矢嶋武弘・Takehiroの部屋

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深い“絶望感”に襲われたか? 墜落機の副操縦士

2015年03月30日 11時40分55秒 | 社会・事件・事故

<注・3月29日現在の記事です。>

3月24日にフランスで起きたドイツ旅客機の墜落は、27歳の副操縦士が意図的に起こしたものとほぼ断定された。この“事件”については、150人もの乗客乗員の死亡が確実視されているため、さまざまな報道が繰り広げられている。
まだ分からない点が多々あるが、これまでの報道を総合すると、問題の副操縦士アンドレアス・ルピッツ氏はかなりの「精神的負担」を抱えていたようである。ルピッツ氏は2008年にルフトハンザの施設に入り、操縦士としての訓練を開始した。そして、訓練終了後の2013年9月にジャーマンウイングスの副操縦士になったそうである。
パイロットになるためには普通、厳しい適性試験に合格せねばならず、合格率は極めて低いと言われる。しかし、ルピッツ氏はこれらの難関を突破し、見事に副操縦士になって子供の頃からの夢を実現させた。
ところが、ルピッツ氏は2009年に、訓練を数カ月間中断していたことが分かった。これについてドイツ紙ビルトは、その時期に彼は「深刻な鬱(うつ)の症状」を患ったと伝えている。また同紙は、彼が約1年半にわたり治療を受けていたとも報じている。
この件について、ルフトハンザ側は「彼の能力は完璧だった」と強調しているが、なんらかの病状が続いていた可能性は否定できないようである。いずれにしろ分からない点がまだあるが、私が最も驚いたのは、ルピッツ氏が3月24日の当日、精神科医から“病気と診断”されたのに、その診断書を破棄して旅客機を操縦したことである。
ここでさまざまな疑問点が提起される。ルピッツ氏は病気と診断されたのに、なぜその旅客機に搭乗できたのか。彼はなぜそれを会社に報告しなかったのか。運行の安全管理はどうなっていたのか。もし彼が搭乗しなかった場合、その人的補充は大丈夫だったかなど、疑問が数多く出てくるのだ。
ジャーマンウイングスの就業規則など細かいことは分からないが、私としてはそういう問題点よりも、ルピッツ氏本人の「精神状況」がこの際 最も重要だと考える。就業規則の不備やコックピットの問題点などを、ここで詳しく論じるつもりはない。そういうことは航空会社や専門家の方がはるかに詳しく知っているだろう。
問題はルピッツ氏の精神状況である。結論から言うと、私はルピッツ氏が当日 病気と診断されたことが、彼を“深い絶望”に追い込んだと思っている。つまり、彼は病気でパイロットに「不適格」と断定されたのだ。その失望感、絶望感が旅客機の墜落、いわば“自爆”へと導いたのであろう。この場合、ルピッツ氏がうつ病だとか、燃え尽き症候群だとかはあまり関係がない。
なぜなら、普通の健常な人でもある「病名」を言われたら、がっくりくることがある。ルピッツ氏の正確な病名はまだ分からないが、例えば、普通の人でも「あなたは癌です。どうしようもない癌です!」とはっきり言われたら、ほとんどの人はがっくりくるだろう。私だってそういう場合は、絶望感に襲われると思う。
それと同じように、ルピッツ氏はある「病名」を宣告されて、「もはやこれまで」と思ったのだ。そんなことは当たり前じゃないかと言う人もいるだろうが、それなら、癌の告知を患者本人にするかどうかは、今でも大きな問題となっているのだ。患者各人によって違ってくるが、病名を宣告するかどうかは重要な問題である。
例えば、重い癌であっても告知されなければ、その患者は死ぬまで明るく、かすかな希望を持って生きていくことができるだろう。それと同じように、精神疾患者は本当の「病名」を言われなければ、元気良く仕事に励むことができるのだ。
ところが、ルピッツ氏は搭乗の当日に、ある病名を宣告されてがっくりきたのだ。その処置は正しかったのか? その処置が正しいのであれば、それにふさわしい安全管理や就業態勢が必要だったと思う。こうなるとまた航空会社の責任が問われるが、担当医師との関係はどうなっていたのか。パイロット本人が、必ず正直に報告してくると思っていたのかなど問題点が出てくる。
安全管理のあり方をもう論じるつもりはない。それは航空会社や専門家に任せるとして、私は、絶望感に襲われた“人間の心理”を問題にしているのだ。何度も言うようだが、普通の健常な人でも絶望感に襲われれば、自殺することがあるのだ。それはこれまで嫌と言うほど見てきた。まして、精神疾患者の場合は言わなくても分かるだろう。
それが常識なら、われわれは精神科医でなくても、人間の心理を徹底的に研究、究明しなければならない。職場の上司はもとより、家族や友人、仲間などは当然だ。人間の心には必ず“闇”がある。光があれば闇もあるのだ。
何を話しているのか分からなくなったが(笑)、今回のドイツ旅客機の墜落はさまざまな問題点を提起した。ルピッツ氏に限らず、人間の心理はどうなっているのかを、ドイツ人もわれわれも徹底的に究明しなければならない。それが被害者、犠牲者に対するわれわれの義務だと思う。
最後は話が散漫になったが、機会があればまた今回の出来事を取り上げていきたい。(2015年3月29日)


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