やまびこ農場ブログ~北沢ニジマスセンター・食べ物工房旬~

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一陣の風4

2009-03-17 22:07:54 | Weblog
いつしか紫色の原生したアスターは、色をなくして 枯れ草色になって、
木枯らしに、かさかさと乾いた音を立てていた。

シオンの父ちゃんは畑の作付けを考えていた。つめが汚れるのが嫌になった人間は、自分の食料を作るのをやめてしまっていた。

畑は、耕作放棄地となってせいだかあわだちそうが林立する荒れ放題の畑となっていた。

そこをシオンの父ちゃんは借りていた。しかし耕作放棄地になるようなところは、条件が悪い。

日当たりが悪いとか、狭いとか、水はけの悪い畑では、トラクターがのめりこんでしまう。

「ヤバ」と思った瞬間に、トラクターは畑の真ん中で、水の含んだ柔らかい部分にはまってしまう。

そうすると、泥の中で、車輪が空回りしだす。ギアをローに入れて徐々に上がればよいが、這い出そうとすればするほど、泥の中にトラクターの車輪が沈み込んでいく。

「だめだ。ローにして低速回転だよ、」ハンドルを握り締めて汗が出てくるが、
おしまいだ。

「父ちゃん、トラクターがぶんのまったよ。トラクターが4トン車もってきて。
それに長いワイヤーも。」

この長いワイヤーをトラクターにつけて、もう一台のトラクターが4トン車で引っ張り上げるのだ。二人の呼吸が合わないとワイヤーが切れてしまうこともある。


こんな悪戦苦闘の畑でさえも、地主にとっては、財産であることには代わりはなかった。借りることさえ信用がなければできず、借りれば借りて、畑を荒らすことはできなかった。

地主は、何かしら作物を作くられていて、自分の畑がきれいになっていることを期待した。

父ちゃんと母ちゃんはそばと小麦の作付けを考えた。8月種まきのそばは、11月に収穫し、その後、すぐに小麦をまいた。

その小麦は、翌年の7月に麦秋を迎えた。

草することで年間をとうして、畑を利用できたが、小麦は売ることができなかった。

小麦の生産は政府管理下に入らないと売れなかったのだ。乾燥調整された小麦の何百袋の小麦は捨てられた。

「何でこうなるの。」と母ちゃんは嘆き、シオンはその袋を黙って捨てた。

「シオンよ。麦の代わりのジャガイモはどうか。一反あたりの収量は多いし、契約栽培の話しが、あるんだよ。一キロ50円だ。」

「何で、そんなにジャガイモが安いんだよ。」

「生食用ではなく、ポテトチップ用で、畑取引だ。選別なしで、鉄コンテナで集荷場まで、トラックでは運べばいいんだ。買ってくれる所があればいい。

そうでないと、また捨てるようだ。」

「おれやだよ。あの何千万個のジャガイモを手で拾うのは。うなされたよ、あの炎天下の仕事は。」

「機械化の体系はできているが、初期投資がおおきすぎる。やるか。シオンよ。」

「今のおれたちの条件下では、ジャガイモしかないだろうね。」

    ***
「なに、ぼーっとしてんのよ。」という声で、父ちゃんは、我に返った。



つづく