毎日が山のこと

最近の山歩きの記録はもちろん、作ってみた山行プラン、過去の山歩きの記録も順次掲載中です。

残雪の一切経山(2012年4月16日)

2025-03-29 13:42:18 | 東北・新潟の山

昨日までの暖かさが嘘のような寒い日になった。

サクラの便りとともに「寒の戻り」などとニュースが伝えている。

数年前までは雪の便りを聞くとからだがうずうずしたものだが、このところスノーシューともご無沙汰だ。

東北の残雪の山を歩きたくて福島の吾妻連峰に一切経山に出かけたことがある。

もう13年も前の話だ。

 

2012年の4月16日、磐梯吾妻スカイラインの開通をまって、一人で出かけた。

まだ暗い中、埼玉を出発し、9時ころからスカイラインにさしかかった。

雪解けが進んで、木々の黒と残雪の白のパッチワーク状態だった。

 

9時40分、浄土平の駐車場に到着。

駐車場はきれいに除雪されていた。

 

目の前には雪の消えた吾妻小富士。歩道のところだけ白く雪が残っている。

 

これが目指す一切経山。

中腹には噴煙をあげる噴火口がある。

 

目の前に広がる雪原に気分が高まっていく。

正面に見えているのは東吾妻山。

一切経山へは、東吾妻山との間を登っていく。

 

 

スノーシューを装着して準備完了。さあ出発だ。

しばらくは、平らな雪原を歩いて山間へと進んでいく。

 

少しづつ登り始め、30分ほどして振り返ると吾妻小富士と浄土平が見下ろせた。

 

そのあたりから一切経山の方向へむかったが、日当たりのいい南斜面なので雪がゆるんでいてスノーシューをつけていてもズボズボもぐってしまい難渋した。

前方に避難小屋がみえている。酸ヶ平小屋だ。

 

先ほどの地点からここまで近づくのに20分もかかった。

酸ヶ平小屋のわきから一切経山へととりつく。

 

古い噴火口跡とおもわれるくぼ地が見えてきた。

ここから右側の稜線にあがって山頂をめざす。

 

稜線にあがるとすぐ近くに吾妻小富士が見えてきた。

すでに火口を見下ろせる高さになっていた。

稜線にあがると風と日当たりのよさで雪はほとんど消えている。

 

山頂も見えてきた。

雪の消えた稜線を先行のパーティーが登っている。

 

11時30分、一切経山の山頂に到着。浄土平から1時間40分だ。

 

山頂から吾妻連峰のながめ。

 

岩にカメラを置いて記念撮影。

 

三角点と山頂標識。

 

山頂の北側の眺め。

このすぐ下に五色沼が見えたはずなのだが、この時はそのことを忘れてしまって、沼の写真を撮り損ねてしまった。

残雪期のまだ凍っているはずの五色沼。もう少し先まで歩いていれば、惜しいことをしたと残念でならない。

 

一切経山の一部をなす台地とその向こうに前大顛。

下りはこちらをまわって酸ヶ平にでる予定。

山頂台地の広々とした雪原を歩くが雪が消えた部分があるので苦労はない。

 

台地から下っていくと前大巓が大きくなってきた。

予定ではここを登ろうと思っていたのだが、結構な斜面なのでめげてしまった。

 

前大巓とのあいだの谷へと下ることにした。

目の前に東吾妻山。その手前が夏になると花がきれいだといわれる姥ヶ原。

 

反対側をみると中吾妻山の向こうに磐梯山だ。

 

酸ヶ平に下ろうとすると山スキーを楽しむ人たちに出会った。

ちょっとうらやましい。

 

でもスキーを履いて斜面を登るのはたいへんだろうな。

 

酸ヶ平に下ってきた。

またまた雪が腐ってきてずぶずぶもぐって苦労させられた。

 

登りに通った酸ヶ平小屋のかなり下を通ってかえる。

山スキーの人たちが快適くだってきた。見ると犬をつれている。

腐れ雪のくだりなのでスキーの人がほんとうにうらやましかった。

 

