毎日が山のこと

最近の山歩きの記録はもちろん、作ってみた山行プラン、過去の山歩きの記録も順次掲載中です。

鉄五郎道で大塚山へ(2024年11月29日)

2024-11-30 11:13:38 | 奥多摩・奥秩父

御岳山のおとなりの大塚山に鉄五郎道というルートがあることをだいぶ前に知った。

一度歩いてみたいと思っていたので出かけてみた。

 

大塚山への入り口古里駅で降りると駅前の道を少し奥多摩方向に歩く。

道が大きくカーブした先で旧道にはいった。

 

旧道を500mほど歩くと分岐があり、鉄五郎道へはここを下って多摩川を渡る。

 

日陰の水面に青空がきれいに映し出されていた。

 

橋を渡って登り始めると車道からわかれてショートカットの道があった。

そこをあがっていった。

 

住宅が点在する河岸段丘上の道をしばらくあるくと分岐点にわかりやすい標識があった。

 

標識に導かれてこの道を進む。

 

道に車止めの鎖があるところから右下におりていく。

 

ここが鉄五郎道への入り口だ。古里駅から30分だ。

 

その先にもしっかりした標識がある。

とても行き届いているので間違える心配がない。

 

しばらく右下がりの斜面をトラバースしていく。

ところどころ崩れかけているところもあるが、全体的にはしっかりした道だ。

 

全体は杉林だが、トラバースが終わって尾根にとりつくと右の斜面が落葉樹林になってところどころ紅葉がみられた。

カエデの赤がみられたのはうれしかった。

取りついた尾根の右下は越沢(こいざわ)という多摩川の支流で、そこに越沢バットレスというクライミングのゲレンデがある。

私はやらないので行ったことはないが、この道はそのバットレスの上を通る。

どこかでそんな雰囲気が味わえるかと期待していたが、気が付かないうちに通り過ぎていた。

 

途中の手作りの標識に「鉄五郎街道」の文字があった。

鉄五郎の名をここではじめて目にした。

 

谷に突き出すような形の尾根に鳥居があった。

 

そこの石碑にも「西村鉄五郎氏」という名がきざんであった。

この尾根の先端に金比羅神社があるが、それを鉄五郎氏が建立したようだ。

 

石仏がある。不動明王らしい。

 

こちらは地蔵菩薩だろうか。

 

尾根の先端の岩の上に金比羅神社の建物が保護の建物におおわれてたっていた。

途中に瀧見台という看板があったので滝がみえるだろうと期待したのだが、残念ながら谷を見下ろしても確認できなかった。

 

ようやく周囲の展望が得られた。でも少しだけ。

 

この紅葉は色合いもよくてなかなか素敵だ。

 

途中にある広沢山にかかると道がけわしくなって手で木の根をつかんだり岩角をつかんだりしながら登る。

ここが一番きつかった。

 

11時37分、広沢山848mに到着。

 

ここからは傾斜のない尾根道になったのでぐっと歩きやすくなった。

 

20分ほど歩くと白い建物があらわれた。

大塚山の山頂近くにある建物だ。

 

その建物の脇をぬけて急登を登りきるとそこが大塚山920mの山頂だった。

ちょうどお昼の12時だ。

駅から3時間弱だ。

普通のルートなら2時間半なので登山口までの30分が余計にかかっただけでそれほどけわしいルートでもないと思う。

それに途中の立ち木に多すぎるほど目印の白テープがまかれている。

 

でもその30分の差で山頂にはもうだれもいない。

一人でのんびり休憩できた。

 

御岳山への道はこれまでとは違ってゆったりしたいい道だ。

ここからは何度も歩いたことのあるルートだ。

 

やはり御岳山周辺はもみじが多い。

 

寄らずに下ろうかとも思ったがせっかくなので御岳神社にのぼった。

 

奥の院を遥拝所から。

 

咲き残りのあじさい。この色合いが味わい深い。

 

