憂生’s/白蛇

あれやこれやと・・・

―沼の神 ― 19 白蛇抄第11話

2022-09-02 11:12:03 | ―沼の神 ―  白蛇抄第11話

「これは、これは」
澄明の姿を捉えると鴛撹寺の和尚は手を擦り合わせる蠅の如きである。
「いかがですか?」
愚問かもしれない。
目の前には楠が横たわり、かけられた綱が地面に伸びている。
綱の側にはいくつもの土を蹴散らした足跡が深い。
どう見ても楠を動かせなかったと判る。
「いけませんなあ」
やっと、切り倒した楠に安堵したのもは束の間だった。
「次三朗さんが来て下さって、
澄明さまに教えられたとおりにしてくださったのですが」
こんな事態は予測していなかった和尚である。
「澄明さまがきてくださったのは・・・・?
次三朗さんが話しに窺うといっておりましたが?」
いつの間にか澄明さまになったのが可笑しくもむずがゆい。
「ええ。昨日。きてくださいました」
和尚の目が澄明を窺う。
次三郎に言われてきたとならば
澄明は楠の怪を取り払う知恵を授けにきてくれたということであろう。
安堵の色をなす和尚に澄明は告げる言葉をさがしていた。
『貴方如きが楠と次三朗の別離に介在しようなぞ
と、かんがえてくだされるな』
ほんに云いたい事はこうであるが、
いかにも、和尚の保身の気持ちもわからぬでない。
かといって、安気に、楠を刈りさえすれば
一件落着と痛みも感じぬ姿ははらだたしい。
いつの間にか二人の恋の葬に粛正な尊厳を覚え始めている澄明である。
「後の事は次三朗さんと赤子におまかせください」
えっと和尚が一瞬うめくのも無理なかろう。
大の男、十人がかりでびくとも動かなかった楠である。
が、和尚も考え直す。
何度も楠の怪を我が目で見てきた和尚である。
「それが、法ですな?」
いくら頭で考えてもありえない事がおきてきた。
結局澄明の云うとおりになってきている。
「なにか、てつのうことはありますか?」
澄明が静かに首を振り、頭を下げて和尚の志だけを受取る礼をみせた。
「わかりました」
和尚は己の法力のなさに、ただただ、わらをもすがる思いでしかない。
「なにとぞ、よろしく」
言葉短にお頼みを言うと、和尚は門をふり向いた。
赤子の声がそちらから聴こえた気がしたからだ。
「ああ・・きましたよ」
次三朗が来たと告げるまでもない。
澄明のまなこは和尚を飛び越え門をくぐる次三朗を映していた。
歩来る次三朗の腕に抱かれた赤子が榊を手の中にあそばせている。
澄明の眼差しが赤子と次三朗に注がれ、それがひどくやわらかい。
胸中にこみ上げる思いが澄明の足を動かし、
次三朗と赤子を向かえるように澄明も又あゆみよっていった。
「おいでなさいませ」
澄明を捕らえたあと、次三朗の瞳がうろんげにあたりをみまわす。
まだ人足が集まってきていない。
「早いとはおもったのですが」
ゆっくりと楠の側に歩み寄ってゆくのは、
最後の別れの時をおしむためであろう。
次三朗の後を付きながら澄明はつげる。
「楠を引くは貴方一人で充分です」
怪訝な顔を見せたが直ぐに得心が湧いたらしい。
「動きますか」
楠の意志で何人の男が綱を引こうともがんと動かなかったのである。
これを裏に帰し、楠の意志に乗ずれば、次三朗一人の引きでも楠は動く。
むしろ、次三朗に引いて欲しいが為に楠は動こうとしなかったのである。
「野辺送り・・ですね」
楠の前にかがみこんだ次三朗は楠の幹に手を置いた。
「たあ」
次三朗を真似、赤子もてをのばす。
澄明はくるりと背を向けると
「お別れがすんだら、楠を引いてやってください。
行き先は楠がしめしてゆくでしょう」
この先どうなるかは知らぬが、
どこで木肌を削られるかは楠も察している。
「そこまで。あれがあないしてくれますか」
多分一番町の大工の棟梁のところである。
「はい」
背を向けたまま澄明は答え、ぽつねんと立ち尽くす和尚に声をかけた。
「吾らはむこうにいきましょう」
親子夫婦水入らずの最後の逢瀬である。
和尚も澄明が歩み寄ってくると
「方丈で茶でもいかがでしょうか」
と、澄明に案を呈す。
「そうですね。いただきましょう」
おっつけ人足もやってくるだろう。
それまでの刻切りは次三朗に短いものか、長いものか。
当に覚悟を定めている次三朗にとって、
どちらでもないものかもしれない。



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