蛇抄第11話

2022-09-02 11:12:57 | ―沼の神 ―  白蛇抄第11話

とうとうと流れる涙があわれである。
澄明が鴛撹寺をあとにし、比良沼へ足を運んでからの三日の間。
澄明に教えられたとおり次三朗は楠の怪を抑えた。
楠は元に戻るにも木挽きの屑がない。
木挽きの屑があっても次三朗に盛り込まれた切り口の塩が
屑を寄せ付けず木肌を盛り返す事もさせぬだろう。
諦めるしかない。
楠も覚悟が欲しい。
愛しい者が悟法をしく。
これで、未練ごと切られて行くを楠も望んだ。
「やっと・・」
次三朗の涙である。
「やっと、たおれました」
楠の大木はみしりと片ぶき、ゆるりと身体を斜に落していった。
楠がどうっと倒れ身を横たえた境内で
枝は取り払われ、大火にくべられた。
次三朗と赤子は小さな枝を取ると火の中にくべこんだ。
「ちゃいよ」
次三朗が声をかけると赤子は火に枝をなげこむ。
木屑もそうした。
赤子は楽しげに木屑を掴むと
「ちゃあ」
と、声をあげ香炉に木屑を落した。
次三朗の腕の中に抱かれた赤子は
何度もかがみこむ父親の意図を悟るか
飽きもせず木屑を掴むと香炉の前に歩み寄った父の腕の中から
香炉に木屑を目掛けた。
目の前で楠が倒れ際限なく続いてきた香炉へのはたきが終ると
赤子は
「ちゃあ」
と、木屑をはたきこませろと父親にせがんだ。
子が母にしてやれる尽くしとしっておるか、
楠の心が切り倒された今も赤子に尽くしを求むるせいか、
次三朗は木屑がなくなった今、小さな枝葉を赤子に掴ませた。
「ちゃいよ」
楠の未練が大火と共に天へ登ってゆくようである。
子がくべる尽くしが煙となって楠の未練を連れ天へ帰るようである。
「これで・・あれも・・らくになれる」
次三朗が思ったのも束の間だった。
枝葉を取り払われ、綱を巻かれた楠は
何人の人足が寄り集まり引こうともびくとも動かぬのである。
次三朗の涙がとめどなく流れるを見ながら、
澄明の予測にたがわなかった楠の心を思った。
「楠も是が最後。坊によいとなを言わせてやってください」
「ああ」
よいとなというは木を引きずり運ぶ時のかけごえである。
坊の掛け声で楠は冥途に発ちたいのである。
「そうなのですか」
「明日は・・私もまいりましょう」
楠と唯一心を交わせる澄明が来てくれる。
次三朗の顔色が僅かに和んだ。
「伝えたい事はありますか?」
澄明は死を看取る者らしく尋ねてみた。
「いえ」
何もない。
たとえ、坊を立派に育ててみせる、安心せよといってみせても、
楠の悲しみをどれほど、掬い取れよう。
例え、お前がいなくなっても次三朗の心は変わりはしない
と、誓いだててみてもどうなろう。
次三朗が見せられる誠は楠が消滅した時からこそ、始まる。
それを見る事は楠には出来ないのである。
証だてるは己にだけである。
「そうですか?」
もう一度念をおした澄明である。
「本当に何も・・・いわなくていいのですか?」
次三朗の無言が答えになり、瞳から落ちる涙が無言のわけを語る。
『心張り裂けるほど、愛しておるとさけんだら、私もしんでしまう』
恐ろしいほどに張り詰めた心の均衡を保たねば
次三朗は楠の後を追いそうである。
今何か言わば心が緩み次三朗は楠の後を追ってしまう。
『さすれば、誰があれの思いをうけてやれる』
次三朗まで死んでしまったら
楠の情恋を覚えていてやれるものがいなくなる。
誰にも思われることのなくなった楠こそ哀れな甲斐なき恋になる。
「そうですか」
読みすかしたわけでない。
溢れる哀しさと激しさが澄明に伝えてくる次三朗の恋に頭をたれ
澄明は次三朗のひざで眠ってしまった赤子をみつめた。
この子だけが二人の恋の証になるのだ。
楠がこの子によいとなをかけて貰い
冥途に旅立とうとする前に葬るは二人の恋なのである。
「では、明日に・・・」
「はい」
今生の別れがさだめられる。
次三朗の顔はなくすものへの決別を
やっと突きつけられる安堵に変わって見えた。
『この人も苦しんでいる』
次三朗の苦しみを思う楠の苦しみが澄明を突き上げてくる。
だが、澄明でさえこうであらば、楠を思う次三朗はさらにであろう。
けっきょく、どうにも成らぬ定めがお互いをかなしませるだけである。
が、それも明日で終る。
いや、終わりにさせねばならない。
二人の縁を引き裂くが、苦しみを終わりにさせてやれる事になる。
『これも、周りが赦す。と、いうことか』
死を持って引き裂く事が今の二人にとって、解決になる。
ここまで、周りの気持ちを固めさせるためにも、
楠は怪をおこしてみせたか?
哀れなまま、無理に裁断を下せば、下した方もやるせない。
この気持ちをさっして、楠はごてる怪をみせたか?
『そうかもしれない』
澄明は心のうちでそっと呟くとついと立ち上がった。
「これを」
祭壇に供えた榊をとり、次三朗に渡す。
「口に出さぬ貴方の思いをこめて、今晩一夜。
貴方の側においてやってください。明日はそれでやいとなを」
「はい」
澄明に辞去を告げると次三朗は鏑木の部屋をでようとした。
明日のやいとなに思いを込める榊を眠りこけた坊の胸元にはさみこむと
次三朗は
「おがみます」
と、澄明にいった。
明日の事は楠への死を与えることでしかない。
だが、それでも、次三朗は澄明を拝むといって、部屋をでていった。
『虚しい』
二人の定めをどうにもしてやれぬ自分の非力が澄明を責める。
「すまぬ」
達観に至った次三朗の姿に、自分の非力でしかないと、
手を合わせ深く詫びるしかなかった。



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