駐車場の午後1時半過ぎに到着。

稜線や山頂の雪はほとんど消えかけだったが、谷までは深い雪に苦労させられたが、シーズン最後の楽しい雪遊びになった。

 

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鳥海山と月山(2019年8月11日~13日)後半

2024-07-12 10:37:33 | 東北・新潟の山

これは鳥海山と月山(2019年8月11日~13日)前半の続きです。

 

鶴岡に泊まった翌朝は鶴岡駅前6時発のバスで月山へ向かった。

このバスは、途中羽黒山に寄ってから延々と走り、月山八合目まで行く。

そのバスには、前日鳥海山にのぼってこれから月山へという私と同じ穴のむじな、しかも同年配の男性が2人もいた。

 

バスは長距離を走るので羽黒山の山頂で15分の休憩。

バス停から羽黒山神社までは320mくらい。急げば、バスをおりて羽黒山神社まで往復してくることも可能。

月山八合目まではさらに1時間10分もかかる。駅からだと休憩含めて2時間15分。たいへんな長距離路線バスだ。

 

八合目の駐車場からは昨日のぼった鳥海山が雲海の上に姿を見せていた。

乗ってきた登山者たちはゆっくりと支度をしながら、次々に山へと向かう。

 

この日は月山頂上をめざし、その後姥沢にくだって、シャトルバスと鶴岡発山形行きのバスを利用し、新幹線で帰宅という行程。

 

この日月山は上空に雲はあるもののいいお天気だったが無風状態。暑さにへばった。

暑さだけではなく、旅の疲れも出たのかもしれない。

 

八合目駐車場からゆるやかな斜面を標高差にして60mほどあがると弥陀ヶ原だ。

弥陀ヶ原は広大な湿原で、池塘がたくさんあり、木道で周回できる。

私は妻と以前歩いたことがあるので周遊はしないで直接山頂へと歩き始めた。

高原状に広がる月山の山頂部を道はゆっくり南へと登っていく。それにしても暑い。心の中で「ちっとは吹いてくれよ」と悪態をつきながら登った。

 

少し傾斜が出てきて高原の一段上に登る感じになって登りつくとそこが佛生池小屋だった。

出羽三山のひとつ月山らしく池のほとりには石の仏やお供えの赤い花飾りが並んでいた。

 

佛生池小屋をすぎた斜面から振り返る。

こうして高原台地を一段づつあがっていく感じ。

一段あがるとそのたびにそろそろ山頂が見えるかななどと思っては裏切られた。

 

風があってもう少し涼しければこんないい山道はないだろうと思うが、風は吹いてくれない。

それにしてもこの広大な斜面はどうだ。

 

コバイケイソウが群落をつくっていた。

とてもいい景色なんだけど・・・暑い。

 

ようやく山頂の建物が見えた時にはほっとした。

八合目から山頂まで水平距離で4.5kmほどなのだが、なんだかほんとに長く感じた。

 

山頂に着いた時は軽い熱中症気味でおにぎり1個をむりやり水で胃袋へいれた。

体調はそれ以上悪くはならなかったので山頂の神社には寄らず早めに下山を開始することにした。

 

歩き始め、姥沢へと下り始めるあたりでは一時雲も広がったので日差しが遮られ、足取りも少し軽くなった。

 

山頂から西南西にのびる姥ヶ岳への稜線をくだる。

お盆休み真っ只中なので子ども連れの登山客も大勢いたが、暑さにうんざりした様子で、せっかくの月山にいい思い出が残ってくれるといいなと思った。

 

稜線からはずれて日当たりのいい南斜面をくだる。樹林がないので日陰もない。

何人かが休憩をしているあたりでふと見上げると白い雲に虹のような色がついている。

彩雲だ。結構あざやかな彩りだった。

休んでいた人たちも次々にカメラを向けていた。

 

途中から月山リフトで下るか迷ったが、沢から登り返すのがなんだかいやでそのまま下ってしまった。

でも地図を確認すればわずか30mをゆるやかに登るだけだったのだ。

もう一つは稜線からそれずに姥ヶ岳を経由して月山リフトに至るコースも楽に歩けそうでおすすめだ。

姥沢にはロッジの建物やトイレ、広大な駐車場があった。

 

