憂生’s/白蛇

あれやこれやと・・・

武内宿祢の「なをかえる」を調べたことをふりかえる。

2022-11-02 01:12:46 | 続 歴史を齧ってみる

どうにも、仲哀天皇を暗殺したとしか思えない・・のだけど

神功皇后と武内宿祢が誉田矢皇子(応神天皇ーと、しておく)を

つれて、気比神宮にいって、気比神宮の神?いざさわけと

「な をかえよう」

と、いうわけだけど・・・・

「な をかえよう」

と、いう「な」を平仮名で書いている通り

はたして、「な」は、名であるだろうか?

と、いう思いがあった。

采という意味合いの「な」という説もあり

いざさわけ が、イルカを浜におしよせさせた。

采(食物)として、イルカを食べる?

と、いう習慣があっただろうか?

馬子にしろ 入鹿にしろ

能力の高い動物にあやかる、と、言うことは有っただろう。

今でも、寅次郎とか・・(ちゃうか・・フーテンの寅さんww)

どうも、腑に落ちないので

「な」を、別のことと考えたかった。

 

その案として、考えたのが

まず、いざさわけ  が、 

なをかえる、ことに応じる(ことにしたんだろうけど)

と、いうことをベースにした。

一応、性善説にのっとっておく。

神功皇后の行動が、妙なのだ。

どうも、変な神様?を持ち出して

仲哀天皇を説得して・・いる、と見える。

だと、すると

もしかして、

いざさわけが なをかえる に、応じるとしたら

「その変な神をやめよう」というのではないか?

 

そこから、調べ上げた。

「な」を、「神」と書く場合がないか・・・

一件だけ見つけた。

 

海藻を捧げる祭りだったと思う。

どわすれしているのだが

例えば 藻神祭 とか書いて

もな祭りとか・・・

 

だけど、いざさわけ が、

改心(神(な)をかえる)を促したとしても

どこかで、無駄だったのだろうと思う。

 

伝承の中

この泉(菱形池)のかたわらの笹の枝の上に光輝く3才くらいの童子が現れ、

『我は誉田天皇広幡八幡麿(ほんだのすめらみことひろはたのやはたまろ)なり。

 

と、あるが・・・

つまり、誉田天皇は3歳ごろに亡くなっていて

誉田天皇   天皇になっていない。

おまけをいえば、

応神天皇はたしか 15代天皇と思うが

3才くらいの童子は

(記憶薄い)

16代 応神天皇といったか

 

つまり、

応神天皇が、即位したが、どこからか連れてきた人間で

ーこのあたりのつじつまわせに、

天日鉾とか、つぬがあるしと(大加羅の皇子だったとか?)の

系図・伝承が入ってきている気がするー

3才で死んだ 誉田矢皇子は、天皇になっていないはず。

(で、武内宿祢の子供も 3才くらいで死んでいるーらしい

これが、誉田屋皇子 と、呼ばれていたらしい)

なので、本人にすれば

自分が誉田天皇で15代

そのあとに、16代応神天皇が出てきた。と。

 

正直、伝承だけを読んだ時は

大神比義が、と、いうことにして

宇佐八幡の元の神  ウガヤフキアエズ?を

八幡神に換えるための 創作話か?と考えていた。

 

ところが、さるところで、

16代 応神天皇 と 3歳の童子が言った。

と、言う件があり

(宇佐八幡神官の話から)

逆に、3才で死んだ 誉田矢皇子が

事実であると思えてきた。

 

と、なると・・・

気比神宮に行って

「なをかえた」のは、どういうことになるか?

 

歴史家が調べていることによると

誉田天皇と目される 童子が4人いたという。

 

つまるところ、

これは、不敬罪になるかもしれないが

武内宿祢と神功皇后の子供

一応 仲哀天皇の子ということで

天皇に置こうとするが

死んでしまう。

そこで、代わりの子供 替え玉を用意するが

これも死ぬ(武内宿祢の子とされる)

おそらく 天皇の座を掌握したい二人は

また別の子を用意するが、これも 死んだ?

 

そして、どこからか引っ張ってきた人間を応神天皇に据え置く。

*********

もしかすると

武内宿祢と神功皇后の子供 が亡くなった時に

気比神宮で いざさわけ?として、祀り

応神天皇(になる人間)をつれて

「なをかえた」のかもしれない。

 

どこかのだれべえ と 誉田天皇(誉田矢皇子) の「名」を替えた。

名実ともに、と、いうが

名を もらうことで、 どこかのだれべえ は

誉田天皇=応神天皇  と、同一人物になったということか・・・

子女として上げられているのが、下。

 仁徳天皇
額田大中彦皇子
大山守皇子
菟道稚郎子皇子
八田皇女
雌鳥皇女
稚野毛二派皇子(継体天皇の高祖父)
隼総別皇子
草香幡梭皇女他多数

******

結局 稚野毛二派皇子(継体天皇の高祖父)の血筋が

続いている。

******

神功皇后摂政13年2月8日、十四歳の誉田別尊は武内宿禰に連れられ禊のため角鹿(敦賀)の笥飯大神に参詣した。角鹿は父帝が笥飯宮を設け母后が熊襲征伐と新羅遠征へ出発した地であり、太子の角鹿参詣によって一連の出征が終わったと解釈できる。このとき太子の誉田別尊と大神の去来紗別尊(いざさわけのみこと)が互いの名を交換したという説話がある。『書紀』は分注に一伝として「誉田別尊の元の名は去来紗別尊といい氣比神宮の笥飯大神と名前を交換して誉田別尊の名を得たのであろうが、他に所見なく未詳」としている。

 

14歳・・!!

