レイがメールをくれた。日記「長いよ・・」のことについてなんだけど、
その中の一言。
これが、ものすごく重要なポイントなので、
此処にあげさせてもらう。
/また、勝手にご免/
***すごく恥ずかしくて悲しくて苦しんでしまうのかもしれないけれど・・・
この罰を乗り越えてはい上がってきてくれたら
憂生と、彼女とも・・・あらためてすごくいい関係が育める希望も生まれるって気がする・・・。
***
レイ。その通りなんです。
憂生はボーマン・ボーマンで
「自由の女神は敗者には、手を差し伸べるけど、臆病者には手をさしのべない」
って、かいてます。
思い方は自由。
どんな風にでも思うことが出来ます。
一度の失敗にこけて、
自由の女神が微笑むような思い方を目指すのをやめて、
もっと、上昇する思いにチャレンジする事から逃げる。
こんなの、愚の骨頂。
こけたらたちなはれ。
そんなの当たり前。
憂生に言わせれば
こけてよかったといえる物掴んでたちなはれ。
せっかく、こけたんだ。
その機をいかして、もっといいものになろう。
じゃないと、こけた意味ないじゃん?
だから、レイ。
君の見解はものすごくいい。
*************
この話の後ろ側には、今は亡きAMDAKIさんへの誹謗。中傷。があった。
原因は憂生なので、なんともはやというところなのだが、
「憂生のところにいくな」というところからはじまった、らしい・・・・。
ある人から、このいやがらせがあることを聞かされて、憂生はレイに相談した。と、思う。
憂生自身が呼びかけたらどういうことになるか、
後日談であるが、別の人がいやがらせをうけてるところに、
憂生がなにかしらいったら、
「憂生にちくった」とかで、嫌がらせがますますエスカレートしたらしい・・。
まあ、そんなこともあるわけで、嫌がらせの原因?である憂生が下手に物をいうのもどうだろうと思いつつ、いくつか、日記をかいた。
もしも、AMEDAKIさんが事故かなにかでぽっくりいってしまったら、自分のしたことをわびることもできず、嫌な後悔を一生せおっていかなきゃならない。
ましてや、心を閉ざしていたAMEDAKIさんにたいして、憂生がどんなに心を砕いていたか・・。(じっさい、事故ではなかったが、亡くなってしまったわけだけど)
それをつまらぬ嫉妬心のまま、行動したということは、憂生の思いがわかればわかるほど、悔いになる物事だろう。
だからこそ、人を思う気持ちになってほしいと、その人に対してもねがったわけだし・・。
間違いを切り替えるすばやさは女性特有の美点であるという考え方が憂生にはあるからこそ、なにをした、どうした、ということよりも、気がついていけるということ、変わっていけるということを希望した。
これは、別段その人に対してだけの責めからのものでなく、AMEDAKIさんに対しても憂生の思い方として、一貫したものだった。
心を閉ざしていた彼女がいろんなことを話し出し、20年近く、傍らに行くことさえ出来なかった事故現場に花を手向けにいくといいだしたとき、彼女が「変わっていく。心を開いて、悲しみを昇華?させていこうとしている」と、いうことにどんなに憂生は喜んだか。
だから、その考え方は、嫌がらせをしていた人に対しても同じなんだ。
間違っていたと自分を正しい思いに昇華させてくれるなら、どんなに憂生もうれしいか。
そして、事情をよく知っていたレイも、同じように、その人を信じてみてくれていた。
思われるありがたさ。
と、いう言葉を何度もくりかえしていたAMEDAKIさんには、わかっていたことだろう。
思われるってことが、ありがたいってことがね。
だから、いやがらせをした人にたいしても、やっぱり、そんな風におもっていた。
ここまで、いろんな人に思われて、いやがらせをしていた人がわびることひとつできずに終わってしまったのかもしれないと思うと悲しいものがあるけれど、
憂生の憑依体験の部分でもはなしたけど、亡くなった人にだって、思いは通じるから、
そっと、悲しい思いをさせてごめんって、口にだして伝えてくれたらいいなってそう思う。
「長いよ」
くまさんに、ずいぶん心配かけてしまった。
そうだね、あれから、みゆ~きと、すこし、話しして、
ずいぶん、思いを切り替えさせて貰った。
でね、憂生が落ち込んでいた理由、此処にかかさせて貰う。
***
先日、日記の中に友人の所に
悲しい、言葉を投げかける人。
の、ことについて、掲げた。
実を言えば、人のことのようにかいたけど、
憂生と憂生の友人のことである。
のに、他の人のところで起きた事のようにかいた。
憂生がこんな遠まわしの方法を選んだのはいくつか理由が在る。
一番大きな理由は悲しい言葉を
投げかける人のことを考えたから。
ひどい言葉を投げかける。
その事実を知った人は、普通だったら、怒るだろう。
でも、憂生はそんな行動に出てしまう気持ちも
憂生の経験から重ねるだけだけど、
よくわかる。
判るから、むしろ、憂生は自分がとった過去の自分の行動を省みる。
このことも話せないと思っていた。
こういえば、
あるいは、怒ってくれるほうがよほどいい。と、なるだろう?