姥沢からは町営のシャトルバスを利用した。これがかなりの距離を走る。

国道112号線の旧道、六十里越を走り、月山湖の畔で国道の新道、月山道路に合流。

そこからも延々と走って山形自動車道の西川インター近くの高速バス停まで送ってくれた。

 

このあと高速路線バスで山形に出て、東北遠征の旅を終え新幹線で帰路についた。

一人で出かけた鳥海山と月山をめぐる2泊3日の夏の山旅が終わった。

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鳥海山と月山(2019年8月11日~13日)前半

2024-07-07 12:12:20 | 東北・新潟の山

2019年の夏、お盆休みを利用して鳥海山と月山に登った。

台風の合間を縫う感じで11日朝新幹線で新潟へ、特急いなほに乗り継いで山形県の遊佐から乗合タクシーを利用した。

乗合タクシーは予約さえすれば1人でも料金は同じ。この日も私一人だけだったが、駅まで出迎えてくれて気持ちよく鉾立まで送ってくれた。

 

象潟口の鉾立から御浜小屋に泊まり翌日鳥海山頂へという計画。

鉾立到着時はすっかりガスに覆われていたが、食堂でカレーライスを食べ、歩きだす頃にはだいぶ見通しがよくなってきた。

 

鉾立から鳥海山への登山道は、昔からの信仰登山の人がたくさん利用してきただけに、スタートはしっかり舗装された遊歩道だ。

 

展望台をすぎると今度は石敷きの歩きやすい道になっていた。

あたりはすでに背の高い木は見当たらなくなっている。

登山道の左側は、奈曽川の深い谷になっているはずだが、展望所以外ではほとんど見えない。

 

花もたくさん見られるので写真を取りながらゆっくり登る。

 

ふと振り返ると日本海が見えた。

タクシーで出発した遊佐の海岸あたりのようだ。

 

奈曽川の崖淵からはなれしばらく尾根上のところを登る。

尾根から開けた谷状のところにさしかかると、御浜小屋につらなる稜線も見えてきた。

シーズンなのでたくさんの人が歩いている。

 

この付近にもたくさんの花が咲いていた。これはコオニユリかな。

 

やがて前方右手の斜面に雪渓が見えてきた。

その上部に歩いている人影が見えた。

そこは鳥海湖を取り囲む稜線のはずだが、登山道はそちらではなく、雪渓の下をかすめて傾斜を増した斜面をななめに登っていく。

 

鳥海の名をいただくチョウカイアザミも重そうな頭を垂れていた。

 

今夜の宿、御浜小屋が見えてきた。この小屋は鳥海湖を囲む稜線の上にあり、鳥ノ海御浜神社の社殿でもある。

まだ早いのだがまずは小屋に入って宿泊の手続きをした。

入ったところはなにもない板の間と左奥の部屋が宿泊所、右手が管理事務所を兼ねた社殿になっていた。

この日は左手奥の部屋は団体が使用していた。

 

まだ2時なので、鳥海湖を一周することにした。

上から眺めると鳥海湖が古い火口であることがよくわかる。

 

御浜小屋は鳥海湖の北側、1700m地点にあり、そこから反時計回りにまわった。

火口湖へと降りる途中で鳥海山の雲の切れ始め、山頂が姿を現した。周囲にはたくさんの花々が咲き乱れている。

 

鳥海湖の西側を下る途中から鳥海山の山頂を撮影。

江戸時代に噴火した新山付近は地肌がむき出しだが、ほかは全体に緑に覆われている。

御浜小屋からは手前に扇子森という山があって山頂は見えない。

 

南側の一番低いところ(標高1600m)をまわって鳥海湖の東側にまわり、ふたたび稜線にむかって登っていくと途中にニッコウキスゲの大群落があった。

 

小屋からまっすぐ山頂へ向かう稜線の道からでは見られなかったかもしれない。

標高差100mを上り下りしてくたびれたが、みごとな景色がみられたので満足だった。

 

