ヤマセンの気まま日記

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敷名の千年藤

2015-05-03 06:23:08 | お出掛け

 

敷名の千年藤は、内海大橋の見える 福山市常石の敷名浜から厳島神社へ上る参道に実在する 藤

 平家物語 第四巻に登場する 『敷名の千年藤』 

 厳島詣からの帰途 高倉上皇が目にした 当時の藤は 南北に18メートル 東西に9メートル と 相当大きな藤だったようですが ・・・

以後 何代か入れ替わって 現在の藤は 其れほど大きくはありません

以来 この岬に咲く藤を 千年藤と呼ぶようになり

 

 内海大橋も袂に 藤棚として残されている  

 

 

歴史のロマン  現代の敷名の千年藤です。


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4 コメント

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Unknown ()
2015-05-03 22:49:40
こんばんは

千年藤、いわれがある藤なんですね。
藤の花、きれいですね~♪
藤の花大好きで撮影したいのですが、近くに大きな藤の木がありません。
猿橋公園の藤棚ももう少し大きかったらなと思います。

もう藤の花の時期も終わりになりますね。

我が家にも小さな藤棚があるのですが、今年は花が一つも咲きませんでした。
なぜ??ですが、多分剪定が上手にできなかったのだと思います。
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Unknown (ヤマセン)
2015-05-05 20:28:49
咲さん コメントありがとうございます。

平家物語に書かれている、いわれのある藤の存在を知ったのは二三年前  現在の敷名浜の厳島神社参道の千年藤は 同時とは違いますが 参道に立つと当時の情景が浮んで来る感じがします。

自宅に藤があるなんて 大変そうですが感じがよさそうですね。
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源平盛衰記の前兆の嵐のような藤ですね (goo19888888)
2020-04-14 13:12:04
若くして夭逝した高倉天皇の父君ト母君と、清盛と、亡くなった重盛の人間模様の葛藤が何代も続いているかのような激しい枝ぶりの葛藤に、松の枝にかかった藤を、、、あの時、切り取らねば、、、歴史は変わっていたのでしょうか?舞台の宮島と千年藤、、、安徳天皇と,、、以仁王の乱と歴史は藤弦が絡まりあい其処に咲く垂れ下がった藤の花のショットは一コマで、歴史を振り替えさせる秀作ですね。
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源平の歴史 (ヤマセン)
2020-04-14 15:30:37
以仁王の乱と歴史=源氏と平家の合戦の元になったくらいしか知りませんが・・・・・・
この近くにも源平の古戦場があり 清盛のおい能登守教経の名前をとって能登原と呼ばれていますし・・ 近くには 通盛主従を祀る通盛神社 神社にはお墓も・・・・赤い旗を祀る赤幡神社、通盛の妻小宰相局の墓など 色々と平家にかかわる伝説がいくつもあり この場所はいまでも平家谷と呼ばれています
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