今から850年ほど前の平安時代末期 『平家物語』巻4の「還御(かんぎょ)」によると
平清盛が高倉上皇をつれて 宮島の厳島詣での帰途 敷名の浜に咲く藤の花を称賛
『千とせへん 君かよはひに 藤なみの 松の枝にも かかりぬるかな』 と隆李の大納言が歌を作り
敷名の藤は、この故事により後世、この場所の藤を千年藤と呼ばれるようになりましたと言ういわれ
江戸時代には千年藤も南北に10間 18メートル 東西に4間 9メートル 当時は相当大きな藤だったようですが・・・
その藤は沼隈町常石の敷名の浜から 厳島神社へ参道の入り口にある藤のことなんですが
今では当時の面影も ありませんが
時代を感じさせる 石段と鳥居
拝殿の後ろ側 本殿 屋根の造りも独特です
内海大橋 側の藤棚が 現代の『敷名の千年藤』として市民に親しまれています
ご訪問に 感謝
時の権力と、
下がり藤の花の紫と、、、、、重なりますね、、、
短い花の座、、、
下がり藤の美しくも切ない歴史。
驕る平家も、、、久しからず、、、
何とも言えない、、、古い石の階段が
今も伝えられる平家の歴史にたどり着く一歩のように
ゆっくり、、、歩いて、、、登ってみたいですね。
はじめは 余り関心が無かったんですが、平家物語 第四巻に登場する『敷名の藤』は、まさにこの場所なと知って 果然興味がわきわき いろいろと調べてみました・・・・この近くには 奉行所跡もあのマス