お浜小屋には椅子もテーブルもないので食事は床に並べられる。

寝るのも布団ではなく床に毛布を敷いて寝るので少々体が痛くなった。

 

食後はほとんどの人が小屋の外に出て、日本海に沈む夕日の景色を楽しんでいた。

山頂の小屋ではなく御浜小屋に泊まるのはこれが見られるからなのだ。

日本海に長く伸びる光芒の中に飛島の影が見えていた。

風もなく、穏やかな夏の夕暮れだった。

 

翌日、山は朝からガスにおおわれ強い風も吹いていた。

この日は、七五三(しめ)掛から、むかし鳥海山が噴火に伴う山体崩壊をおこした旧火口である千蛇ケ谷をへて山頂をめざし、帰りは火口壁でもある稜線をたどって戻る計画。

 

見通しの悪い強風の中を歩くことになるが、こんな雰囲気も嫌いではない。

 

扇子森をこえて千蛇ヶ谷へくだる崖淵にある七五三掛(しめかけ)をめざす。

七五三掛から千蛇谷へ下る頃からガスが薄れ始めた。

 

鳥海山が大規模な山体崩壊をおこしたのは紀元前のことだといわれている。

 

その後の最高地点は今の七高山(2229m)だったそうだが、江戸時代の1800年に水蒸気爆発をおこし、溶岩ドームが形成され、それが新山となって、今はそこが最高地点(2236m)になっている。

 

その新山のふもと、七高山との間の谷に大物忌神社があってそこも宿坊として登山客が泊まれる。

建物はしっかりと組まれた岩壁に囲まれている。

冬、吹き付ける風雪から建物を守るためだろう。

 

いよいよ溶岩ドームを登る。

 

まだ200年そこそこしかたっていないので、大きく割れた溶岩の塊はするどく角が立っている。

 

そんな岩のあいだを縫うようにして登っていく。

 

新山の山頂は、ご覧のように角張った岩だらけ。

落ち着いて休めないので記念写真だけ撮って、外輪山の最高点である七高山に向かった。

 

新山と七高山とのあいだには残雪が残っていて、雪の上には白いもやがながれていた。

 

外輪山の急な壁を登り返す。

 

こちらが江戸時代からつづく山頂、七高山。いろいろな石碑が並んでいる。

 

七高山からは秋田県側の展望がすばらしく、遠く男鹿半島や岩手山も見えていた。

庄内平野から写した鳥海山の写真や映像をよく目にするが、秋田県からも素晴らしい姿が見え、豊かな水の恵みをはじめ、信仰の対象となっていることにも納得できた。

 

帰りは外輪山の稜線にそってくだった。

このあたりには鳥海山の固有種といわれるチョウカイフスマの花がみられるらしいのだが、時期には遅すぎるとあきらめていた。

実は注意すればまだ咲いていたらしい。下山後、鉾立のビジターセンターで教えられた。

 

ガスも消えているので右手に新山の雄姿をながめながら稜線を歩いていくことができる。

子どもをつれたグループもいた。さすがに人気の山だ。

 

チョウカイアザミの群落と花々。

 

登りの時は強風とガスでなにも見えなかった扇子森。

花と展望を楽しみながらゆっくりと鉾立にもどった。

鉾立から予約しておいた乗合タクシーで遊佐駅へ。

ローカルで酒田乗換で鶴岡に向かい、駅から少し歩いたところにある小さなビジネスに泊まった。

翌日は月山をめざす。

鳥海山と月山(2019年8月11日~13日)後半に続く)

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夏の苗場山(2014年8月13日~14日)

2024-07-04 08:47:24 | 東北・新潟の山

10年前の8月に山仲間5人で苗場山に登った。

苗場山は新潟と長野の県境にあり、一時期登ってみたい山ナンバーワンに輝いたこともある人気の山だ。

山のサイトを訪問される方ならかなりの方が登っているのではないだろうか。

なんといっても山頂台地の広大な湿原がすばらしい。

この時は、車1台に5人を詰め込み、かぐらスキー場のかぐらゴンドラの山頂駅より手前にある駐車場から出発した。

 