帰りはケーブルを使わずに杉並木の道をくだった。

 

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妻と最後に歩いた多峯主山(2024年11月22日)

2024-11-22 16:20:13 | 奥武蔵・秩父の山

6月に先だった妻と最後に歩いた山が多峯主山だ。

ちょうど1年前の11月22日。今日と同じようによく晴れて暖かい日だった。

前からこの日は多峯主山を歩こうと決めていた。

 

妻と一緒の時は東飯能駅から登山口までタクシーを使ったが、今日は飯能駅から街中を歩いてきた。

前回と同じように天覧入りの谷から入った。

 

奥の谷内田の跡を抜け、高麗峠方面に向かう道で尾根へとむかう。

少し前を保育園児のグループが歩いていた。

 

ほんとうに日差しが暖かい。去年より今日の方が暖かいような気がする。

 

山頂へ向かう分岐をすぎて、今回も雨乞池のほうにむかった。

一人だとすたすたと歩いてしまうので山頂までもうわずかだ。

 

雨乞池に落ち葉が浮いている。

 

そのすぐ上にある阿修羅の石碑。妻と来た時に気が付いたものだ。

今日も花が飾られていた。

 

今日も山頂は多くの人が休んでいた。数えてみたら15人ほどはいた。

日差しの中にいると暑くなってベストも脱いでしまった。

ほんとうは山頂に妻の遺灰をまこうかと思っていたが、最後の遺灰なのでまいてしまうと家にはなにも残らなくなるのでやめにした。

 

奥多摩の大岳山や御前山。富士山はちょうど雲がかかって隠れていた。

途中で買った大福を食べ、コーヒーを入れた。

お昼は飯能の街の蕎麦屋で食べるつもりだ。

 

去年と同じコースで下山。このコースは落葉樹と針葉樹が混じり変化があってお気に入りだ。

 

秋の終わりのコウヤボウキ。

 

華やかさはないが晩秋の日差しの中を下っていく。

体力がなくなった妻にはちょうどいいコースだったが、一人で歩くとあっけなさすぎる。

 

まだお昼にも早いので入間川の川辺に行ってみようと適当に歩いていたら、浄水場に出た。

古めかしい建物があった。

そのわきから川に出るとちょうどそこから遊歩道になっていた。

 

遊歩道を飯能河原のほうへと歩いた。

夏は大勢人がいるのだろうが、今はぽつりぽつりとすれちがう程度だ。

 

堰の下の水面に秋の色が映えていた。この堰を渡って街に戻った。

 

店蔵絹甚。蔵造りの古い建物。中が公開されていた。

 

織物協同組合の建物。

この建物の脇の道をぬけて銀座通りの蕎麦屋でお昼をたべて帰宅した。

思い出のコースと思って1年ぶりに来てみたが、一人で歩いてもそれほど思い出すこともないものだ。

またこの山に来るだろうか。山仲間を連れてくることはあるだろうが。

さて、夕飯はなにをつくろうか。

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奥武蔵、大霧山(2024年11月16日)

2024-11-17 14:43:28 | 奥武蔵・秩父の山

官ノ倉山に出かけたあと中2日おいて、ハイキングの会の行事として奥武蔵の大霧山に出かけた。

前日から天候がくずれ、この日は曇り。でも昼間は大丈夫そうなので決行とした。

 

小川町についてバスを待つ間に、駅前のお店で薄皮饅頭や草餅を買い込んだ。

小川町に来ると私はいつもこの店で饅頭を買う。

私が勧めたのでみんなもそれぞれ買い込んだ。

 

白石車庫行のバスを橋場で降りて、高原牧場に続く舗装の車道を歩き、途中からショートカットの山道に入る。

 

ふたたび舗装の道にでたところで急に雨が降り始めた。

あわてて傘をさし、合羽を着こんだ。

 

