憂生’s/白蛇

あれやこれやと・・・

青菜はすきかね?

2022-09-11 18:38:47 | 作品に寄せて・・

静御前の「しずやしず・・・」と、いうのをメモ書き程度に書きのこしていたのを

掌編に収納している。

 

じつは、憂生は明治維新のころが好きで

司馬遼太郎の本を読み漁ったのであるが・・・。

 

平安とか江戸中期とか、このころのことには

ほとんど触手がうごかず

静御前がなんのことやら/おい!

さっぱり、わからないまま、

「しずやしずしずのおだまき・・」をぐぐって、

そこにかかれていた史実を参考に

視点をかえたものをメモ程度に書いた。

 

どういうわけか、このメモ書きに来訪者がおおくくる。

 

なにかしら、人気のある場面なのであろう。

 

憂生が源義経を子供のころに読んだ以後、

源義経にかかわることはいっさいなかったのであるが

落語・・

ん~~と

「青菜」かな。

 

隠し言葉というかな。

ちょっとうろおぼえなんで、間違ってるところもあるかもしれないが、大筋。

 

大家のところで刺身をたべさせてもらった植木屋(だったかな)が

食べたこともない食べ物だから、横においてあるわさびも口にほうりこんでしまう。

からくてもがいてる植木屋に

青菜をもってきてあげなさいと奥(さん)にいいつけるものの

奥さんが台所にはいっていくと、青菜は昨夜のうちにたべていて、ひとつもない。

 

主人に客のまえで「ありません」とつげるのは恥をかかせるようなものなので

隠し言葉で伝える。

そこで、源義経がでてくる。

 

「あの、だんなさま。さきほどのーなむくろうほうがんー」

菜を食らってしまってない。と告げる。

意味がわかった主人は

「義経(よし)  義経(よし)(わかった)」

と、答えその会話をきいていた植木屋はどういうことかたずねる。

 

大家(たいけ)はちがうものだと感心するだけだけでおわらず、

植木屋も自宅で大家ごとをまねしようと

友人をまねく。

女房にはちゃんとうちあわせもしてある。

「あ~~~植木屋さん、青菜はすきかね?」

「ばかやろう。植木屋はお前だろう。おりゃあ、大工だ」

「青菜はすきかね」

「でえっきれえだ」

と、なかなかとんとんと真似事がすすまない。

やっと、青菜をもってきてやりなさいという段にこぎつけたものの

女房が

「だんなさま、さきほどのなむくろうほうがんよしつね」

と、やったものだから、植木屋は返す言葉をみつけられず、

「弁慶~~~~」

 

まあ、これも、現代になると

弁慶の泣き所なんていういいかたがあるから、

窮地にたった(泣き所状態)植木屋とかさなって、

さらにわらえてしまう落語なのであるが

 

ここででてくる「なむくろうほうがんよしつね」

 

源義経は源九朗判官義経が確か本当の名だとおもう。

なむは南無。

南無阿弥陀仏の南無か、南無妙法連の南無かしったことじゃないが、

(これは、また詳しくはなせたら・・ということで、今回はしりゃない)

南無八万大菩薩などでも完頭詞として大活躍している。

まあ、尊敬語といっていいか。

 

頼みごとのときにとくに多いきがするが/笑

 

で、九朗というのだから、兄弟もおおかったのだろう/ちゃうか?

捕虜(名前でてこん)扱いで苦労したからという説もきくが/まさか

 

で、判官。

この意味はどうでもいい/よくないが。

 

判官とこう書いてもなんじゃそれと思われるだろう。

だが、憂生は次の言葉でフォー!!(ふるすぎるね)とびっくり納得。

 

判官贔屓

きくでしょ?

はんがんびいき。

日本人ははんがんびいき。と、いってもいい

弱くて立場的に不利なものを応援するというか・・。

相撲でいえば、舞の海とか、千代の富士とか。

体がちいさくてとても大きな体の相撲取りにかてそうにないのに、

勝っちゃう。もう、やんややんやの喝采で応援せずにおけない。

 

まあ、日本自体(国)ちいさくて不利なとこいっぱいあるのに

よくがんばってるから、いまや他国からときに判官贔屓をうけてるとこはあるとおもうが。

 

まあ、この程度しかしらないので、

メモ書きから物語にかきおこすことなど到底できない。

 

じゃ、しらべたらって、いわれるかな?

 

それがさ、

歴史、明治維新からほじくっていったら

いきなり、神話あたりにたどりついてしまってさ。

 

途中はワープトンネルさ。

 

だから、いま、ぬながわひめかいてるっしょ?


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