かぐらメインゲレンデの中間にあるレストランの近くが駐車場になっていて、トイレも設置されている。

ここからゴンドラ山頂駅まではゲレンデの中の道を歩くこともできるが、私たちは登山道を使った。

でもゲレンデを歩いたほうがよかったかもしれない。

足元が赤土で湿っているところもあってあまり歩きよくはなかったのだ。

 

なかなかきれいなヤマアジサイが。少しくらいじめついていてもその分きれいな花に出会えるといわけだ。

 

今回はこの5人のメンバー。もちろんカメラマンの私は写っていない。

 

途中にオカトラノオの大群落があって、これまたたくさんのヒョウモンチョウが蜜を吸っていた。

こんな光景は初めて見た。

さっきはゲレンデを歩いた方がいいと書いたが、そうしたらこれはみられなかったかも。

 

出発から30分ほどでゴンドラ山頂駅のそばにある和田小屋に到着。

ゲレンデを見下ろしながら一息いれた。

スキー場は木を伐り開いて自然をこわすものだが、見晴らしがよくなる点は捨てがたい。

 

ここから本格的な山道となり、大きな岩も目立つようになってきた。

このときなんと驚くことに私のすぐ後ろを歩いているメンバーは片足にギブスをはめて杖をつかっていた。

足首をねん挫したそうだ。それでも普通に歩いていたからたいしたもの。

登りはそれほど苦労しなかったようだけど、実は下りはかなり歩きにくそうだった。

 

登山道はスキーゲレンデから離れて山の斜面をななめに登っていく感じ。

立派なブナが姿をあらわした。ブナは幹も葉もなんとなくやわらかく感じるので好きだ。

 

ゆったりと幅の広い尾根筋にでると夏の花が姿を見せ始めた。

かなり雪の多いここでは尾根筋でも湿原みたいに湿っていてキンコウカが咲いていた。

 

標高1682mの下の芝のベンチに到着。

薄曇りで直射日光はないのだけれどもやはり真夏は暑い。

みんな水分補給。ここでお昼にした。

 

さらに標高で約200mあがって中の芝のベンチでまた休憩。

湿原植物とまばらに生えている針葉樹のおりなす気持ちのいい景色の中の木道を歩いて少しづつ高度をあげ、2000mの県境稜線へとむかう。

神楽ヶ峰から小松原湿原へとのびるこれもゆったりした稜線を南に進み神楽ヶ峰(2030m)をこえる。

 

ウツボグサのむらさきの群落がなんだか夢のよう。

 

神楽ヶ峰をすぎるとようやく苗場山の本体が見えてきた。

夏の雲がわきあがり、すっきりとはみえない。

 

いったん苗場山との鞍部へとくだり始めるが、そこに水がこんこんと湧き出していた。

 

雷清水だ。冷たい水でのどをうるおし、一服いれた。

ここで山小屋で使うための水を補給していくといい。

私たちも泊まった苗場山頂ヒュッテは雨水をろ過して飲み水にしている。

私たちは自炊だったのだが、自炊の水も有料だった。

私は泊り客の自炊分くらいはもらえるのかと思っていた。

だからここで2リットルくらいいれておきたいところだが、これから急登があるので重荷はつらいけど・・・

 

鞍部はいろいろな花がたくさん咲いていた。カワラナデシコ。

 

リンドウはつぼみを固く閉じていた。

 

シモツケソウなど。

 

花々でいろどられた斜面の道を苗場山をとりまく急崖へとむかう。

 

いよいよ最後の急登だ。疲れてしまったメンバーを叱咤激励。

いやいや叱咤はなし。やさしく励ましただけ。

 

ようやく山頂台地に抜けた。

 

少しガスっているけど広々とした湿原が広がる。山頂ヒュッテも見えてきた。

 

池塘のあいだに続く木道を山頂へとむかう。

 