でも雨が降ったのはこの時だけで、それのほんの数分間。

バス停を出てから45分ほどで登山道の入り口に到着。傘や合羽をしまい込む。

このあたりは栗和田というところで、緩やかな山の斜面に農家が点在し、観光トイレもある。

 

しばらくは、畑や墓地にむかう道を兼ねているので舗装されているが、やがてヒノキ林のみちになる。

 

ところどころ落葉樹林もあって急に明るくなったりする。

 

登山道にはいって27分のところに石の観音像がある。

後背に赤い毛糸の帽子がかけてあった。お地蔵さんなら頭にかぶせるところだろうが、後背がじゃまをしてしまう。

観音様は頭髪を結って髪飾りもしているので帽子は似合わないと思うけど。

 

そこから数分で粥仁田峠を通る車道にでた。

あたりが急に秋色に染まってきた。

 

11時3分、粥仁田峠から大霧山へとむかう。

 

大霧山へとむかう尾根道は落葉樹の樹林で、足元はたくさんの落ち葉が敷き詰められている。

 

10数分登ると左手が開けて先ほど通った栗和田地区の家々が見下ろせた。

南東に向いた緩やかな斜面に点在する家々。

 

大霧山は頂上が近づくとヒノキ林があらわれるが大部分落葉樹林なので秋らしい色に包まれた山歩きだ。

少し日が差してくれると黄葉が輝いてくれるのだけど。

 

11時45分、ほぼ予定通りの時間で山頂に到着。

見下ろす秩父盆地には雲が雲海のように広がっていた。

 

曇り空なので遠くはもやってしまい、赤城山や浅間山、両神山も見えなかった。

 

持ってきた昼食や駅前でかった饅頭を味わった。

山頂は40分ほどで切り上げ、下山開始。

 

下りの方が自然に黄葉が目に入る。

 

葉を落とした大木と背景の黄葉。

 

灌木の黄葉もきれいだ。

 

粥仁田峠に戻ってきた。

あとは同じ道を下るだけなので省略する。

 

14時6分に橋場のバス停に到着。バスは20分なのでちょうどいいタイミングだ。

 

駅前で買ったお饅頭がおいしかったので帰りにお土産にと思ったが、残念ながら売り切れ。

かわりに芋羊羹を買い込む面々。

 

この日は一時的に雨に降られたものの、その後は大丈夫だった。

でも山頂では遠望がなく、武甲山も上部が雲に隠れていたのが残念だった。

それに中2日の山歩きだったので、帰りの電車の中でかなり眠かった。

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和紙の里から官ノ倉山(11月13日)

2024-11-13 17:14:44 | 奥武蔵・秩父の山

11月13日、今日も穏やかに晴れ上がって暖かな日になった。

そこで、12月に計画しているハイキングの目的地である小川町の官ノ倉山に出かけた。

下見を兼ねたものだが、せっかくなので和紙の里から奥沢へ歩き、神社の所から臼入山421mを経由して官ノ倉山をめざした。

 

道の駅和紙の里は工事をしているらしく、バス停が臨時の場所に移してあった。

そこから登山口の奥沢まで歩いたが、一つ先の中学校前のバス停の方が近かった。

 

旧道に入っていくと奥沢神社の石柱がたっていた。

ここが登山口になる。

ところで旧道に入る手前に看板があって、十返舎一九の東海道中膝栗毛の続編に安戸宿とこの旧道が出てくると書いてあった。

この道から粥仁田峠を越えていったらしい。

 

まずは神社の石段登りから。

 

神社の建物の左手から山道に入る。

 

途中にあった白っぽい岩にポットホールらしい穴があいていた。

ポットホールならこの岩はかつて川辺にあったことになるけど・・・

 

30分で尾根のコブに到着。そこには小さな社があった。

なにも書いていないが奥沢神社の奥宮なのだろう。

 

