沼の神を呼んだときに現われた淫卑な男が澄明を抱いていた。
「あさましい・・」
沼の神の見せた淫卑な男の姿のことではない。
目の前で何度となき沼の神の変転をみれば、
否が応でも是が己の心の象りでしかないとかんがえつく。
と、なれば、この淫卑な男も澄明の心の象りである。
己の心の底で政勝を求めているを見せつけられ、
澄明は我を忘れ、幻に身を任せようとした。
政勝恋しのはて。
叶わぬ恋のはて。
幻で己の憂さをはらそうとした。
これもあさましい、己の欲である。
だが、幻であっても政勝への思い一途になるなら、
澄明の思いは真といえるかもしれない。
ところが、己の思いを晴らす欲に狂いきれもしない。
己の思いだけに照準を合わすことさえ出来ない。
澄明の心に忍び込んできたものは疑いであり、保身である。
沼の神こそ、白峰の先をなして、
澄明をくじろうとしているだけではないか?
ふっと、わいた疑いはあっという間に政勝の姿をうばいつくした。
いっそ、幻でもいい。
いや、幻だからこそ、己の恋情を昇華できる。
うっかり、現の政勝に近寄れば、かのとを苦しめる。
政勝をしても、白峰のあふりにさらすだけである。
ゆるされるものが、この幻でしかない。
澄明の戒めが解かれ己の心のまに飛翔する事が赦される
ただ、ひとつの悲しい幻惑。
で、あるのに・・・。
「あさましい」
結局、己の身を恋の駆け引きにつかいたいのだ。
幻にこの身をくれてやっても、現の政勝のことだに届きはしない。
みかえりさえない幻との接触は己の心に殉俸する事をやめさせた。
そして、己の心を量ることをやめ、沼の神の真意を疑った。
とたんの、変転である。
あさましく淫卑な男が澄明を抱いている。
いや、あさましいのは己である。
己の真一つにこの身をかけられず、見るは沼の神。
向こう側である。
「心というはしにくいものよの」
沼の神は澄明を抱いた手を緩めた。
「お前も是が実体でない、お前の生み出した者であることは、
もう、わかっておろう?」
小さく返事をする澄明を押しやると
「白峰の情恋如き、手のひらに乗せてくるんでやれぬお前だ。
己の心さえくるめはすまい」
澄明を見詰めた沼の神の瞳が憐れむに優しい。
「私は」
沼の神をくるむことなぞ、露一つおもいもしなかった。
だが、この言葉は沼の神に引き出されたものに過ぎないと、
澄明が飲み込んだ言葉を悟る沼の神は小さくうなづいた。
「また・・くるがよい」
「はい」
このまま、澄明を我が物にして出来ぬ事でなかったはずであるに
沼の神は成さぬかった。
沼の神は澄明に何かを教えようとしている。
教えた物を育ててゆこうとしている。
それは、たんに白峰と同じ思いで、しかないのかもしれない。
沼の神の男としての思いを良く受け止める澄明を
作ろうとしているのかもしれない。
だが、思いは何かを掴み始めている。
はっきり、姿をみせないが、
澄明の中に沼の神が植えつけようとする悟りが根を下し始めている。
この悟りを掴む事が
あるいは沼の神の手に落ちることになるのかもしれない。
だが、何かがある。
自分の知らない何かがある。
産声を上げる前の赤子は今暗い産道で命を掴もうと必死である。
なにか。光明がみえる。
是は澄明の陰陽師としての感でしかないかもしれない。
だが、
「又、来ます」
強く言い直すと澄明は比良沼を後にした。
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