ようやく苗場山山頂に到着。山頂といっても広い台地の少し高くなったところ。

標識がないと気が付かないかも。

その日は、すぐそばにある山頂ヒュッテに泊まった。

 

翌日も同じような天気だったけど、5時には一人で外に出て写真を撮った。

 

少しづつ明るくなってきた山頂台地を取り囲むように流れる雲の向こうに山影が見えている。

 

大きく深呼吸。見晴るかす湿原の背の低い針葉樹のあいだに池塘が白く光っていた。

 

朝露を含んでゆれる花々と小さな池塘。

静かに風が流れる中を一人で散歩する。

 

ヒュッテの近くの台地の縁まで行ってみた。

流れる雲の間から、すぐ近くにピラミッドのような三角形の山が見えた。

なかなか荘厳な雰囲気で、北アルプスの剣岳がみえているのかと思ったほどだった。

こんなに間近に見えるはずはないので、たぶん西隣、秋山郷の向こう側にある鳥甲山だと思う。

 

朝食をおえて、みんなで湿原散策に出発。湿原の中央部にある苗場神社まで往復した。

 

南にむかって少しづつ高度を下げながら広がる山頂台地。

朝早くに流れていたガスは消えて見通しはよくなっていた。

広がる湿原の向こうには雲に隠れているけど南にある佐武流山らしき山影がみえている。

 

湿原植物のイワショウブがきれいだった。白く輝く湿原の線香花火。

 

もう8月半ばなので湿原の花を楽しむには少し時期が遅いのかもしれない。

 

文字が彫られた石塔がたくさんあった。

昔々に登った人々が信仰のために担ぎ上げてきたものだろう。

 

そしてそのそばに苗場神社の小さな祠が。

小さな祠は、年とともに古びて壊れ、また地元の人々によって新しくされて受け継がれてきたものだ。

 

イワショウブの群落。

 

こちらはキンコウカの群落。

 

9時半ごろには湿原歩きを終えて登ってきた同じ道を下山開始。

ギブス付きの人もいて下山もかなりゆっくり。

なにせ足首が固定されているのだから、下りの段差は上りよりもずっと歩きづらくなる。

午後4時すぎようやく車に戻ることができた。

 

苗場山、ほんとうにいい山だった。また行ってみたい。

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会津駒ヶ岳登山(2018年10月2日・3日)

2023-09-27 09:54:26 | 東北・新潟の山

(これはブログを始めたころに投稿した2018年の記事に写真や文章を追加して改定したものです。)

朝に埼玉を出発した車は予定通りの時刻に桧枝岐に着いた。登山口の少し手前に登山者用駐車場の看板を見つけてそこに車をとめた。

十月に入っているが、山麓は紅葉にはまだ早いようだ。

支度を終えた私たち三人は、国道を少しだけ桧枝岐集落のほうに歩いて駒ケ岳登山口の看板を見つけ、舗装された林道を登りはじめた。

同じ道を戻るのなら、この林道を詰めたところにも駐車場はある。しかし、今回は駒の小屋に泊まり、稜線を縦走して大津岐峠からキリンテに下るので国道脇に留めてそこから歩き始めたのだ。林道脇を流れる滝沢の豊富な水が岩を洗って気持ちのいい音をたてている。

舗装の林道をずっとたどっていくのだと思っていたら、すぐに山道があって「近道」の表示があった。その道をつかってふたたび林道にでたところに十台近くの車が留めてあった。車止めの脇をぬけて進むとすぐに本物の登山口があった。ネットで見たとおりに急角度の階段になっていた。

九月の長雨にうんざりしながら三人の日程をようやく調整して決めた計画だったのに、直前に大型台風が上陸し、各地に被害をもたらした。しかし、幸いなことに台風はスピードを早めて通過してくれ、出発の朝は好天となっていた。

会津駒ケ岳に登る計画を立てたのは私だが、7月に同じメンバーで尾瀬の至仏山に登ったとき、両足が同時につってしまって苦労させられていた。おまけににわか雨に降られ、つるつる滑る蛇紋岩に足をとられて転倒してしまい、足の脛に怪我をしている。このときの反省から、今回は最初からダブルストックで登った。週に数度、ウェイトをかけてのスクワットでトレーニングもしてきていた。

