毎日が山のこと

最近の山歩きの記録はもちろん、作ってみた山行プラン、過去の山歩きの記録も順次掲載中です。

奇岩巨岩の瑞牆山(2020年11月18日)

2025-02-11 09:19:34 | 奥多摩・奥秩父

(ブログを始めたころの投稿を写真を追加し文章に手を加えて再投稿します)

 

須玉インターを降りて、国道141号線を若神子で右折し、瑞牆山への道に向かう。この日は息子と二人だ。

道は塩川の谷を遡っていくが、この谷は明るく開けていて、斜面には棚田と集落が見渡せる。いいところだ。

谷は一旦狭まって塩川ダムとなるが、さらに登ると再び開けて神戸や御門という集落が現れた。車をとめてゆっくりと眺めたいと思ったほどの日本の山村だ。

信州川上村に抜けるこの道から、黒森という集落の先で右にわかれて、いよいよ瑞牆山のふもとへと入り込んでゆく。

 

両側はカラマツ林となり、みずがき山荘の少し先にある無料の駐車場に車を留めた。この谷の道は最後まで空が広くて明るかった。

 

登り始めの道も広くゆるやかな斜面で、枯れ葉で埋まっているので道型も定かではない。

コナラやミズナラらしい木々はすっかり葉を落としていて、しかも木の生え具合も密ではないので、どこでも歩けるという具合だ。

かえってとまどってしまう。

 

少し傾斜が増してきたころ林道を横切った。道は金峰山から西へと伸びだしてきた尾根の末端へと登っていく。

 

そして峠状の尾根に登りつくと正面に今まで隠されていた瑞牆山の威容が姿を現した。

すでに写真や映像でなじんでいる姿ではあるが、実際にその姿が目の前に広がってみると自然に「おおっ」という声がもれてしまう。

「こんな山登れるのか」という感じだ。花崗岩の岩峰がそそりたっている姿に恐れをなしてしまうが、よく見ると岩いわの間に木々の茂る斜面が頂上まで続いている。

 

私たちが立っている尾根にも花崗岩の大きな岩があって、その下に里宮が祀られていた。

瑞牆山を御神体とする信仰のここが遙拝所といったところなのだろう。

 

この尾根を東へとたどっていくと広い台地状のところに出て、奥の斜面のそばに富士見平小屋の建物があった。

 

広い林にはいくつかテントも張られていた。

 

瑞牆山への道は、そこから尾根の北側に回り込みながら、天鳥川の谷へと入っていく。

 

北斜面だからなのか針葉樹が増えて森が少し暗く感じられるようになった。木々の隙間からところどころで岩峰がのぞく。

 

原生林の中をトラバース気味に下っていく。

 

小川山へむかう山道をわけたところから谷へと下り、いよいよ瑞牆山に取りつく。そのスタート地点を飾っているのが桃太郎岩だ。

直径10mはありそうな花崗岩の丸い岩が、縦にぱっくりと割れている。

この岩から生まれた桃太郎なら赤ん坊の時からかなり大きかったと思われる(笑)。

この岩の右側に木の階段があり、ここが登り始めだ。

 

山自体が花崗岩の塊なのだから、谷間の山道は崩れ落ちた巨大な岩の塊がごろごろとしていて歩きにくい。

意識的にペースを落としてゆっくりと登っているのだが、どうしても大きく足を持ち上げ、よっこらしょと声を出さねばならないようなところが次々と現れる。

崩れてきそうな大岩には、みんなが木の突っかい棒をしている。私たちも手で支えてみた(笑)。

 

南の方に金峰山の五丈岩が見えたので望遠で撮ってみた。

相棒はこのところすっかり中年太りで腹が出てきている。

歩き始めの様子は私より調子良さそうにみえていたが、やはりこの岩だらけの道には閉口しているようだ。

 

今度は富士山も見えてきた。少しでも見るものがあればその間小休止できる。

 

同じような岩だらけの道をさらに登り続け、ようやく前方に大ヤスリ岩が姿を現した。この岩の下を抜ければ山頂はもう近い。

しかし、乗り越える一つ一つの岩がさらに大きくなって、鎖場も現れた。手足すべてを動員して登らねばならない。

息を整えるために何度も立ち止まっては大ヤスリ岩を見上げてカメラに収めた。

頂上への道はいったん山の北側にまわりこむ。ここでも針葉樹林が増えて森が暗くなり、いかにも奥秩父らしい雰囲気を醸し出していた。

 