祠のあったコブから15分で、このコースの最高地点、臼入山に到着。

三角点があり、421mだ。現地には臼入山と書いてあったが、ハイキング地図などでは細窪山と書いてある。

 

この山からは東秩父村の落合方向と木間越しだが寄居町などが見えた。

 

しばらくはヒノキ林やスギ林の道をアップダウンを繰り返しながら歩く。

15分で城山への分岐に到着。城山というのは安戸宿の近くにある安戸城跡のことらしい。

 

分岐から10分ほど歩くと左側が伐採地となって展望が開けた。

 

小川町のホンダ技研の工場が見えた。

 

こちらは北関東、赤城山だ。

 

国土地理院の地図には記載されていない道が山を越していた。

 

さらに同じような杉林の道をいくつかのコブを越していく。

道路から3つ目ほどコブに「天ノ峰」の標識がついていた。

ここからは官ノ倉峠にむかって下っていく。

 

天ノ峰から25分で官ノ倉峠。

この峠は安戸からのコースと東武竹沢駅からのコースとの十字路になっている。

このまま直進すれば官ノ倉山だが、ここから先は歩いたことがあるので、一旦安戸方向に少しくだって、官ノ倉山を通らずに石尊山に出るコースを歩いてみた。

次回のハイキングでは、安戸から登ってまず石尊山に向かうつもりなのだ。

 

峠から5分ほどで大きな石碑があった。

 

ここがコースの分岐点。左が今下ってきた峠への道。

右が石尊山への道。

しばらく少しきつい登りとなるが、すぐに官ノ倉山山頂への直登ルートとわかれ、そこからはゆるいトラバース道になった。

 

分岐点から15分で石尊山に到着。

石の祠がある。

 

北関東方向の展望。

 

小川町方向の展望。

 

石の囲いの中にも石の祠があった。

 

これがすぐお隣の官ノ倉山山頂。

石尊山より少し低いようだ。

いよいよお隣の官ノ倉山山頂をめざす。

 

12分で到着。

 

山頂から小川町方向のながめ。

 

こちらは赤城山方向のながめ。

ベンチに腰を下ろして昼食。しかし、せっかく魔法瓶のお湯でコーヒーにしようと思っていたのに忘れてしまった。

 

今回の奥沢からのコースは大部分が針葉樹林の中だったので山頂のヤマザクラの紅葉が貴重な存在だ。

 

あとは何度か歩いている道で東武竹沢駅にむかう。

山頂付近だけは少し岩々しているが、その後は整備された歩きやすい道が続く。

 

10分ほどで官ノ倉峠。

ここを先ほどとは反対がに下る。

 

天王沼という農業用ため池の上の祠。

 

天王沼。

山の色づいた木々を写して静まり返っていた。

 

里に出て、舗装の道を駅へと歩く。ゆずの実が青空に映えている。

 

秋らしい風景を写真におさめながら歩く。

 

山頂から55分で駅に到着。ちょうど2分後に電車がきたのでドンピシャのタイミングだった。

前回の伊豆が岳では少しがんばったので今日は軽く半日の山歩き。

自宅には午後2時半すぎについた。

 

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東尾根から伊豆ヶ岳へ(11月8日)

2024-11-09 20:37:03 | 奥武蔵・秩父の山

11月8日、およそ1か月半ぶりに山歩きに出かけた。

目的の山は奥武蔵の伊豆ヶ岳。3回ほど登っているが、いつも正丸からだったので、今回は西吾野から東尾根を歩いてみた。

東尾根は山頂から東にほぼ直線的に3kmほど伸びている。

 

西吾野駅を8時30分に出発。

 

国道に出て少し子の権現の方向に歩くと小さな橋がある。

ここから入るのだが、奥で伐採の作業をしているらしく橋の反対側は柵がしてあったので、脇を抜けてはいった。

 

作業用の林道がつくられているが、そちらには行かず古い山道をたどる。

 