あなたが自分に負けて起こした行動であなたがおこられるなら、それは、いたしかたない。
ところが、憂生が憂生を怒る。
このすがたは、ひょっとして、おこられるより、手痛いものだろう?
いっぽう、憂生は残念で仕方ない思いも、かかえていた。
これもはなせば、あなたの取った行動が
いっそう、くやまれるだろう。
こんな思いを持たせる事のほうが辛かった。
あなたのした事をおこるきなど、毛頭ない。
いろいろと、誤解させてる憂生が悪い。
彼女の事に付いて、話す。
/ごめん。はなさせてもらいます/酷い表現をしてしまうかもしれません。ご免さい/
彼女は悲しいことがあって、心を塞いでいたひとでした。
憂生のブロー・ザ・ウィンド を読んでくれたのが
切欠になったのか、どうか、判りません。
だけど、その本の中の思いを彼女は受け止めてくれたように思います。
(生きているというのは、誰かを幸せにしなくちゃいけない)
その誰か。
それは誰よりも、自分自身です。
自分こそがありがたい。
こう、しっかり自分をしんじなければ、
彼女の周りのひとまで、幸せに出来ないのです。
どう考えれば、どう思えば
どんなに自分がありがたいか。
わかってもらえるだろうか。
お気楽な日記の合間に、
憂生は思い方を少しづつふくらませてもらえるのじゃないかと言う
材料をわたしてきました。
人に思われる。
こんなことのありがたさ。
思われる自分のありがたさ。
憂生なりに話してきたつもりです。
こんな風にして、はなしてきて、
他のひとからも、
「かのじょ、かわってきたね。あかるくなったよ」と、
知らせて貰えるように成ってきていました。
そんな、彼女に、悲しい言葉を投げつける人がいる。
自分はだめなんだ、と、くじける人じゃないとしんじてますが、
みんなが貴女を応援してる。
暖かい思いをくれる。
がんばれ。
って、彼女にしんじてもらおうとしている憂生本人のせいで、
悲しい言葉を投げかけさせている。
いやみな言い方かも知れないけど、一生懸命、
思い方を育てている筈の憂生本人がその種を作ってる。
憂生の日記をよくよんでくれたら、
憂生がどんな思いで彼女をささえたいか、わかってくれるはず。
じっさい、わかってくれる人は上記の言葉をくれている。
こんな事情もしらず、自分のおもいこみで、
自分をたたく事が出来ず、
彼女をたたいたあなた。
そのよわさとて、憂生はどうにかしてあげれたらいいのにと思うだけ。
でも、こんなこと、あんなこと、いったら、
あなたは自分のしでかした事の
痛みにたえられなくなる。
いうまい。
何も語るまい。
そうかんがえてた。
で、ちょっと、おちこんでたのは、結局、
憂生はなにもかも、だしすぎるんだってこと。
でもね、昨日レイと少し話したときの言葉が
残ったんだ。
貴女のしたこと、しっかり、自分でうけとめて、自分をたたいたら、
今度は自分を赦すんだよ。
憂生も彼女も何も怒ってない。
貴女を心配してる。
つまらない思いをもっちゃいけない。
いい思いを持とう。
いい思いがいい結果をつれてくる。
それが、残念なんだよ。
これをすこし、はなしたくて、今日の日記。
すっぱり、あやまって、
自分を赦し、
いい思いを持とう。
あえて、日記を上げた意味を判って欲しい。
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