最後の鎖をたぐると木々の間からようやく山頂の岩場が姿を現した。

 

空の青さがまぶしい。森を抜けて岩の斜面を登ると一気に視界が開けた。「ひょーっ」と自然にのどから声がもれる。

 

八ヶ岳の全景。

 

北岳と甲斐駒ヶ岳

 

西側の八ヶ岳から中央アルプス、南アルプス、奥秩父の金峰山と連なる大パノラマ。

金峰山山頂の五丈岩もくっきり見えている。そして遠くに富士山。

 

風のないこの日は、下界はかすんでいるが、2000mをこえた上空は空気も澄み渡っている。

 

眼の下には先ほど見上げていた大ヤスリ岩が見下ろせる。

上空は青空が広がり、風もなくて暖かいほどだ。少しはしゃぎながら相棒とお互いをカメラに収めあった。

 

山頂岩場の東の端の座りやすいところで昼食をとり、珈琲をいれて飲んだ。何度もなんども周囲を見渡す。しばらくぶりで味わう至福の時だった。

見渡す限りの大空間をゆっくりと味わって下山にかかった。下りは息が上がることはないのだが、大きな岩の段差をおりるとき、どうしても足に負担がかかる。

それを繰り返しているうちに案のじょう足がつり始めた。しかたなく常備の漢方薬を飲む。少し楽になった。息子の足もつったようだったが、薬は飲まず休憩しながら下った。

天鳥川を渡って富士見平小屋の尾根にかかり、やっと岩から解放され、足も少し楽になった。

小屋をすぎるとふたたび明るい森の中の道になって最後は気分よく締めくくることができた。

 

これまで行く機会がつかめずにいた山だが、やっと訪れたチャンスは、いい思い出とすることができたように思う。

帰りの車で高速に乗る前に、シルエットとなって浮かび上がる甲斐駒の姿を写真に収めた。

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五日市金比羅山ふたたび(2020年2月28日)

2025-01-22 15:35:18 | 奥多摩・奥秩父

先週の18日に奥武蔵の大持山に出かけたが、その後軽い筋肉痛になったのは久しぶりに6時間半も歩いたせいでそれは予測の範囲内なのだが、そのあとになって右ひざの裏側の筋が痛み出して、しばらくびっこを引くはめになった。

いやはや歳には勝てないな、あまり長くは歩けなくなったのかと悩んでしまったが、今朝になったら嘘のように痛みはなくなっていた。

まあ、一安心。

今回の投稿は、早春の計画を考えていた時、妻をさそって歩いた五日市の金毘羅山のことを思い出したのでそれを投稿することにした。

 

実は妻を誘って出かける2週間前に一人で歩いてみた。早春の里山、五日市金毘羅山(2020年2月12日)

その時のことはすでに投稿済みだが、季節的には少し早すぎた。

2月末のこの日ならいいだろうと妻を誘ったのだ。

 

武蔵五日市駅の裏側の高台にある住宅地の中を抜けていく。

梅が盛りだ。

 

三内川の流れにそった谷間へとすすむとそこも満開の梅の花が。

 

谷間の狭い畑と山里らしい赤いトタン屋根の家。

妻はこういう感じの建物を絵にかくことが好きだった。

 

ミツマタの花も咲いていた。

 

一人の時は、三内川をもう少しさかのぼって深沢の山抱きの大樫から尾根にとりついたが、妻は病気療養中なので、そこまでいかないでもう少し短いルートにした。

写真がそのルートの入り口。駅からここまで2.5kmくらいだ。

ここは南沢あじさい山の入り口でもある。

 

尾根に沿った歩きやすい道で、かたわらにアジサイが植えてあり、反対側にはツバキが咲いていた。

どちらも地元の方が植えて管理され、道路も整備しているらしい。

 

妻も元気に歩いている。

尾根を登りきると舗装された林道に出て、その道を少し歩くとその林道の上を登山道が橋で渡っているところに出た。

その登山道は、日の出山から麻生山をへて金比羅山まで続いているものだ。

登山道の入り口から途中の林道まで標高差で150mにすぎないので、元気な人には物足らないだろう。

でも今計画しているハイキングの会のメンバーはほとんどが70歳代なのでちょうどいいのだ。

 

その登山道をたどって金比羅山をまき、その先の金比羅神社へとすすむ。

金比羅山の山頂はなにもないし、展望もないので割愛。

その金比羅神社の裏にあるご神体とされる岩。

しめ縄がはられていた。

 

金比羅神社付近は公園として整備されておりトイレもある。

園地の先端にはすばらしい展望の東屋とベンチがある。

 

暖かな日差しを浴びながらゆっくりと休憩。

暖かいコーヒーもサービス。

 

休憩後はこれまたきちんと整備された歩きやすい道を五日市の町へとくだった。

 

途中の岩の上にはお地蔵さんなど石仏が。

 

これはなんの花だっけ?