斜面の林に入るところに小さな標識がつけてあった。

本陣山は、これから登る峠の北にある442mのピークだろう。

これでこれから越す峠が森坂峠というのだとわかった。

 

わずかな登りで峠に到着。

峠にも小さいがきれいな標識がつけてあった。

 

上の写真は、峠道から反対側の道路に出たところ。

 

そこにも小さな標識が立てられていた。

「伊豆ヶ岳、東尾根」と書いてあった。

これをみるとこの尾根の利用者がけっこういるのだと思ったが、このルートを紹介したい人がいるということだった。

 

峠からでて右へ少し歩いて橋を渡り、橋の反対側を今度は左へと300mほど歩く。

下久通(しもくずう)の民家が数軒あるところの電柱にやはり小さな標識が。

 

山の斜面をみると鳥居が見えていた。

ここが東尾根の取りつきだ。

 

鳥居には琴平神社とあった。

ほんとうに山の鼻の付近には金比羅山がよくあると思う。

 

ここは里宮らしく、左にまわるとすぐ裏の斜面に登る道があった。

 

ほんのわずか登ると尾根が見えてきて、やはり社殿が見えてきた。

足元は幅の狭い自然石の階段で危なっかしいが、パイプの手すりがつけてあった。

 

社殿に琴平神社の扁額。ここが本宮なのだろう。

 

尾根に向かいながら振り返るとかなり粗末な建物だ。

そのわきには大きな樅ノ木。

 

スギの木におおわれた尾根を歩いていると足元に茶ノ木の花。

人が植えたものか自然に増えて広がったものなのか。

そしてかなり太い樅ノ木が杉林の中で目立っていた。

 

急斜面を登ったところに赤と黄色のテープがまかれた木があった。

尾根から急斜面をくだる地点なので間違えないようにと巻いているのだ。

 

ようやく歩きやすい尾根になり行程がはかどる。

しかし上の写真のところで道なりに歩いて行ったら、なんだか踏み跡の気配が薄くなった。

散らばっている小石のせいだろうと思っていたら、その先で突然踏み跡がなくなった。

左右の斜面にみだれた足跡があるがその先が道らしくないし、いやに下がっていく。

地図を取り出してみると、ルートならこんなに下がらないはずだ。

そこで写真の地点まで戻ってみたら、北に折れて踏み跡が続いていた。

木に巻いてある白テープはその目印だったのだ。

 

その先も急斜面だった。

ジグザグに道をつくれるところだが、そんなに通る人が多くないのでそんな手間はかけていない。

そして登りきると、写真の柱に「貉入(ムジナ入)」と書いてあった。

なぜかその柱にはムジナならぬ猫のドラえもんが・・・

 

東尾根は地図で想像していたより急斜面を登るところが多かった。

そうやっていくつもピークを越えていく。

そうやって繰り返しているとそろそろ目の前のピークが山頂ではないかと期待してしまう。

 

そんな期待をなんども裏切られて、今度こそはと急斜面を登りつくと写真の標識。

670mのピークは尾根全体の3分の2の地点だ。

まだまだ先は長いぞとがっくり。

 

尾根に岩場が混じるようになってきたが、基本的に土の尾根がつづく。

次第に踏み跡自体が目立たなくなってきた。

でもあとは尾根を外さずすすむだけだ。

 

尾根自体がかなり急な登りになってきた。

そしてこのルートでほぼこの1か所だけ付近の山が見通せた。

たぶん子の権現の方角だろう。

その先で尾根の正面が急峻な壁になっていた。

みんなの足跡ではこの壁にむかって左にルートをとっていた。

左をみあげると土の急斜面にわずかに足跡が点々とついている。

いやいやこれはたいへんだ。

足を踏み入れるとグズグズと崩れていく。

足だけでは支えきれないところもあるので両手も動員して体重を分散させ、一足ずつそろりそろりとすすむ。

 

