<以下の記事を一部修正して復刻します。>
安部首相の政治理念は「日本を取り戻す」ことだそうだが、たしかに失ったものを取り戻す、取り返すことは良い。しかし、政治とは新たな価値を「生み出す」ことが基本ではないのか。これは政治哲学の違いになってしまうが、取り戻すというのは往々にして復古主義、いや、むしろ「反動」に結びつくことが多いのである。 そこで以前書いた記事を、一部修正して載せておきたい。
「日の丸」は良いが「君が代」は駄目だ。新国歌の制定を!
大阪市の橋下前市長は以前、国歌斉唱などの際に起立しない教員は免職にすべきだと発言し物議を醸した。たしかに「公務員」は国歌や国旗に敬意を表すべきだろう。まず「日の丸」だが、これほど美しく素晴らしい国旗は他にない。われわれ日本国民は「日の丸」を誇りに思うべきだ。
しかし、問題は国歌「君が代」である。「君が代」が今の民主主義国家・日本にふさわしいものだろうか。私は全く違うと思う。
このことはずっと昔から言ってきたが、日本が戦前のように君主制の国なら「君が代」が国歌であって良い。しかし、日本は戦後「民が代」、つまり民主主義・国民主権の国家になったのだ。それならば、それにふさわしい国歌があって当然ではないか。
もちろん、大勢の日本国民が皇室を敬愛し、尊崇していることはよく分かる。私も皇室に敬愛の念を抱いている。天皇・皇后両陛下が大震災の被災地を慰問されるのを見ると、胸にジ~ンとくるものがある。多くの日本国民は皇室を敬愛しているだろう。
しかし、歌詞の内容から言って「君が代」は国歌にふさわしくない。それは先にも述べたが、「君が代」は皇室を敬愛し、尊崇する歌として残せば良い。きっと歌い継がれていくだろう。
したがって、私はこの際、国会に「新国歌制定委員会」(仮称)なるものを設置し、国民主権国家にふさわしい国歌を制定するよう訴えたい。日本の民主主義は国民の間に定着しているのだ。
「新国歌制定委員会」は歌人、詩人、作曲家らが委員となり、国民から国歌を公募すれば良い。きっと大勢の人が応募するだろう。その中から、最もふさわしい作品を軸に、委員らが手を加え歌詞を練り上げれば良い。
それはともかく、一つだけ注文したいのは、新国歌は生き生きとした躍動感にあふれるものにして欲しい。「君が代」は荘重で厳かな雰囲気があるから、皇室を称え敬愛するのにはふさわしい歌である。 しかし、新国歌は日本の明るい未来を目指し、希望に満ちたものにしてもらいたい。歌詞が決まれば、あとは作曲家の出番である。これも先ず曲を公募し、委員の作曲家らが手を加えていけば良いのだ。
新国歌の制定は思いつきで言っているのではない。私はずっと以前からそれを訴えてきたが、実は保守的な論客の中にも、「君が代」は日本国憲法の基本原理に反すると言っている人が相当数いるのだ。国歌斉唱が“人権侵害”に当たるなどの意見もあるが、まずは歌の内容から再検討すべきだろう。