よく手入れされている登山道は歩きやすく順調に高度を稼いでいった。歩き始めてから1時間ごとに休憩をとり、2時間が経過したころブナやダケカンバが姿をあらわし始めて傾斜も次第にゆるくなってきた。

下ってきた人に適当な休憩スポットがないか聞いてみると、もうちょっと登ると水場の入り口があってベンチもあるという。そこをめざして登っていったが、「ちょっと」がなかなかつかない。結局さらに十五分ほど歩いてようやくベンチにたどりついた。ちょうど十二時になったので昼食休憩にした。

そこは尾根の上なのだが、広いので森の中にいるようだ。休んでいると水場から二人の女性があがってきて、水を飲みながらパンをかじり始めた。

これから駒の小屋に向かうという二人と雑談をかわした。ちょっと歳の差のある二人は、山で知り合っていっしょに山に行くようになったのだという。しかも一人は鹿児島、もう一人は岩手の花巻からだというので驚いた。

そこからは、道はさらにゆるやかになり、右手に稜線の連なりも展望できるようになった。草紅葉の薄茶色とところどころにナナカマドであろうか、赤い塊が見える。道の先のほうには駒の小屋の三角屋根も見えてきた。もうひとふんばりだ。

駒の小屋は昔からある小屋だが、建て替えられているらしく材木もまだしっかりした感じだった。

小屋の前、一段下がったところには小さな池があり、駒ヶ岳の山頂を水面に映していた。

私たちは、小屋の入り口にザックを置かせてもらい。ポーチに水だけをいれて山頂をめざした。

会津駒ケ岳のハイライトは、山頂からその先にある中門岳までのあいだに横たわる尾根の景観だ。広々としたその尾根は草紅葉におおわれている。その中をくねくねと一本の木道が伸びている。

私たちはゆるやかな斜面をたどってまず山頂へとむかった。ほどなく山頂に到着したが、そこは背の低い針葉樹と潅木があって展望はない。そこには立派な山頂標識が立っていた。

交代で写真を撮りあったが、74歳になるOさんは疲れた様子を冗談でまぎらせていた。

女性メンバーのTさんは疲れた様子もみせず、さらに中門岳にむかって歩き始めた。

そのころから雲が流れて残念ながら遠望を隠してしまった。日が当たればきらきら輝くはずの草紅葉も茶色にしずんでいる。

Oさんは疲れが足に出てしまったのか、だんだん遅れてきた。歩き方も少しぎこちない。でも同じ道を戻るのだから心配はいらないので、Tさんと私は先に歩いた。

 

尾根の途中が二個所ゆるやかに盛り上がっている。雲が流れるとその盛り上がりの先にも広い尾根が続いていた。中門岳の一つ手前の盛り上がりのところでOさんの到着を待って引き返すことにした。

中門岳は、駒ケ岳から伸びた尾根の先端部であって、目立ったピークになっているわけではない。それに小屋も混雑しているようなので早めに夕食の支度を始めようという考えであった。

 

色づいたネバリノギラン

小屋は、入ってすぐ左に自炊部屋がある。その奥の階段をあがると二部屋があって、片方は団体が借り切っていた。私たちは、上がって右手のもう一つの部屋に入り、指定された場所を確認した。この日も定員一杯だそうで、小さい部屋は十二人の布団で一杯になる。だから荷物の整理が終わったらリュックは階段の踊り場に置くようにいわれた。

私は、預けていた食料を受け取り、ガスコンロやアルミ鍋をそろへて自炊部屋へと降りた。すでにそこには低い木のテーブルを囲んでほかの人たちが食事をしていて、三人の場所だけがあけてあった。途中で出会った二人の女性もいた。ほかは、男性二人と女性4人のグループ。そして男性の二人連れらしかった。