その地点を上から撮った写真。

ちょっとイメージはわかないと思うが、足を踏み出すまでほかにルートはないのかとだいぶためらった。

そしてその先もまだ崩れやすい斜面をトラバースして、ようやく山道に出ることができた。

手の泥をはたいてほっと一息入れた。

そこはもう頂上のすぐ下だった。

結果として強行突破してしまったが、もう少し下に戻って樹林の斜面をトラバースしたほうがよかったのだろう。

トラバース地点がよくわからないまま最上部まで進んでしまった結果なのだ。

 

12時少しすぎ、伊豆ヶ岳山頂に到着。

東尾根の琴平神社が9時半だったので、尾根を突破するのに2時間半かかったことになる。

予想以上に急なピーク登りが繰り返しあらわれる厳しい尾根だった。

それに最後の土の急斜面のトラバースは予想外の展開だった。

 

人の顔が彫られているレリーフがあるが、何なのか文字は読めない。

誰かを記念するものだろうか。

 

レリーフのそばの岩に腰かけて昼食。持ってきた魔法瓶のお湯でコーヒーを入れた。

山頂についたときに一人いたがすぐに下山した。

その後、若い男性と同年輩の男性年寄り二人が到着した。

 

木のま越しにみた関東平野。

 

こちらは武甲山の山頂部。

 

こちらは大持山。今年のうちにこの山を名郷から周回してみたい。

 

さて、予定通り天目指峠をへて子の権現へむかう。

このあたりでは伊豆が岳と子の権現のあいだは歩いたことがない。

 

東尾根のように全行程杉林というわけではなく、落葉樹林もある。

少しは秋らしい彩どりが期待できそう。

 

すぐに木段の登り返しがあらわれた。

 

伊豆が岳のすぐ南にある古御岳だ。

富士山吉田口の五合目が古御岳と呼ばれ、現在の富士山の前の世代の火山だったそうだが、この由緒ありそうな名前はなぜついたのだろう。

 

山頂には東屋もたっている。あまり人が来ないような山なのに。

私の知らない由緒があるのかもしれない。

 

歩いているとこんな温かみのある彩りもあった。

やはり秋の山はこれがないとさびしい。

 

でも大部分は杉林。尾根の上に岩のかたまりが鎮座していた。

 

こちらは今回で初めてで最後だったカエデの紅葉。葉が小さいのでイロハモミジなのかなあ。

 

またまたかなりの登り返しがあって高畑山に到着。

この尾根も地図で予想したよりかなりアップダウンがある。

 

「ナローノ」って何?

 

少し日差しがはいって明るいなと思ったら新しい送電鉄塔の工事をしていた。

鉄塔の工事は終わっているらしいが、送電線がまだ張っていなかった。

 

でも鉄塔のおかげで奥多摩の山々が見渡せた。

でもこの角度からだとどれがどの山だか???

方向から考えると棒の折山や奥多摩の御前山かもしれない。

少し右方向。より奥多摩方向だが、これでもよくわからない。

地図で考えると大持山とその奥が酉谷山かも。

 

尾根から見下ろしたところに舗装の道路が見えてきた。

ようやく天目指峠だ。

峠によくある石祠。

 

峠には休憩舎があった。

さあ、子の権現まであと一息、と思ったが、この先がまだ長かった。

 

天目指峠から子の権現までかなり登り返す感じだったので地図を見直すと、天目指峠が490mくらい。

そこからコブを三つ越しながら少しづつ高度をあげて、写真の祠のあるピークが610m。

この祠のピークで子の権現まであと500mだった。

 

そこを下るとようやく見覚えのある峠にでた。

この少し先が子の権現だ。

 

子の権現には寄らずにそのまま通過。

 

駐車場のところから雲一つ見えない関東平野の大展望が得られた。

あと1時間ほどで吾野駅に到着できる。

久しぶりの山歩きにしては少し欲張った行程で、しかも予想外の難所もあった山旅だった。

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