 

と、いうことは・・・

誉田別尊の元の名は去来紗別尊といい

のほうが、正解の様な気がする。

 

だが、実際は 本物の誉田別尊は既に亡くなっていて・・・

この いざさ・・・わけ

確か 天日鉾が、 いざさの太刀を持っていたと思う。

その宝ものも まるで、饒速日の十種神宝(とくさのかんだから)の

パクリのような品揃えwww

 

誉田別尊の元の名は去来紗別尊といい・・・

つぬがありしと が ありしちかんき

という名だった。

字を覚えてないが

都が荒れて恐ろしくて逃げてきた というような意味の名だった。

大加羅から、にげてきたのだろうが・・・

去来紗  これを いざさ と 読めない。

おそらく、何らかの意味があるのだろうけど

ーありしちかんきーの漢字のように・・・ー

 

日本書紀は

と、言われている、とかの書き方がある。

例えば 神功皇后は 卑弥呼であるという話もある。

ーが、よくわからない。1説であるーと、いうふうに

わざわざ、かかなくてもよさそうな事を書く。

ーこれにより、神功皇后 実在しないという説にもなっているー

何か、におわしたいのか

そういうことにしたいのか

よく判らないのだが

「誉田別尊の元の名は去来紗別尊といい氣比神宮の笥飯大神と名前を交換して誉田別尊の名を得たのであろうが、他に所見なく未詳」

 

すでに 笥飯大神と3才の誉田別尊が なを交換していないと

我は誉田天皇広幡八幡麿 と、いうセリフが宙に浮く。

笥飯大神と3才の誉田別尊が名を交換し

気比神宮に 3才の誉田別尊(別とついているのが、ねえ・・)がいて

例えば 去来紗という名の どこかのだれべえが

3才の誉田別尊 と、名を交換した。

 

と、考えたいのだが

去来紗 の 読み いざさ

「鹿」の事だが

敦賀自体が 元は 角鹿と 呼ばれていた。

此処を考えると

去来紗=どこかのだれべえ  と

言い難い。

********

アメノヒボコ

アメノヒボコは、記紀等に伝わる朝鮮半島の新羅からの新羅人(渡来人)または渡来神。

『日本書紀』では「天日槍」、『古事記』では「天之日矛」、他文献では「日桙(ひぼこ)」のほか「天日槍命」・「天日桙命」・「海檜槍(あまのひぼこ)」とも表記される。

『日本神話』・『古事記』等では渡来人、『播磨国風土記』では渡来神と位置づけて記述される。

記録
日本書紀
垂仁天皇3年条
『日本書紀』では、垂仁天皇3年3月条において新羅王子の天日槍が渡来したと記す。その際に次の7物、

羽太の玉(はふとのたま) 1箇
足高の玉(あしたかのたま) 1箇
鵜鹿鹿の赤石の玉(うかかのあかしのたま) 1箇
出石の小刀(いづしのかたな) 1口
出石の桙(いづしのほこ) 1枝
日鏡(ひのかがみ) 1面
熊の神籬(くまのひもろき) 1具
を持ってきて、これらを但馬国に納め永く神宝としたという。


同条に記された別伝によると、天日槍は初め播磨国に停泊して宍粟邑にいた。これに対し、天皇は大友主(三輪氏祖)と長尾市(倭氏祖)とを播磨に派遣して天日槍の尋問をさせた。この時、天日槍は新羅王子であると自称し、日本に聖皇がいると聞いたので新羅を弟の知古(ちこ)に任せて自分は日本への帰属を願ってやって来た、と語った。そして次の8物、

葉細の珠(はほそのたま)
足高の珠
鵜鹿鹿の赤石の珠
出石の刀子
出石の槍
日鏡
熊の神籬
胆狭浅の大刀(いささのたち)
を献上した。そこで天皇は播磨国宍粟邑と淡路島出浅邑の2邑に天日槍の居住を許したが、天日槍は諸国を遍歴し適地を探すことを願ったので、これを許した。そこで天日槍は、菟道河(宇治川)を遡って近江国吾名邑にしばらくいたのち、近江から若狭国を経て但馬国に至って居住した。近江国鏡村の谷の陶人(すえびと)が天日槍の従者となったのは、これに由来するという。また天日槍は但馬国出島(出石に同じ)の太耳の娘の麻多烏(またお)を娶り、麻多烏との間の子に但馬諸助(もろすく)を儲けた。そしてこの諸助は但馬日楢杵(ひならき)を儲け、日楢杵は清彦(きよひこ)を、清彦は田道間守を儲けたという

 

この天日鉾の 7代あとに 神功皇后が居る。


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