明治の初期 松永では製塩が盛んだったんですが・・・・・塩を煮詰める薪で下駄を造ったのが始まりの 松永の下駄
安い下駄の材料の木材を貯木場から運んだのが この運河
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日本の下駄生産の五割を占めていた松永の町並みの 名残とも言えそうです
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広島県尾道市出身の私ですが
松永の街並みがこんなんだったなんて
従姉も家族と一緒に住んでいますが
行ったことが有りません。
運搬用の運河が残されて風情があり
いい所なんですね
ありがとうございます。
松永とは、福山市にある地でしょうか。
このような、水辺に佇む街並みは大好きです!
小舟がいくつか映っていたので、運河はまだ利用されているのかしら。
運河下りがあれば乗ってみたいです!
でも、地元の方にとってみれば、我が家の様子が見られる感じで困るかなぁ。
広島も随分と行ってないので、また行きたいデス。
今では福山と合併し福山市に入っています
松永も随分と様変わりして昔の面影が無くなってしまいましたが運河だけは残されています・・・が 河口には堰が造られて海とは隔たってしまい 自由には行き来できないのではないでしょうか
少しは利用されていますが観光的には利用は無理かも
残された運河には 町並みとも相まって風情があります・・・・ 運河はありし日の松永の象徴ですね