マンサクやサンシュユみたいだけど花が少し違う。もしかしてこれもミツマタ?

 

山を下りたところにあるお堂。瑠璃堂という額がかかっている。

瑠璃光という言葉に記憶があったので調べてみたら薬師如来を薬師瑠璃光如来とも呼ぶようなので、このお堂は薬師様をまつっているのかもしれない。実は中まで見ていないのだが。

 

街へ出るまでの里でも梅が目を楽しませてくれた。

この時期の山里は花にあふれていて私は大好きだ。

 

旧五日市町役場の近くに設置されている五日市憲法の石碑。

明治憲法が制定される時期に民間でいろんな憲法草案が検討されていたが、ここ五日市で発見された憲法草案は、明治憲法と違って、国民の自由権や基本的人権の規定がある進歩的憲法案だったとして評価されている。

ここまでくれば駅まではもう遠くない。

 

2週間違いで暖かくもなり、梅も満開、春の花もたくさん見られてたのしいハイキングだった。

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正月の御岳山、長尾平とロックガーデン(2014年1月5日)

2025-01-09 15:53:56 | 奥多摩・奥秩父

11年前の正月には、ハイキングの会として奥多摩の御岳山に出かけた。

御岳神社に初詣し、長尾平で昼食後ロックガーデンを歩くという計画。

長尾平というところがあることは知っていたが、それまで気にもとめずに通り過ぎていた。

でも今回、グループで休憩する場所を物色していて、あらためていい場所だということに気が付いたのだ。

 

午前10時すぎにJR御嶽駅に到着。

ここからバスでケーブル駅へとむかう。

写真をみたら、正月5日からマットレスを背負ったボルダリングの人が写っていた。

 

北向きの谷間にあるケーブル駅は、まだ日陰で寒々としている。

 

それに引き換え、山頂駅は明るい日差しにあふれていた。

元気がでるぞ。

 

この年は、正月早々奥多摩にも積雪があった。

御岳の家々の屋根にはまだ雪が残っていた。

 

まずは、御岳神社への初もうでをと神社の急坂を登っていく。

神代けやきはすっかり葉を落として、青空に枝を伸ばしていた。

 

まだ5日なので初詣をかねたハイキング客がたくさん。

 

まっすぐな締め飾りというのもめずらしいのでは?

芯に材木でも入れてあるのだろうか?

 

神社の建物の屋根にもまだ白い雪が。

 

お参りを済ませたら、長尾平へ移動だ。

長尾平は、御岳神社の東南東方向に短く突き出た尾根の先端部だ。

 

ロックガーデン大岳山方面への道からわかれて尾根道を500mほど歩くと突然視界が開ける。

足元は芝が植えられた広々とした園地になっている。

左奥の山は日ノ出山だ。

 

そして正面には東京を中心とする関東平野の大展望。

これはいいところだ。グループでの休憩スポットとして最高だ。

ベンチやテーブルもたくさん用意してある。

 

今回はお汁粉をつくってみんなにふるまった。

すぐに軟らかくなるうす切りのお餅を入れてみた。

 

お正月なのでほかにも同じように集まって休憩しているグループがたくさんあって、長尾平は大賑わい。

 

さて、おなかを満たしたらロックガーデンを一巡り。

その前に長尾平入口にあるトイレによった。

ところが、このトイレ休憩中に、出発が少し遅れた3人が、私たちに気づかず先に行ってしまったのだ。

 

七代の滝への下りで大声で呼びかけたのに、呼びかけられた方は前から呼ばれていると思ったらしくて、戻らずにどんどん先へといってしまった。

 

ここが七代の滝。

 

おおぜいの人がいたので順番に記念撮影。

 

