長生きするのが人生の幸せか?というと実はそうではない。実家の両親だが まあそこそこ入院とかはしてるが 癌とか脳梗塞とかの大病はしてないので そこそこ健康である。歳をとって買い物や家事がだんだん重荷になってきて 最初はお昼だけ宅配弁当を取っていたのだが・・・これがすさまじい代物で昔の中小企業の赤茶色のベークライトの弁当箱に入った会社支給の弁当の更に不味そうな代物・・と言えば それなりの年代の人にはわかるだろう。とにかく色目が悪いうえ もう餌としか呼べないような代物である。今の人は弁当と言えば コンビニのか あるいはホカ弁を思いおこすだろうが その二世代くらい前の弁当って概ねこんなもんだった。安いが不味い。で うちでとってた弁当というのが それなりの値段はするのだが 完全に老人が相手の弁当である。まあ行政が斡旋する弁当屋なんで仕方ないちゃー仕方ないのだが。それを老夫婦がシェアして食べてるのを見てたら気が重くなる。まーそれでも時々近くのスーパーにシルバーカー押して買い物にいけてたから夜は普通の家庭料理をこさえてたわけで 昼だけ我慢すればいいのである。まああたしからすれば あんなもの食べるくらいなら一食抜くわ・・と思うのだが・父が昔の人なんで家事全般は何もしたことがない・・というかできん。まして包丁は研げるが料理はできない・・というていたらくである。なので必然的に料理は母の仕事になる。なんとか作れてるうちは良かったのだが 寄る年波には勝てずとうとうケア付住宅に引っ越すことになった。あーこれで食事の世話や洗濯や掃除から解放されるのか?と思ったのだが 現実はそう甘くない。ケア付住宅って老人ホームの上層階のまあマンションみたいな個室なんだが(当然鍵もかかる)老人ホームと違うのは 身体介護つまり寝たきりで何もできないから排泄・入浴まで全部人の手を借りないといけない状態では無いというだけで 食事が食堂でとれる・・というだけである。当然居室の掃除やら洗濯は自分たちでやらなきゃいけないわけで(水周りの掃除は施設がやるのかどうかは知らんが)結局 母の仕事はなくならない。買い物や夕食の支度が無くなっただけである。まあ あれくらいの年齢の男ってのは 調理も洗濯も掃除もしなくて当たり前って思ってるから 当然のように何もしないわけで 何のためにケア付住宅で不自由な暮らしをしなきゃならんのか?と思う。何が不自由・・って施設は大手のベネッセが運営する医療付介護老人ホームなんだが 眼下に見える公園にも一人では出してもらえないのだ。必ず誰か付き添いがいる。現実的には無理だから 当然籠の鳥なわけ。で 食事が美味しければいいのだが これがまたあきらかに老人食というような代物。2回ほどつきあったが もうお断りである。自宅にいればその日の気分で好きなものを作って食べることも 味付けも自由にできるのだが・・結局 どこにも出れず 好きなものも食べれない。ただ生きてるだけ・・だ。まあ 病気や怪我でも医療スタッフが常駐してるんで速やかな対応が取られるのでいいのだが・・先日も母が深夜にトイレに行こうとして転倒して救急車で運ばれたけど(幸い打撲だけで大事にはいたらなかったけど)そういう意味では安心なのだが 彼らはそれで幸せなのか?と言えばそうではないだろうと思う。子供に迷惑をかけない・・という意味での転居だったのだろうが あまりにも人間離れした生活を強いられてるので あたしとしてはこれで良かったのだろうか?と思うことしきりである。場所が小牧なので元実家からからはバスで一時間かからないのだが もう実家はすっからかんなんで 行くとなると宿を取るか 朝出て3時間くらいむこうにいてまた深夜に戻ってくる弾丸ツアーしかない。うちの近くにもベネッセのホームがあるので調べてみたのだが 入居一時金が一千万くらいかかる(多分一人あたりだろう)。深夜でもすぐに行けるところに置いておきたいし あんな自由の無い生活をさせたくは無いので 話はしてみたが今のままでいいと言うし・・困ったというかなんというか・・親の介護の話は誰しも避けられない問題だが こういう解決の仕方はどうにもなぁ・・と思うのである。まあ寝たきりになったら低層の老人ホームに移ることができるので そういう意味では安心なのだが。老人は家族で看るのが当たり前だと思うのだが 住宅事情や仕事やらハードルが高すぎる。昔の老人は短命だったかもしれないが そういう意味では恵まれてたのだな・と思うがいかんともしがたいのが実情である。あんな老後をおくるくらいなら長生きなんかしなくてもいいよねぇ・・と嫁はんと話をしてた。もう十分満足する人生はおくった・・というのが正直なところだ。
大学生・・というのは昔から変な・・というか規格に当てはまらない人が多い。先日CSで銀魂を見てたら 監督が宮脇千鶴氏・・どこかで聞いた名前だなぁ・・と思って検索したら 京都嵯峨美術短大OBだし 最近好きな漫画家の魚田南氏は京都精華大だし・・魚田南氏と言えばはらへりあらたの京都めしとかカラスのいとし京都めしなんかがあるが なぜか異様に評価が低い。前者なんか 細密なイラストで料理が出てくるのだが 米粒がうじ虫に見えるとか ちっとも美味しそうじゃない(一応B級グルメ漫画なので)とか酷評されてるのだが 京都にいたものには あーあの店のあれね・・とわかるので この評価は無いだろう・・と思う。料理は精細に描いてキャラは雑・・というのか この漫画自体が グルメつーより京都の若い人の食の空気感を描いてるのになぁ・・と思うと なんでそこらへんわからんかなぁ・・と思う。もっとも よそさん まああたしもよそさんだけど 京都で生活したことの無い人には掴みにくい感覚なのは認めるけど。宮脇千鶴氏もすごい・・というか銀魂のあの空気感てのは やっぱり京都から出た人だなと思う。両氏とも自分の世界を持ってる人だ。京都で変人の集まりと言えばやはり百万遍の某京大であろう。作家の森見登美彦氏とか万城目学氏 哲学者の鷲田清一氏 国語学者の寿岳章子氏 民俗学者の梅棹忠夫氏 フランス文学者の杉本秀太郎氏 最近ではノーベル賞の本庶佑氏と まあよくもこれだけ個性的な人が揃ったもんだ・・と感心するくらいみんな自分の世界がある。東大は官僚 京大は学者と言われるのは土地柄もあるのだろう。京都って学生や研究者が多少無茶やっても学生さんのすることやから・・と大目に見る風潮は 何十年も前に京都で学生やってたあたしのころから変わらない。みんなが自分の個性というか自分ワールドを構築できる街 それが京都だ。まあ あたしは大成しなかった一介のソフトウェア職人だが それでも京都で学ばなければ今の自分は無かっただろうな・・と思う。なので あたしにとっては古都京都や観光京都ではなく 学生の街京都なのである。