日本一の山 富士山 流石に空気が薄い・・・
山小屋は窮屈だし横になっていても息ぐるしかったり 頭痛がすることがあり 深呼吸
同じことが何回もあり 深呼吸を何回も繰り返しているうちに 出発時間のPM11.00になる
『やっぱり 仮眠もできなかった』
山小屋で弁当をもらって いざ 真夜中の山道を山頂へ向けて・・・
ヘッドライトで足元を照らしながら 岩場を一時間以上登った気がする
真夜中の岩場 ひたすら 上を 上を目指す
『真っ暗で 写真どころではなかったな』
岩場を抜けた八合目では 登山者大渋滞の ゆっくりペース
高度3100メートルを越え このペースが良かったんですが・・・・・・
ご来光に間に合うように 途中から進路を変え 登るペースが早くなった途端 身体が いっそう重たくなってきたぞ ・・・・ やばいかも
途中 休息をとりながら ヤットの思いで 山頂へ到着 AM 4.00
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山頂は深い霧の中
それでも 御来光を期待して、入る隙間もないぐらいの登山者が 日が昇る方角に密集
結局 ご来光は見られず
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お鉢をめぐりの気力も体力も薄れてしまい 頂上東京屋で休息し 下山する事に
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下山途中 山中湖の上に光芒が 何度も見え隠れする
途中から 雨が降り出すも
つづり折の下山道も 雨で湿り 良かったかも・・・・
でも 四時間以上のつづら折登山道には 心が折れそうでしたネ
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元の五合目に到着し 下山チェック
目的 達成です でも、疲れ果てて昼食も喉を通らなかった
山小屋でもらった弁当も食べる気がしなかった
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その後 河口湖畔へ移動
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温泉で登山の疲れを癒す
少し楽になったけど 二日たった今でも 疲れが抜けない
体力的に自信のなかった富士登山でしたが 感動体験をもとめて
富士登山にチヤレンジ !!!
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富士スバルライン 五合目に午後三時頃の到着 任意ですが入山料金1000円を払い
入念に準備体操をして いざ 出発
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泉ケ滝へ向けて
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登山道と下山道の合流点へ到着
上へ上へ
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日が傾きかけた登山道 日が暮れないうちに七合目の山小屋まで
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登山者が多くて しばしば渋滞
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今日の宿泊地 七合目の山小屋が 見えてきましたが・・・・
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途中 何回も 休憩をとりながらでしたが
ヤットの思いで どうにか こうにか 七合目の山小屋へ到着しました
到着しても ゆっくりしている暇はありません 説明を受け 夕食のカレーを食べ
ベットの割り振り 19.00 すぐに仮眠・・・ 「あわただしかったですね」
でも 寝床が枕の幅だけ 狭くて 狭くて寝られませんが疲れた身体を静かに休めるために横になります・・・
・・・・・23.00 仮眠終わり あわただしく ご来光にあわせて 真っ暗な中 ヘッドライトの灯かりで 頂上に向け 出発です
県内で唯一現存する宿場町の本陣 神辺本陣 (西本陣)
白壁が店住居で奥の黒塀が本屋
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神辺本陣は地元の豪商である菅波家がその役割を担い黒田家の専属契約のようなかたちで利用するのは黒田家のみで 黒田家以外は東本陣を利用したようだ
黒漆喰の塀の御成門
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御成門から見た本屋と御成りの間
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木札
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札の間には西本陣を利用した有力者の名前が・・
宿泊するたび門に掲げられた木札が今尚 天井周りに飾られている
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本屋には御成りの間、上段の間など、往時のままの姿を留めている
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神辺陣屋には竹中半兵衛 黒田官兵衛ゆかりの白餅と藤巴紋の瓦が各所に・・
黒田家との深いつながりを感じさせられる
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白壁の店住居 裏際へ行って見ると・・・
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今まで見たこともないような建物が有りました
茶室と見晴台だそうです
竹林と大銀杏が凄かった
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当時の姿を250年間に渡って伝えている神辺本陣(西本陣)は黒田官兵衛ゆかりの文化財といってもいいかもしれませんね
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江戸時代の街道筋の空気をとどめる 神辺町
みんさい きんさい 神辺へ