孫の行動から学習の原初的な様子が見えます。
まずは目でジッと見ます。視覚で確認し、対象をフォーカスします。
初めてのものやことやひとには、凝視します。脳で映像を一致させ、判別していることが姿より伝わってきます。
次に、見つけたものを指差します。特に初めてみるものに対しては顕著に表れます。そして、触ります。掴みます。手でドンドン叩きます。窓や戸の開閉も好きです。これらを何度も何回も断続的に繰り返します。対象に対する理解を、「視覚」や「感覚」より確かめていることが伝わってきます。絵本に対しても同様な訴えをします。
抱かれる人によって、ニコニコしたり、泣いたり、顔が強ばり緊張したり、色々です。抱かれた感触もあると思われますが、抱く人の「におい=体臭」によっての反応とも思われます。「臭覚」からの判断行動の表れと推理できます。
もちろん音にも敏感に反応します。これは「聴覚」によります。
1歳前後からは目で見つけたものを触り、そして口に入れ始めます。ものを舐めます。
飴玉を例にしますと、「見付ける→掴む→口に入れる」という一連の対象への関わり方の行動により、「甘い→うまい」ということから食べ物であるという「本質的な理解」に至ります。
飴玉を認識する1歳時頃の姿が、「五感(目・手・鼻・口・耳)を総動員して理解・認識に至っている」、学習や学びの原初的な姿、そのものといえます。
いろいろと対象は変わりますが、学習や学びは一生涯、乳児から後期高齢者までこのスタイルとっていると断言できます。
学校の授業をこの様にするには、教師はどこをどのように変えていかなければならないでしょうか。また授業に対する意識をどう変えていったらよいでしょうか。ここが今後の大きな課題になりますね。
決して知識の多寡が学力の相似にならないことを肝に銘じたいですね。