私はは、ふだんは一人で山に行くことが多かったのだが、地元の年金者組合に加入したことがきっかけでハイキングの会をつくり世話人を引き受けたのだ。だからあまり人の食事までつくったことはなかった。でも今回は、はりきってイタリアンに挑戦してみようと、早茹でのパスタとカルボナーラソースをもってきていた。そこにウィンナソーセージとシメジを加えるのだ。

家でもつくってみていた。でも本番ではおおぜいがいる目の前ということもあってあせって手順を間違えてしまった。お湯をわかし、ソーセージときのこを茹で、最後にパスタを入れるべきところを、水のなかにパスタを入れてしまったのだ。結果はもちろん大失敗。介護食のようになってしまったのだ。それでも私たちはそれを「年寄りにはちょうどいい」「結構おいしい」などと負け惜しみをいいながら食べてまわりの笑いを誘ったのだった。

夜中、小屋はガスに包まれていたが、朝には晴れ間が見え出し、食事をするころには雲ひとつない晴天となっていた。冷え込みもなく、どちらかというと暖かいほうだ。

Oさんも昨日の疲れが取れたのか、足の調子も戻った様子だった。食事をすませると外に出て、小屋の前で記念写真を撮った。朝の光をあびて、会津駒ケ岳は、針葉樹の濃い緑と笹の明るい緑、そして草もみじの黄色に彩られていた。

二日目のコースは、小屋の脇を抜けて南西にのびる富士見林道と呼ばれる尾根をたどり、大津岐峠に出てからキリンテに下る。小屋の裏側は針葉樹の森で、道はすぐに下り始めた。

やがて木々の間から長い尾根とその先に燧ケ岳の双耳峰が見えてきた。さらに下ると歩きやすい尾根道になった。所々に針葉樹があるものの大部分は笹に覆われた尾根はすばらしい展望にめぐまれていた。

左手奥の方に、みなれないコブの盛り上がりがある。位置からすると日光白根山らしい。その左には日光連山らしい連なりが見えるが、関東からの見慣れた姿とは異なるので、一番右の山が男体山だろうと見当をつけた。

遠くに尾瀬の燧ケ岳を望む

会津駒ケ岳を振り返る。駒の小屋は手前のピークにある。

予定より早めに出発しているので先を急ぐ必要はない。風もなく光をたっぷりと浴びながら、暑くもなく寒くもない快適な道を歩いて行った。

やがて左から長い尾根が近づいてきた。これがキリンテに下る道がある尾根らしい。その尾根が合流する地点が大津岐峠である。

峠には大きな標識と木のベンチがあった。のどを潤し、お菓子を口に入れた。ここまで一定の高度を保ってきた富士見林道尾根は、峠からは大杉林道と名を変え、一旦1750メートルまで下ってふたたび盛り返し、1900メートルをこえる大杉岳の先で尾瀬の入口、御池へと続いている。

休憩中の鹿児島と岩手のコンビが追いついてきて少し休憩してから先に下っていった。

私たちも少し遅れてキリンテへの道を下り始めた。その道は、古くから使われてきた道らしく、尾根をたどりながらも少し急になるところではジグザグになり、一定の斜度を保っているのでとても歩きやすい。すぐに樹林帯に入ったが、ブナやダケカンバが紅葉し始めていて、とても明るい。足元に気を使う必要がないので歩きながら話がはずんだ。

下るに従って紅葉は少なくなり、ジグザグを繰り返しはじめると沢音が聞こえてきた。キリンテ沢らしい。このころから所々にトチの大木があらわれ、足元には踏み場もないほどのトチの実が落ちている。三人は記念にその実を拾って帰った。

ちょうど台風による倒木の調査に登ってきた土地の人が、トチの実はクマの好物だけど、今年は山中大豊作なので、クマは危ない登山道には現れないといった。

予定よりも早く十二時前にキリンテに下ることができた。何もないところでバスを待つのも能がないので、歩いて桧枝岐に戻り、蕎麦を食べることにして国道を歩き始めた。

天気にもめぐまれ、道も歩きやすくて快適だった今回のコースに三人は、いい山だった、いいコースだったと、こもごも繰り返しながら歩いて行った。

 

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