憂生’s/白蛇

あれやこれやと・・・

ナをかえる (気比神宮ー武内宿祢)

2022-11-01 22:08:07 | 続 歴史を齧ってみる

宇佐八幡宮 となると、

応神天皇を祀っているわけですが・・・

この応神天皇 

諸説あり、で・・・・

神功皇后と武内宿祢の子供ではないか?

と、いうのが、よく知られているのですが・・・

この皇子を天皇にしようと、したことで、

内乱がおきる。

仲哀天皇の子供(応神天皇の兄たち)と

敦賀あたりで、戦いとなったと記憶する。

と、いうのも、

どういう経緯か

神功皇后 武内宿祢 

応神天皇(誉田別尊)を、つれて

敦賀の気比神宮に詣でている。

つまり、敦賀辺りに拠点があったとみなされる。

この詣でたことに付いていえば

「ナをかえる」と、いう話がついてくる。

これは、その当時、実際 武内宿祢の子

や、後に応神天皇とも名を替える

と、言うことをやっていて

子供には みみずくとかみそさざい(だったと)の文字を入れている。

この段でいえば 馬子や入鹿 など

ゲンの良い名前に換えているのだろうと思う。

 

ところが、

応神天皇(誉田別尊)の「ナをかえる」相手は

「いざさわけ」なのである。

が、特に、名を替えた様子が無い。

と、いうことで、だいぶ調べた結果・・・

(あくまでも、推論)

これは、ナを変える。そのものではなかろうか?

と、今でも、別の名をもつとなるのが

「洗礼」が考えられる。

仲哀天皇のころには、すでに、

原始キリスト教だけでなく

メシュア(キリスト)が、誕生している。

そして、気比神宮

どうも、ウガヤフキアエズ(73代)の史実の中で

饒速日が、敦賀・近畿近辺の「健」(支部長とでもいうか)だった可能性が見える。

それまでの、ウガヤフキアエズ(73代)の歴史を日向三代として

神武天皇 VS 饒速日 と、つづめられてしまったところがあるが

気比神宮は、 神武天皇と饒速日の 宇気比(誓約)の場所だったのではないかと考えている。

と、なると 「いざさわけ」 という神はなにものか?

推論でしかないが

神功皇后 武内宿祢 が、

名を替える(洗礼としても)ほどの相手 いざさわけ

これは、饒速日であり、メシュア(キリスト的存在)であったと思いたくなる。

 

ところが、

応神天皇(誉田別尊)

この皇子の名前がいくつかある。

誉田屋

誉田屋別

誉田矢

誉田矢別

そして、仲哀天皇と神功皇后の子としての

応神天皇は、幼いころに亡くなっていて

同時期に 武内宿祢の同じ位の年の子供もなくなっている。

誉田屋皇子

誉田矢皇子

生きている時は 二人の子供はそう呼ばれたと思う。

それが、亡くなると

誉田屋別皇子

誉田矢別皇子

と、なるか?

じゃあ、応神天皇はだれか?ということになるが・・・

(ここは、置いといて)

もうひとつ、でてくる 別

いざさわけ いざさ別

神の場合は、分霊とも考えられるが・・

いざさ神の別

いざさ神は、すでに亡くなっている。

では、いざさ神とは、なにか?

これも、長くなるので省くが

いざさ=鹿

**********

少し記憶違いを起こしているかもしれないが

12支族のエフライム族が 鹿の紋章だったと思う。

12支族はモーゼにより 海に囲まれた東の国を目指してやってきている。

そして、当然のことながら メシュア(キリスト)の誕生を待ち望んでいた。

端折ってしまうが

(与佐の宮ー籠神社(饒速日) 眞井神社 ヨシュアの宮)

どういうわけか?

饒速日を天皇に祭り上げなかった。

ー今でも、政(まつりごと)と天皇は別区建てなので、判らないでもないー

あるいは、饒速日 惨殺

だが、その事実を隠さなければならない。

南北朝の天皇のことを考えても

それなりの争いがあってもおかしくない。

どちらの天皇を擁護するか。

結果は 神武天皇 ということになった(した?)

が、そのうしろで、

饒速日を あやめた(かも)側 

これは、出雲大社さながら 

慰霊?怨念塞ぎ?をしなければいけなくなる。

が、気比神宮を その場所にできない。

宇気比の場所であったから。

 

とりあえず、名を替えて

「いざさ神」だけど 亡くなっているので「いざさわけ」

では、どこで、慰霊・怨念塞ぎをしたか。

どうも、諏訪大社が・・・そうだと思える。

諏訪の近くの石碑にトヨクニ文字で

「美穂須々美」と書かれているのがみつかり

ウガヤフキアエズ実在論-管理人様が

ウエツフミをしらべたところ

ウエツフミにはタケミナカタ(健御名方)だと。

で、以前書いたが

みほすすみ は、御火進尊ー火明命ー饒速日

御火進尊 みほすすみ と読める。

と、いうことで、また端折るけど

諏訪大社に健御名方が祀られ

鹿をいけにえにする。

その数も75頭・・・

ウガヤフキアエズ王朝の代数に近い。

おそらく、実際に大和内乱でごちゃになっただろうけど

ウガヤフキアエズ王朝の代は、74代までは存続していたかもしれない。

 

いざさ神である 

饒速日を筆頭に

74代のウガヤフキアエズ王を鎮魂?するために

(あるいは、-あなた方は既に死んでいるという意味合いか?)

こういう行事が続いていたのかもしれない、と、思える。

 

宇佐八幡も、

ウガヤフキアエズ王をまつっていたのに

応神天皇が、主神になってしまっているようだが

武内宿祢が、応神天皇の

「ナをかえたの」の「ナ」は、

「日本の本当の天皇」と、言うことだったのではなかろうか?

宇佐八幡でも ナをかえたかどうかは判らないが

やはり、参内していると、いう話である。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