ロックガーデンは、養沢川の最上流部で、この七代の滝から綾広の滝までのあいだをそうよんでいる。

沢にそった歩きやすい遊歩道が設置されており、途中に休憩の東屋などもある。

 

私たちは先へいってしまった3人を追いかけるが、自分たちの方が遅れていると思い込んでいる3人はスピードをゆるめようとしなかったようだ。

 

そんなわけでわれわれも先を急ぐことになり、このときはあまり写真を撮らなかった。

まあ、谷底でもあり、寒いこの季節にはあまりのんびり遊ぶ場所でもないかもしれないが。

 

結局、3人と合流できたのは、御岳神社の町にもどってからだった。

日が少し西にまわりこんできたので東京の街並みが明るくなっていた。

 

長尾平はいいところなのだが、登山コースから500mはずれている。

だから、その後の山歩きでも私はそこに立ち寄ったことがない。

 

 

 

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鉄五郎道で大塚山へ(2024年11月29日)

2024-11-30 11:13:38 | 奥多摩・奥秩父

御岳山のおとなりの大塚山に鉄五郎道というルートがあることをだいぶ前に知った。

一度歩いてみたいと思っていたので出かけてみた。

 

大塚山への入り口古里駅で降りると駅前の道を少し奥多摩方向に歩く。

道が大きくカーブした先で旧道にはいった。

 

旧道を500mほど歩くと分岐があり、鉄五郎道へはここを下って多摩川を渡る。

 

日陰の水面に青空がきれいに映し出されていた。

 

橋を渡って登り始めると車道からわかれてショートカットの道があった。

そこをあがっていった。

 

住宅が点在する河岸段丘上の道をしばらくあるくと分岐点にわかりやすい標識があった。

 

標識に導かれてこの道を進む。

 

道に車止めの鎖があるところから右下におりていく。

 

ここが鉄五郎道への入り口だ。古里駅から30分だ。

 

その先にもしっかりした標識がある。

とても行き届いているので間違える心配がない。

 

しばらく右下がりの斜面をトラバースしていく。

ところどころ崩れかけているところもあるが、全体的にはしっかりした道だ。

 

全体は杉林だが、トラバースが終わって尾根にとりつくと右の斜面が落葉樹林になってところどころ紅葉がみられた。

カエデの赤がみられたのはうれしかった。

取りついた尾根の右下は越沢(こいざわ)という多摩川の支流で、そこに越沢バットレスというクライミングのゲレンデがある。

私はやらないので行ったことはないが、この道はそのバットレスの上を通る。

どこかでそんな雰囲気が味わえるかと期待していたが、気が付かないうちに通り過ぎていた。

 

途中の手作りの標識に「鉄五郎街道」の文字があった。

鉄五郎の名をここではじめて目にした。

 

谷に突き出すような形の尾根に鳥居があった。

 

そこの石碑にも「西村鉄五郎氏」という名がきざんであった。

この尾根の先端に金比羅神社があるが、それを鉄五郎氏が建立したようだ。

 

石仏がある。不動明王らしい。

 

こちらは地蔵菩薩だろうか。

 

尾根の先端の岩の上に金比羅神社の建物が保護の建物におおわれてたっていた。

途中に瀧見台という看板があったので滝がみえるだろうと期待したのだが、残念ながら谷を見下ろしても確認できなかった。

 

ようやく周囲の展望が得られた。でも少しだけ。

 

この紅葉は色合いもよくてなかなか素敵だ。

 

途中にある広沢山にかかると道がけわしくなって手で木の根をつかんだり岩角をつかんだりしながら登る。

ここが一番きつかった。

 

11時37分、広沢山848mに到着。

 

ここからは傾斜のない尾根道になったのでぐっと歩きやすくなった。

 

20分ほど歩くと白い建物があらわれた。

大塚山の山頂近くにある建物だ。

 

その建物の脇をぬけて急登を登りきるとそこが大塚山920mの山頂だった。

ちょうどお昼の12時だ。

駅から3時間弱だ。

普通のルートなら2時間半なので登山口までの30分が余計にかかっただけでそれほどけわしいルートでもないと思う。

それに途中の立ち木に多すぎるほど目印の白テープがまかれている。

 

でもその30分の差で山頂にはもうだれもいない。

一人でのんびり休憩できた。

 

御岳山への道はこれまでとは違ってゆったりしたいい道だ。

ここからは何度も歩いたことのあるルートだ。

 

