ちょち、メールから、抜粋。
ごめんにゃ。
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憂生の書く女性は、めめしくよわくないところが好き。
あたしはあたしと真逆のずるくなく、潔く、魂が綺麗な、強い女が好きなんだなぁってのもさ、
いっぱい物語とか読むうちに気付いたことだったりしたので・・。
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てかああああ。
↑をよんでさあ。
逆に気がついたのが憂生だったるするわけですよ。
ある種、似たパターンの女性を書くことが多いのだけど、
憂生に、判っていたのは
したたかな女性っていうのかな。
生きて行くぞ。
生きて行くぞ。
って。
転んでもただ起きない女性。
ん?
よくばりなだけかあ?
なにか、一本筋を通してゆけるってのかなあ。
なんにせよ、
憂生の作品の中の女性は
確かに・・・ずるくなれない人ばかりかも。
狡猾で・・・っていう女性をかこうとすると、
憂生の中で途中で
ありえないというか・・・。
例えば、本気で人をおとしこもう、とか・・・。
その考えをかいてみたりでもしたら・・・。
こんな下らんことを必死に思ってる人間なんかいるわけない。
と、思ってしまうわけですよ。
ありえない設定をなりたたせられないように、
憂生の中には
ずるい女性っていうのはありえないんでしょう。
時に悲しさにひずみ
まがり、間違った生き様を
歩みんでいても
自分に気が付いてゆく。
自分に気が付いていったときから、
自分を変えてゆこうと出来る。
コレが女性だと思ってるふしがあります。
ほんのささいなきずきから
うまれかわることに戸惑いを見せない。
女性のきりかえのすばやさは、あるいは
太古のむかし。
より、強い男を選びなおしてゆく種の保存本能から
派生しているのかもしれない。
血液でも似た話を聞く。
男は例えば/定かじゃない/
体内の1/3の血を失うとショック死を起しやすいと聞く。
ところが、女性は
1/2.あるいは2/3?の血液を失っても生きているとか・・。
女性は強い。
強い人間は
ずるく弱く生きる必要が無い。
憂生の中の固定観念かもしれないな・・・。
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