宗教とは、いつでも、どんなことがあっても心穏やかでいるためのコンテンツという考え方もできる。
そして日本の代表的な宗教である仏教では、そんな目標を達成した人を「仏」といい、その境地を「悟り」というようだ。
そんな仏教の真言宗のご住職が、こんなことを教えてくれた。
◆自分の欲のために拝まず 自分の欲に気づく拝み方をしよう
自分の願いが叶わないと苦を感ずるものだ、だったら願いをなくしてしまえば、苦はなくなるのではないか。
だが人類が、その願い(欲望)を叶えるために成長・発展してきたことも事実だ。
もっと早く・もっと強く・もっと楽にというやつだ、これは人類全体に供するもので、それは正しい欲望だ。
そうではなく、もっとお金が欲しい、健康になりたい、勝負に勝ちたい等の即効性のある利益を追い求める人もいる。
それらの願いは、まれに聞き入れられることもある。
だが欲望を野放しにしては、煩悩にとりつかれてしまう。
だから、自らの気づきによって欲望を減らすことで、安らかな境地に達することができる。
神仏に手を合わせることがあるでしょう、その時に自分の「欲」を求めて手を合わせていないかと疑ってみましょう。
→なんとなくですが、わかったような・・・
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