やはり御岳山周辺はもみじが多い。

 

寄らずに下ろうかとも思ったがせっかくなので御岳神社にのぼった。

 

奥の院を遥拝所から。

 

咲き残りのあじさい。この色合いが味わい深い。

 

帰りはケーブルを使わずに杉並木の道をくだった。

 

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今は使われていない信仰の道で両神山西岳へ(2020年5月29日)

2024-05-13 13:23:07 | 奥多摩・奥秩父

(4年前の記録に手を加えて再投稿)

山の経験豊富な友人から、秩父の両神山へ行こうと誘われた。一般ルートではなくて、尾ノ内沢をたどって西岳に登るという。

昔の人が夢のお告げに従うためにこの尾ノ内沢を伝って西岳の一角にある岩峰に祠をたてて神を祀ったそうで、その後年に一度は尾ノ内の人々が祭礼のために登っていたルートだそうだ。今はほとんど使われていない。

 

7:15 尾ノ内沢にはいる地点に龍頭神社があった。西岳にある祠はこの神社の奥社らしい。

背後にはこれから登る両神山から東に延びる天武将尾根の天理岳らしい山が見えていた。

 

秩父の神社の常だが、狛犬はオオカミだった。

 

7:30出発。尾ノ内からしばらくは林道があり、その終点付近の沢には冬場氷柱が観光目玉とされているらしい。

そこまでは遊歩道が整備されている。

この吊り橋付近で冬場、氷柱がつくられ、観光名所となる。

 

遊歩道はすぐに終わりになっていよいよ沢を詰めることになった。いきなり大きな岩場になった。

左手に高巻のルートがあったが、友人は果敢にチャレンジ。私はおとなしく高巻道へ。

 

その後もわかりにくいルートをところどころにある赤いリボンを頼りに登っていった。

 

鎖場もあった。

 

足元にクワガタソウ。

 

油滝の前を登っていく。このあたりで標高1000mくらいのはずだ。

 

急斜面の奥に大きな岩が見えてきた。その岩にむかって登っていく。

 

その岩の下が空洞になっていた。いざというときは雨宿りに使えそうだ。

ルートはさらにけわしくなってきて、手も動員しながら登る。すぐ目の前に初夏の花が姿を見せ始めた。

 

 

ギンリョウソウやイワカガミ。

 

かなりけわしい岩場を友人が先行して登っていき、私はそのルートを確認しながら追随していった。

手元足元ばかりに集中していたが、ふとふり返ると背後は雄大な展望が開けていた。

 

ふたたび前を見るととても山道とはいえないところを登っている。

 

小鹿野町の二子山とその背後に西上州の東西御荷鉾山が見えている。二子山の記録はこちら⇒

石灰岩の岩山小鹿野の二子山(1997年12月28日)

 

岩場ではあるが、木がたくさんはえているので手掛かりはたくさんあり怖いことはない。

 

ルートはさらにけわしくなったあと少し楽になったと思うといきなり行く手をロープでふさがれてしまった。

そのロープをくぐった先が龍頭神社の奥社の祠がある岩峰のてっぺんだった。

上の写真は山頂側から撮ったもの。

時計を見るとなんと13時12分。5時間以上かかっている。

 

お互いに記念写真をとって一休み。信仰のためには人間はすごいことをするものだと思った。

 

それから西岳山頂へ向かったが、まずは鎖で岩場を降るのだ。

 

振り返ると両神山の本峰剣ヶ峰から東岳へとぎざぎざの稜線が見渡せた。

 

そしてようやく西岳1613m山頂だ。

 

ふたたび鎖で急下降。その後はようやく落ち着いた山道をたどって八丁峠へとむかった。

 

私ははげしいアップダウンに疲れ、友人との距離が開いていった。八丁峠15時18分。

 

峠から下るとすぐに八丁トンネルへむかうルートと河原沢川にそって坂本に下るルートに別れる。

私たちは尾ノ内に戻るためにこの沢沿いの道をくだった。

 

途中に山の神をまつる祠があって、そこからはかなり道がよくなった。

 

17時50分。ようやく坂本に到着。あとは舗装の国道を歩いて尾ノ内へと戻った。

全行程10時間以上かかっているが、特に前半のルートファインディング、頂上付近の鎖場など変化に富んだ行程だったので、そんなに長時間歩いたという感じがしない楽しい一日だった。

 

 

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